第2話 読書と少年と

 君は多重人格を知ってるかい??ほら、別の人格が現れて端から見たら、いきなり豹変したように見える話。少し脇にそれるけど、人格同士は記憶の共有もままならないらしい。それだけじゃない。トラウマに触れると暴れだす事もあるそうな。その人格も年齢が様々で治療に悪戦苦闘する。

 どれだけ人格を増やそうが結局は【あくまで患者の一側面にすぎない。】というのが通説らしいよ。さて、前置きはこのぐらいにして…物語を始めようか。

 これは昔本人に聞いた話なんだ。

 その少年の家族はいつも仕事ばかりでね、彼は独りぼっちだった。父親しかいなくてね、寂しかったそうな。いつも一人ボロアパートで、弁当やふりかけで飢えをしのいでいた。まだ十にも満たない少年が、だよ。人格が増えても仕方なかったんだってさ。そんな彼の一番の趣味は【読書】と【小説】を書くこと。何時ごろから始めたのかは詳しく覚えてない。いやぁ、不思議だねえ。

 その少年に寄り添ってくれた人格…ここではAちゃんと呼ぼうか。Aちゃんはいつも読み聞かせをしてくれた。少年が本に目を向けるとどこかしらから声が聞こえて音読が始まる。その声が大好きだった。胸が高まりドクンドクンと自分の中で内側から痺れるかのような。少年の初恋は、実在のない不思議ちゃんだったんだ。

 Aちゃんは本を開いたときにだけ優しく声かけてくれた。読書を始めると気配を感じるんだ。柔らかい甘い風に包まれるような、暖かい何かに触れるような…。人格の一人の筈なのに、不思議だよね。Aちゃんは読書をしないと現れない。お陰で少年は大の読書好きになった。ただ、ただ指を重ね、共有してくれる。救い出してくれる。彼女の手が本に触れているが如くページがめくられる。その手に触れ、握った。当然無理だがそれでもと手のある空間を、何度でも握り続けた。

 ここまでしてくれると、好きになるに決まってるよね。

 あるとき、少年はお父さんから

「誕生日は何が欲しいか」

 尋ねられた。一番はお父さんと一緒に居られる時間だった。けど、次にAちゃんが思い浮かんだ。そこでAちゃんが好きそうな本を頼み、誕生日がくるのを楽しみに待っていた。ところが、誕生日に近づけば近づくほど……Aちゃんの声は少しづつ薄れていった。Aちゃんとの別れが近いことに少年は誕生日当日に気づいてしまった。その日少年は眠れなかった。曇天の日のことだったそうな。 

 時間の流れは残酷なもので、進学すればするほど、ますますAちゃんの声は薄れていった。どれだけ少年が【まだ居てほしい】と願っても仕方がなかったんだ。だって元々彼の人格に一部でしかないもん。少年が友達を増やし、幸せになればなるほど、多重人格の存在意義がなくなる。

 少年も必死に抵抗しようとした。昔から飲んでた薬もゴミに出したし、友達とも絶縁した。それでも一向に状況は変わらない。Aちゃんは薄れていく。もう、だめだと全てを諦め、少しの時間だけでも声を聴いていたいと徹夜で本を読み漁った。凄いよね。全力で声が途切れないよう生き抜こうとしたんだ。尊敬するよ。

 そして、その日は訪れた。ある本を開いたときかすり声じゃなく、かつての様な大声で音読が始まったんだ。少年は悟った。あぁ、この本で最後なのだろうと。この声が聴けるのも最後なのだろうと。本がぽたぽたと濡れていく。指が震えて仕方ない。もう薄れつつある甘いにおいの中、少年は何も言わず、聞き入っていた。ふと音読が途切れ、口の中に暖かい何かが入ってくる。初めての接吻に驚きを隠せない。少しだけ怖くなる。何も言えないまま、何かが外に出てくる。燃え上っている少年の顔を置き去りにして、音読は再開されていく。今度は頭をさすられた、なでられる感触もした。少年はAちゃんになされるままだったそうだよ。

 少年は、Aちゃんは最後のページにたどり着いた。あとがき、なんて延長戦もある訳がなく、とうとう最後まで、来てしまった。二人で言い放つ。おしまい。そう、ここでおわり。二人は完結した。

 その瞬間Aちゃんの気配はなくなっていく。抱きかかえられる雰囲気も、かすかに香る甘いにおいも、全部喪失した。消えてなくなった。自らの別人格に恋した少年は、理不尽にも引き離されちゃった。

 ここで二人のお話はおしまい。

 じゃないんだよね。その後なんとか立ち直った少年は、勉強しながらも自らの病気に、感情に、環境に立ち向かった。調べ上げた。そして、少年は多重人格の本質を見つけ出すことが出来たんだ。

 まず少年が驚愕した事は【自分は多重人格ではない可能性がある】という事だ。確かに記憶が飛んでいる場面もある。  けれど、物忘れといったメモ帳で対策できる小さな問題だけだ。Aちゃんは間違いないが、他の人格の声は殆ど聞いたことがなかった。トラウマもAちゃん以外には思いつかない。そりゃ自分だって怒ることもあったかもしれないけど、豹変までは激怒しないと思えた。

 しかし、唯一気になった問題は、人から声をかけられた時に反応できないことだった。考え事は基本しないんだけど、偶にAちゃんを思い出して情景に浸ることがある。その時に声をかけられてしまうと気づかない事があるかもしれない。注意しようと心に誓ったんだって。

 共通点も多いが、Aちゃん以外は小さな問題だけだった。Aちゃんだけが、特異点だった。まず、本当に自分の人格なのかすら疑わしい。何故女性の人格が現れるのだろう。過去の事例にもありはするんだけど、何か違う気がした。どうも引っかかるんだ。また、何故甘いにおいを醸し出せたりしたのだろうか。ただの人格なら現実に、五感に影響を与えることもおかしい筈だと少年は考えた。何より接吻までもされているんだ。どう考えても自分の人格とは思えない。何かがおかしい。

 いくら進学して中学生になったとはいえ、調査には限界がある。もう駄目だ、迷宮入りだと諦めたその時、図書室でとある本を見つけた。

「朝の怪談 音読の書」??

 怪談、ホラーの本だった。普段の彼なら一瞥もせず立ち去るだろう。しかしこの時は、気になって気になって仕方がなかった。本を借り、ボロアパートで一人読書する。Aちゃんがいなくても、Aちゃんが居た証として、続けていた。さらさらとあっという間に読み通し堪能する。あぁ、やっぱり本は、小説は、面白いや。

 けれど、Aちゃんの謎は未だ解けないままだ。本を床に置き、シャワーを浴びる。そういえば本にもシャワー室の幽霊の話があったなと少年は思いだしたんだ。幽霊…幽霊かあ。そうだ、それじゃないか!!。閃き、次の日父に相談し不動産に二人赴いた。

 「あー…そうですよ。お宅の住んでいる209号室は事故物件ですよ。何処でお知りになったんですか。」

 大当たりだった。あの日々のAちゃんは幽霊だったんだ。その時の衝撃はデカかったそうだよ。店員が身振り手振りで教えてくれたんだ。なんでも二人の住んでいる部屋は数年前にダメ彼氏と献身彼女が住んでたんだって。

 彼氏に振り回された彼女が、子供を産んだはいいけど育てきれず行政機関に引き取られたんだって。その赤ちゃんは順調に育てば今頃高校生らしいよ。大変そうだね。幸せにしてればいいんだけど。親も居ないのに心配だね。お金は持ってるのかな?ごめん、話を戻そう。

 借金も多かったらしくてね、結局自殺してしまったらしいよ。ダメ彼氏も逮捕され、だれも救われないまま、事件は終わった。それで今の事故物件だけが残されていたんだね。その後自分たちが、少年家族が引っ越してきたんだ。

 この話を聞いた父親は

「ならば除霊しよう」

 と即座に答えたんだって。当然少年は抗議する。Aちゃんは自分の大切な人だから絶対に居なくなって欲しくない。声を荒げて喚く少年に引きながらも、除霊を諦めたそうだよ。

 ところが不動産に向かった次の日の朝、玄関には塩の山が皿の上に盛られていた。塩は黒くなっていなかった。怒りのままにそれを蹴り飛ばし少年は自分の父親の胸倉を掴んだ。

「お前おかしいよ。学校で頭を冷やしてきなさい」

 そう言い放たれ、仕方なく少年は学校に向かった。大きなたんこぶをつけながら、ね。

 結局放課後まで考え抜いても何が悪かったのか分からなかった。仕方なく、帰りづらいのもあり、図書室で一人本を読んでいた。

「朝の怪談 音読の書」だ

 読んでいると。嗅いだことのある甘いにおいと頬に強烈な衝撃が走った。思わず椅子ごと後ろに倒れる。鏡を見ると顔に真っ赤な手跡が残っていたんだって。いきなり倒れたもんだから、他の生徒も大丈夫ですかと心配してくれる。ずっと前から仲良くしてくれた友達が手を差し伸べてくれる。その手を、彼は、ぎゅっと掴み取った。

 その後も二人は事故物件のボロアパートに住んでいる。除霊したのか、しなかったのか、それは教えてくれなかった。一つだけ言えるのは、少年はきっと、人生最後の日まで本を愛し続けるだろうね。

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その恐怖は、人に寄り添う @yumesaki3019

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