花冠

終わる

  空現の夢

     魔女たちの志向

           欲動なる意志

                空洞の花束

                    虚空世界の箱

  獣たちの祭祀 

       時の旅人

          言葉の方舟

              幸福な猫

                 在りし人形師

                      鉱石の国

  魔女たちの星

       空夢の現

          始まる

            神の花

              それは壊れたもの

                     星の花

それは耀くもの

      苦の花

        それは報いるもの

               祈の花

                 それは冀求するもの

  翁の花

    それは燃ゆるもの

           蚱の花

             それは映えるもの

                    恋の花

                      それは捧ぐもの

     空の花

       

       それは不在なるもの



 無意味の定義を免れた花よ、貴方は畢竟夢である。なればこそ、空想において咲き初めた貴方は何を求めて現象するのか、いつか、己れの意志で決めるだろう。哀れなる綵花たちよ、斯くあるべくして描画された貴方たちは美しい。貴方が望めば望むとおりに世界は応えることだろう、それが綵花に与えられた権力ちからなのだから。


   *

 

 私は現実が嫌いだ。こんな世界を創った神が私は大嫌いだ。私がギルガメッシュ王となり、友エンキドゥと共に滅ぼしたいくらいだ。もしも神とやらがこの世界と私たちのを生み出したのなら、そいつはきっと陸でもない奴に違いないし、世界を一週間で創り上げるほど勤勉な奴ではないだろう。無人のビルの屋上でシンメトリーになった静寂を見上げ、ふうと息を吐く。上等な物語ならば、こんな時に煙草でも咥えていればさぞ絵になるのだろうが、残念ながら自分は現実に生きるただの高校生なので、しかも煙草が似合う良い女すなわち美人──美しい人間など存在しないが──でもない中途半端な容姿なので、バッチリ決まったヒラヒラ服なんて着ないし似合わないので、さらに煙草とか大嫌いなので、どうしようもない。歩き煙草は死すべし。現実というのはフィクションより面白くあることは無いし、美しいこともなければ因果的でもない。

「誰が生めと頼んだ……! 誰が造ってくれと願った……! 私は私を生んだ全てを恨む……! 逆襲はしないけどね、あーあ、もう少し面白い世界に生まれたかったな」

 態とらしくあいつに向けてぼやく。

 反出生主義者になるつもりはないが、子というのは親のエゴによって存在を認められているし、子において親ガチャの当たり外れがあるのは事実だ。他方、子は子のエゴで親を頼り利用しているし、親においても子ガチャの当たり外れは存在するけれど。必然的に、間引きのために存在させているのだろう。そんな親子という関係性を失くした子への保障も無い辺り、神は子供をぽんぽんと創りながら育児は他人に任せるネグレクタービッグマムだったに違いない。

 誰がネグレクターだ!

 誰がビッグマムよ!

 といった文句が飛んできそうだが、実際、神なんていうのは私にとって害悪でしかない。存在しない方が人類に益するところは多いと断言したいほどだ。もしも神が不在だったなら、この世界はもう少しまともな気色をしていたに違いない。

「今日も素晴らしい一日だというのに何を黄昏ているの。相変わらず陰気なのですね」

 ほら、やっぱり陸でもない。

「お前に会わなきゃ、平凡な一日が陰鬱な一日にならなかったのに。用がないなら消えなよ」

 時々、自分の世界が現実であるという確信が朧夜ろうやの月のように感ぜられることがある。現実と夢の境界線が酷く曖昧で、どこまでの記憶が現実なのか判らなくて、不安定になることがある。こういった症状は解離性障害の一種、離人症性障害と似ているようだが、病院で診断してもらったこともなければ今後もしてもらう予定はない。

「夢を、思い返していたの?」

 ある時の私は魔女。

 ある時の私は黒い猫。

 ある時の私は身体の大きい怪物。

 ある時の私は自動人形。

 ある時の私は異世界の冒険者。

 この時の私は女子高校生。

 そんな具合に、どう考えても最後のが現実だろうに、むしろこの現実こそが夢寐の瞬く隙の次元で、他の世界が現実だったような気がするのだ。気がするだけなので、気のせいに違いない、私はそこまで痛々しい人間ではないのだから。

「……そんなんじゃないよ。そもそもロリに言う義理は無い」

「ロリって言うのやめなさい! もお、命の恩人に、もう少し感謝とかしていいんじゃない?」

「勝手に助けたつもりにならないで、私は勝手に助かっただけ。運悪くね」

「酷い人間、そういうところも素敵よ」

「気持ち悪いな、……もう帰ってよ」

 どちらが始まりか。

 どちらが終わりか。

 こんな問答には意味が無い、どうせ視点を変えるだけで変わるものなど規定するだけ時間の無駄なのだ。私の人生は決して『物語』などではない、しかし私の人生は私によって物語られてゆくことを免れない。理不尽なようだが合理的である、だから残酷だと人は感じる。此処において、誤謬となる現象は一つも描画されない、徹底的に例外を排除した構造──何て味気ないのだろう。

 こんな現実を美しいと思う奴はきっと、シンメトリーとか数式を美しいと述懐するタイプだろう。確かに数式は美において重要な役割を果たしてきた、しかしあくまでもそれは要素であり、知覚されるゲシュタルト自体は数式ではない。譬えば、スーラの点描画『グランド・ジャット島の日曜日の午後』は実に精緻に当時の風景を描いているが、構成している点そのものに美を感じる変態はまずいないだろう。勿論、彼らの言いたいことがこんなことでないのは理解しているつもりだが、人間に都合よく加工──架空──された概念を信奉して剰え美しいなんて、私には一生共感できないだろう。

 それに彼らはきっと、不安定で予測など到底できない心象風景の美しさを、殆ど解さないに相違ない。経験上。まあ、些か偏見が過ぎるのだろうか。

「で、いつまで独白を続けるのかしら。花はもうさいたのですから、始めなければいつまでも終わらないわよ?」

「花? 巫山戯たことを言わないで、こんなに不自然で静的なものは花なんかじゃない、唯の造花だよ」

「あら、だからこそ魅力的なのでしょう、花はいつか枯れてしまうのだから。偽物だからこそ、本物よりもより美しくより永く存在できる、貴方の退屈も少しは紛れると思うけれど?」

 私は、この自称神が心底厭わしい。

 現に紛れ込んだ夢なんて、矛盾もいいところだ。矛盾とトートロジーは何も語らない、何も描画しない無益な存在なのに。何が正しかったのか、誤っていたのか、凡てが遠く、全てが傍に、総てが遙かまで、空想の下に在る。

「退屈じゃない現実なんて、現実じゃないのよ」

 人間らしくない悪意の塊が咲き乱れて、瑠璃色に染まる。

「やっぱり貴方って面白いわ。じゃあね、マリー。また、逢いましょう」


 何度でも言ってやる。私なんてものを創造した奴は、筋金入りの陸でなしだ。そうでなければいけない、こんな陸でなしを生み出す者はそうでなければならなかった。それでこそ、何者にもなれなかった「私」は「私」たりうるのだから。


 花は幻、空は夢。

 両者に告げるは、端的な花の掟のみ。


 空の鏡面に咲く綵花はなよ、花身の散りなば裂き果てよ────終末の呪いで空が啼いた。

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綵花物語 夢乃陽鞠 @konohaneko

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