閑話
閑話 ある老婦人の手記
あれはいつ頃だったかしら……
私が家を下宿として貸し出す事を決めてからすぐの事だったと思います。
郵便局の方から電報が届きましてね。
下宿の部屋を借りたい、との旨のご連絡をいただきましたよ。
それがカラマンリス侯爵家の家庭教師だという事は、下宿の様子を見に来た使いの方にお
ええ、下宿として家を貸し出している方は、私以外にも沢山いらっしゃいますが、私は初めての事でしてね。ちゃんと借主の身元を調べた方がいいと聞いていたので確認させていただいたんですが……
その方はちゃんと、カラマンリス侯爵からの紹介状も持っていたものですから。
ビックリしましたよ、本当に。
まさかそんな高貴な方から直々にお手紙をいただくとは思ってもいませんでしたからね。
……でも、本当のところ、ご本人たちがいらっしゃるまで信じておりませんでしたよ。
いらっしゃった方を見て、「ああ本物なのだ」と実感しましたけれどね。
お着物などは我々と同じ普通のお洋服をお召しでしたけれども、その
私も主人が大きな会社を経営しておりましたからね。色々な方とお会いしてきました。だから、少し話せばすぐに分かります。
その方が、どのようにこれまで生きてこられたのか、とかね。
ふふ。年の功というものですよ。
でも、あの方は気さくな方で。すぐ大好きになってしまいました。
私の手料理にも舌鼓を打ってくださいますし、その辺の娘のようにコロコロよく笑ってお可愛らしい。自分でアレコレなさる働き者ですし。こんな方がウチに下宿にいらっしゃって、とても嬉しかったですよ。
他の方々も面白い方々で。
でも、お子様がご一緒なさっていたのには驚きました。
一番小さい子は、最初女の子だと思っておりましたのよ! でも、聞いたら男の子だとか! もう私ビックリして!
当初、男の子がそんな女の子のような恰好をしているのに、失礼ながら疑問に思ってしまったのですけれど、「可愛いでしょう? 男の子でも、可愛い恰好もアリだと思いませんか?」と家庭教師の方に言われて──
確かに、と。
そういえば確かに、何故男の子は男らしい恰好、女の子が可愛らしい恰好をしなければならないのだろうな、と思いまして。
その子は別に女の子になりたいワケではないようで。ただ可愛い恰好が好きだとか。
特にそれで私が困る事もありませんし……その子も可愛い恰好をしていても、中身は普通の男の子でしたし。
そういうのも『アリ』だな、と改めて思いましたよ。
もう一人の少年は……当初は少し怖い、と感じてしまいました。何を考えているのか分からないというか。大人しいとはまた違って……なんていえばいいのか。
普通、あの年ごろの男の子などヤンチャ盛りでしょう? なのに、あの子はなんというか……うーん、言葉にするのは物凄く難しいのだけれど……
でも、あまり言葉は発さないけれど、お片付けの手伝いも率先してやってくれますし、こちらを気遣うそぶりも見せてくれて。
ありがとうって伝えたら、ちょっと顔がほころんで……ふふっ。可愛らしかったですね。
他の方々も色々な方がいて。
まぁ飽きませんでしたよ。
……ただ。何やら不穏な事をなさっているのかな、とは思いましたけれど。
『ダチュラを買ってください』と子供が来たら家庭教師の方を、大人が来たら他の男性を呼んでください、とか。
あのお顔が綺麗な男性が、時々家の脇の路地で何やら他の男性がたと話していたり。頻繁に電報が届きましたし、色々な方と沢山手紙のやり取りもなさっていたようだし。
この家の周りを、男性が見回っているような姿も見ましたよ。
今思うと、アレは家の中の方々を守ってくださっていたのですね。いえ、最初は怖くって。でも、人間とは怖いものね。私も次第に慣れてしまいましたよ。
孤児がこの家を訪ねて来たのにも驚きましたし。
まさかその子が、家庭教師の方のゲストだとは思いませんでした!
正直、ちょっと……その。匂いや汚れ等が、気になってしまいまして。思わず顔をしかめてしまいそうになった時、あの家庭教師の方から目配せをもらいました。
後から家庭教師の侍女だという方から
「お嫌でしょうが、どうぞ顔には出さずにお願い致します。気持ちは分かります。しかしその顔を見たらあの子が傷ついてしまいますから。孤児であるのは、あの子のせいではありません」
とご説明いただいて。
恥ずかしい気持ちになってしまいましたよ。
確かに。あの子たちも、好きで孤児として生活していたワケではないでしょうし。親や保護者がいないのですから、その日暮らしで汚れる事もあるでしょう。あの子のせいでは確かにありませんからね。
でも、私の嫌がる気持ちを感じてしまったのでしょうか。あの子は当初、
ある時、オレンジを直接あの子に手渡したんですが……
その瞳が。真っ赤な
本当に恥ずかしくなってしまいましたよ。
……あんなに美しい瞳を持つ子を、私は身なりで判断し嫌がってしまって……
反省しました。
それから。
……ここだけの話。
ちょっとワクワクしてしまいましたわ。
いえ、ね。
主人が亡くなった後、あれよあれよという間に会社が人手に渡ってしまって。
私は言われるがまま、書類にサインしたりなどしてしまったが為に──
主人が遺してくれたものの殆どを、他人に取られてしまいました。
私に残されたのは、この家だけで。
主人が生きていた頃は、それこそ沢山の方々がお客様として来てくださいましたが……
会社を手放して以来、ぱったりと来なくなってしまって。
自業自得でもあるのですが……正直、寂しい思いを、しておりました。
そんなある日に、騒がしい日々に巻き込まれて。
ふふっ……
正直、楽しかったですよ。
誰かが家にいるって、とても楽しい事だったのね。知らなかったですよ。
ワイワイと楽し気な話し声が聞こえてきたと思ったら、突然静かになったり。
ピリピリとした空気でいるかと思ったら、夕飯の時には笑い声が絶えなかったり。
寂しいな、退屈だな、などと思っていた日々が嘘のようになりましたよ。
ただの下宿の主である私にも、物凄く良くしてくれて。
本当に、楽しい日々で。
……そんな中、家庭教師の方が行方不明になったと聞いて。
肝を冷やしました。
そして、消沈した皆さんの顔……胸が潰れるかと思いました。
それで知ったのですよ。あの家庭教師の方がこの方々の中心であり、笑顔を引き出している方だったのだって。
だって、家が火が消えたように静かになってしまいましたもの。
行方知れずなのですから、そりゃ楽し気に過ごす事は出来ないでしょうが……皆さんの顔から、余裕が消えたというか。
主人が亡くなった直後の、会社の作業員たちの顔と同じでしたよ。
その後、あの綺麗な顔の男性が帰ってきて──
正直、どうなる事かと思いました。
玄関先で、義足の男性が顔の綺麗な方に殴り掛かりまして。綺麗な方は避けたんですが、同時にあの赤い髪の女性に投げ倒され、あの少年が首を押さえて……
あの侍女という方と可愛い男の子が私を守ってくださっていたので、私には特に危険はありませんでしたが……
後から聞いたら、誤解があったようだ、と。
どうやら、家庭教師の方が行方知れずになった原因が、あの綺麗な顔の方にあったのだと勘違いしたとかなんとか……
詳しい事は教えてもらえませんでしたが。
後から全員の方から「大丈夫です」と力強く伝えていただけたので、私はただ、あの家庭教師の方が帰って来るのを、ただひたすら待ちましたよ。
そして、皆さんの言葉の通り、帰ってきました。
思わず抱き締めてしまいました。
その時、こんな短期間なのに、家庭教師の方を我が子のように思っていたのだっていう事に気づきました。
本当に。あの方は不思議な方ね。
いないととても寂しい。
いるととても楽しい。
ずっと、ずっといて欲しいと願いましたよ。
その後……もう私の人生がおかしくなってしまったのかと思うような出来事ばかりで。
カラマンリス侯爵が、我が家へ来訪なさったのよ!!
侯爵様が! 私の家に!! なんという事でしょう!!!
それに!
この町でも噂になっていた人攫いの事件について、そのカラマンリス侯爵が解決なさったとか! そんな凄い方が家に!!
それだけじゃないのよ! 警ら署の署長や警部まで来たのよ!!
もうウチは噂の的よ! 何があったのって、近所の沢山の方から聞かれましたよ!
でも。
ふふっ。
近所の方には、詳しい事は秘密にしましたよ。
だって、言わない方が、楽しいでしょう?
きっとあの家庭教師の方々だって、言わないでいて欲しいでしょうし。
私には何も詳しい事は伝えられていないし。
つまり、そういう事でしょう?
あの家庭教師の方々は、下宿からいなくなってしまうとの事でしたけれど、今後も変わらず部屋を借り続けてくれるようですし。
今後はカラマンリス侯爵が直々に行う事業の仮事務所としても使うと仰っておりましたよ。
また我が家に、色々な人が来訪する事になるって事ですよね?
……主人が死んでから。
私はただ、このままゆっくりと、蝋燭が燃え尽きるかのように、やがて誰にも知られず消えてゆくのだとばかり思っていたのに。
あの家庭教師の方のお陰で、楽しい日々が戻ってきました。
まだまだ腐って小さくなっている場合ではありませんよね。
これからも、家を使う人のお世話等を、沢山やっていこうと思っておりますよ!
了
悪役令嬢の継母に転生したので娘を幸せにします、絶対に。王子? 騎士? 宰相? そんな権力だけの上っペラな男たちに娘は渡せません。 牧野 麻也 @kayazou
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