ペシミスティックな思想に囚われ続けていた存在者が、始まりからお終いまで自らが永遠の相の下に自由であることの確知へ至る、劇的な現象が描かれるでもなくただ意識の流れのみを感取しうる。そんな物語であったように私には思われました。
少女の愛による救済も、畢竟私たちの心延えによって自由に解釈することができるのであれば慈愛と見ることも自己満足と見ることもできるのでしょうけれど、どのような形であれその差異は些事にすぎず、彼女が自分自身の肯定に至ることこそが彼女にとっての本質的な肯綮だったのではないでしょうか。かるがゆえ、“彼女こそが彼女の神である”というのは、その帰結を簡潔に示唆しているようで象徴的ないし印象的な表現でした。