終幕

「はぁ、はぁ、はぁ――」

 外道丸が式神達と死闘を繰り広げている頃、桔梗は大江山の山道を必死に駆けていました。

 盲目の身ではただ走ることもままなりませんが、しかし、あれほどに必死に逃げろと言われて立ち止まるわけにはまいりません。

 着物の裾をたくし上げ、生傷が絶えぬ白い脚を前へ前へと突き動かし木々の間を抜けていくと、どこかから鈴の音が聴こえてきました。

 か細い――だけど耳から離れない鈴の音が。


 その音は山中にこだまし、じょじょに我が身に近づいてきているような、そのような錯覚に囚われた桔梗は急いでその場を離れます。

 もうここが何処どこで、いったい何処に向かって進んでいるのかなどとうに判別がつかなくなった頃、正面に何者かの気配を感じて立ち止まりました。


「酒天童子なの……?」

 良かった……なんとかあの修羅場から逃げおおせたのだ。


「残念ですが、わたくしは安倍晴明と申します。以後お見知りおきを」




 一方、鬼屋敷の大広間では凄絶な死闘が繰り広げられ、激闘の末に四体の式神はただの紙へと姿を変えました。

 ですが代償は大きく、外道丸の躯は既に満身創痍だったのです。


「畜生……待ってろ……桔梗」


 今にも倒れてしまいそうな躯に鞭打ち、野山を駆けて桔梗の後を追っていきます。


「もう……俺にはお前しかいないんだ」


 桔梗はすぐ近くにいる。本能が告げたその時――視界が一気に開け、辺り一面彼岸花が咲き誇る空間に飛び出しました。

 大江山を支配する外道丸も知らぬその花畑の中央には、桔梗を盾にした男が立っています。


「お前が……安倍晴明だな」

「おや。名前をご存じでしたか。京の都を脅かす大妖怪にまで知られているとは、わたくしもだいぶ顔が売れましたね」

「お前のことを知らない妖怪がいたら、きっとそいつはモグリだろうよ」


 どうやら桔梗はまだ無事のようでした。

 全身裂傷が多いようでしたが、命には関わらないほどの怪我のようです。


「さて、酒天童子。貴方には選択肢を差し上げましょう」

「なんだ……」

「わたくしの言うことを聞けば……この娘の命の保証は致しましょう。その代わり――」

「貴方の首を差し出しなさい」


 自分には選択肢など存在しないことなど、清明はとっくに見抜いていたのでしょう。それは強者の特権でもあり、外道丸も批難する資格はありません。

 ゆえに、晴明の提案には乗るしかありませんでした。この場では外道丸も弱者だったのですから。


「言うことを聞けば桔梗は助かるんだな」

「おや?即答ですね……。実に潔い。気に入りました。きっと約束しましょう」


 ――どうせ長くはもたぬ身だ。それなら桔梗を助けるために有効利用してやろうじゃねえか。


「実はさる御方から桔梗殿を抹殺してほしいと依頼を賜っておりましてね。まぁそれは政略のお話なのでわたくしには関係ないのですが……貴方のその潔さに免じて桔梗殿はお助けすることを約束しましょう」


「……わかった。ただし約束は守れよ」

「駄目っ!勝手に死ぬなんて許さない!」


 清明の腕の中で桔梗は必死に外道丸を止めようとしますが、その声は耳には入りません。命令に近いその言葉に従う他なかったからです。

 黙って膝をつきこうべを垂れると、死が間近に迫ってるというのに心は穏やかでした。


 ――これで、俺の呪われた人生も終わりだ。


 瞳を閉じ、この世に別れを告げたその時、拘束されていた腕から無理矢理抜け出した桔梗が、外道丸に強く抱きついたのです。


「馬鹿野郎!お前――」

「貴方が死ぬなら私も死にます!貴方が生きるのなら私も生きます!命の恩人を捨ててまで生き延びようとは思いません!」

 太い首筋に抱きついた桔梗は、涙を流しながら離れようとはしませんでした。

 まるで、か弱い子供を守る母親のようにその身を盾にして――


「ちっ……下らない茶番を見せつけてくれますね」


 清明は苦虫を噛み潰したような顔で、雷をまとうう刀を一閃しました。

 外道丸の目の前で、ゆっくりと桔梗が切り捨てられる光景を、ただ見ていることしか出来なかったのです。


「嘘だろ……桔梗……おい……起きろよ……」


 後に鬼切丸と称される名刀は、いとも容易く彼女の肩から腰を袈裟懸けに切り、真っ赤な血を吹き出しながらゆっくりと倒れます。

 自らの身に何が起きたのか理解した桔梗は、虚ろな眼で酒天童子の姿を探していました。


「俺はここだ……まだ逝くな……俺を置いていくんじゃねぇ!」


 これ以上魂が抜け出さないよう必死に細い躯を抱き起こしますが、その細い躯は瞬く間に体温を失っていきます。


「あのね……」


 息も絶え絶えに何かを告げようとする口許に急いで耳を寄せますと、死の直前にも関わらず、桔梗の顔は優しい微笑みを湛えていたのです。


「あなたのこと……嫌いじゃありませんでしたよ……」


 最後の力を振り絞って告げた言葉は、彼女なりの最後のはなむけでした。

 桔梗はそっと息を引き取り、彼岸花のなかにそっと亡骸を置いて外道丸は、溢れでてくる涙を塞き止められずにいました。


「お涙頂戴は苦手なんですよね。こう虫酸が走るといいますか。ですのでついうっかり殺してしまいました」


 鬼よりよっぽど鬼らしい男は、刀を構え呪詛を唱えます。


 ――どうせ死ぬ身なら、お前も道連れにして地獄に堕ちてやろうじゃねぇか。


 外道丸はこれまで抑え込んでいた力を全て解放して晴明に突進します。

 晴明も雷が走る刀を酒天童子めがけ振り下ろしました。

 力と力が激突した衝撃は、麓まで轟いたと後世に記録されています。






 夢を見ていた――桔梗が先を走り、俺はその後をずっと追っていた――なのに一向にその背中に手が届かず、終いには光の中にその姿を消していった。

 待ってくれ――俺を置いていかないでくれ――




 意識を取り戻すと、そこはごく普通の民家の庭のようでした。周囲からは人間の子供が遊び回る声が聴こえてきます。


 ――なぜ、このような場所に。


「やぁ。やっと目を覚ましたかな。酒天童子君。いや、これからは深山童子と呼んだ方がいいかな」


 その声は、死んでも忘れることのない男のものでした。

「晴明!よくも!よくも桔梗を!」

 今にも飛びかかってやりたいところですが、己の躯に起きた違和感に伸ばしかけた腕が止まります。


「なんでだ……なんで人の躯に戻っている」

 よくよく確認すると、太かった腕も、全てを引き裂く爪も、晴明が差し出した鏡に映る自らの顔も、人間の頃の姿に戻っていたのです。


「面倒なので先に説明しますね。貴方はご存知のように強い呪いが掛けられていました。ですが調伏されてわたくしの下僕しもべとなったお祝いに綺麗さっぱり、とはいきませんが見た目は元に戻してあげたんですよ」

「なんだと?そんなの信じられるか!」

「そういうと思ったよ」

 目を細くしてわらった晴明が印を結ぶと、外道丸の躯は見えない鎖に縛られたように身動きがとれなくなりました。

 晴明に敗れた鬼は、すべからく彼の配下となってしまうのです。また、倒した鬼を蒐集コレクションするのも趣味の一つだったのです。


「酒天童子――いや、外道丸の名は取り上げ、これからは深山童子を名乗って貰います。それと、その姿は一応は人間ですが、鬼の力もほんの少し残してあるんですよ」

 右手に力を込めてくださいと指示を出され、嫌々ながら言われたとおりに右手に力を込めると、元の鬼の腕に変化したのです。


「その力は通常は使えません。というより制限をかけてるので不可能です」

「お前は……俺をどうしたいんだ」

「そうですね。では発表しましょうか」

 楽しそうに手を叩いて無邪気にはしゃぐ清明の姿を見ると、とんでもない化物を相手取っていたと空恐ろしくなり、反抗する気持ちも萎えてしまいました。心が折れたとも言います。


「君には罰として、彷徨う魂の葬送を手伝ってもらう。それも千年もの長い時間をかけてね」

「魂の葬送……?」

「そうそう。なんてね」

 自分が発した冗談にひとしきり笑い転げると、居住いをただして何もなかったように会話を続けます。

「君は人間を殺し過ぎた。そのせいで神様達は怒り心頭なんだ。まぁ天罰を与えようとしてもその力がない連中は、やむなくこの晴明様に頼み込んできたんだけどね」

 自分の手を汚したくない卑怯な連中さ、と神をも畏れぬ自らの発言に気をよくした清明は尚も話を続けます。

「そして見事大江山の酒天童子は天才陰陽師安倍晴明に討ち取られたり!そんな噂で京の都はお祭り騒ぎになるはずさ」

「……」

「反応もなしかい。つまらないね。じゃあやる気が出る人参でもぶら下げておこうか」

「……」

「千年――迷える魂の葬送を果たし終えたら、その時は君の愛する桔梗の魂を返してあげようじゃないか。器はそっちで適当に見繕っといてよ」

「桔梗が……甦る?」

「うん。ちゃんと約束を守ったらだけどね」


 やはり外道丸――いえ、深山童子には選択肢などありませんでした。愛した者と再会できるのならば、千年でも万年でも望むところだと、清明に頷いて答えたのです。





 かくして歴史の裏に隠れたもう一つの事実はこれにてお終いお終い。

 この後、彼がどのような人生を送ってきたのか?

 そうですね――それはまたの機会にお話ししましょうか。語るには彼の歩んできた時間はあまりにも長過ぎますから。

 それまでは皆さんも人生に悔いの無いように生ききってください。

そして、道に迷った時は思い出してください。大事な想いは心の奥底にちゃんと眠っているということを――




 今日もお客様は当店にいらっしゃいます。お客様は仏様――その気持ちを忘れずに、残り僅かの時間ですがこの身を捧げる所存でございます。





「さて、貴方の未練を晴らしましょうか」

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曼珠沙華の導き きょんきょん @kyosuke11920212

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