4 私が勝つ×2




 父親が近所に住む女性と再婚してから、しばらくして――それが異変のはじまりだった。


 自宅に届いたAV、家の中で見つかったエロ漫画……それらによって実家での僕の立場は危うくなった。

 父にすら、軽く説教されたくらいだ。僕が疑われている、それを知って、かつてないほどのショックを受けた。


 確かに紗代さよさんは魅力的な女性だけど――若くて美人な義理の母親の存在に、自分で言うのもなんだが思春期真っ盛りの僕が何も感じないと言えば嘘になる。


 しかし僕はやってないし、そういうことを考えたりはしていない。

 ……仮にしていたとしても、それを実行に移すわけがないだろう。


 だけど――


 パソコンでネットを見ていたら、やたらとそういう広告が目につく。よく利用する通販サイトのおすすめ欄にもそうしたものが表示される。

 まさかと思い購入履歴を確認してみれば――あったのだ。家に届いたものと同じだろう、AVの購入履歴が。

 事実として、僕のアカウントを通して購入されていたのだ。


 でも、僕はやってない。パソコンなら妹に貸した覚えがあった。きっとあいつの仕業……しかし、そんなことをしてなんのメリットがある? 僕への嫌がらせ? それとも再婚に反対で、両親を別れさせようとでもいうのか?


 そもそも、家の中で漫画が見つかったことだって不自然だ。たしかに僕も、自分で言うのもなんだが年ごろの男の子なのでそうした本を隠し持ってはいるけれども、どうしてそれが突然?


 ……誰かが、家の中の誰かが、僕を陥れようとしている……。


 極めつけだったのは、僕がたまたまみつみちゃんと外出していた時のことだ。

 近所の人の目がある中で、僕は警官に補導された。変態ロリコン扱いされたのだ。

 その時は結局、紗代さんに来てもらって事なきを得たのだが――


 誰かが、通報したのだ。警官はそれで僕を変質者だと思ったという。

 誰かが僕を攻撃している、僕を社会的に抹殺しようとしている――そう確信するのには、十分な出来事だった。


 そして、実際――まあ階段で転んで大怪我をしたのは完全に僕の不注意で、別に誰かに背中を押されたとかではないのだが――そういう事故が起きるくらいには、僕の精神は疲弊しきっていたのである。


 しかし、それは好機だった。

 僕は企んだ。


 この事故をきっかけに、全てを忘れてしまおう――そう、記憶を失ったフリをするのだ。


 そうすれば、少なくともかたちだけなら、これまでの不和はなかったことに出来る。怪我をし、記憶をなくしたのだ。僕への不信感より心配の方が勝る……そう信じたい。


 そして――僕を陥れようとしている何者かの油断を誘い、『犯人』の正体を突き止めることも出来るだろう――




                  ■




 その日、僕は家で彼女と二人きりになった。

 きっと記憶喪失になる前では起こり得なかったシチュエーションだ。


 犯人だけじゃない、みんなが僕に油断している証拠だろう――


 科川しながわさんはこれまでより親身になってくれた気もするが、それは単に僕が怪我をしたことが理由だろうか。意味深なメッセージの意図は読めないが、それは妹の二美ふみの企みを警告したものかもしれないし、あるいはそうやって僕の心に付け入ろうとしているのかもしれない。


 そして実際に妹の二美は何やらおかしなことを言い出した。僕が記憶を失っていないと確かめるための冗談、あるいは記憶を取り戻したあと、からかうことが目的なのか。それとも、「妹に手を出した」――そういう罪をでっち上げ、僕を陥れようとしているのか。


 今の僕には本当に、誰も信用できない。

 しかし――あの事故以降、唯一明確に態度の変わらなかった人物が一人いる。



「お兄ちゃん」



 リビングで思考を巡らせていたところ、不意に、後ろから声をかけられた。


「ゲームしよ?」


「みつみちゃん……」


 父の再婚で僕の義理の妹となった――もともと近所に住んでいたため、昔から付き合いのある小学生の女の子。歳の差は離れているが、幼馴染みと呼べる関係かもしれない。


 みつみちゃんはテレビの前に移動しゲーム機をセットすると、とことこと歩いてきて僕の前に座った。

 上、というべきか。

 ソファに腰掛ける僕の膝の上――膝のあいだにすっぽりと収まる。

 それまでの家族の雰囲気などお構いなしに、普段通り――何気ないそんな行動が、いちいち僕をどきりとさせる。


 幼いながらに魔性を秘めた女の子だ――などという考えを、ゲームに没頭することで振り払う。


 それにしてもこの格好、とてもやりづらいのだが。

 みつみちゃんの頭より上に腕を上げてコントローラーを持たないといけない。腕を下ろせれば楽なのだが、そうするとみつみちゃんを抱え込むような格好になってしまう。

 何も知らない人から見れば仲良し兄妹の図だけど――見様によっては、特にこの家の人間にとっては、僕が何かいかがわしいことをしようとしているように見えるだろう。


「あー、また負けたー」


 みつみちゃんが僕の身体にもたれかかる。まるで僕は人間椅子。小柄な身体に、人の温もり。彼女の髪が僕の喉をかすめ、少しくすぐったい。やっているのがレースゲームのため、カートの動きに合わせて彼女はよく体を傾けるのだ。


「お兄ちゃん、勝負しようよ」


 みつみちゃんが僕を見上げ、そんなことを言う。


「勝負……? これまでの連敗は勝負じゃなかったと?」


「そうじゃなくて……。次みつみが勝ったら、なんでも言うこと聞いてね?」


「僕が勝ったら?」


 固唾を呑む。僕はみつみちゃんを直視できず、テレビに映ったゲーム画面に目を向ける。僕が勝ったら……、なんて。何を言ってるんだろう僕は。


「みつみのこと、好きにしていいよ」


「っ」


 何を……何を言ってるんだ? 不意の言葉に、息が詰まった。


 レースが始まる。


「お兄ちゃん、ずっとそうしたかったんでしょ?」


 みつみちゃんは画面の方に顔を戻してしまい、その表情は窺えない。

 まさか、まさかという疑念が首をもたげる。


 この家で、僕を陥れようとしている人物――


 両親を別れさせる、あるいは僕を排除することで利益を得るのは誰か。

 この子はきっと、僕の部屋であの漫画を見つけたのだ。そして、僕が自分の身を狙っていると警戒したのだろう。それで策を練った。僕を追放するための策を。この子は昔から聡い子だ。信じがたいが、有り得ない話ではない。

 実際、通販の荷物を最初に開けたのも、漫画を見つけたのも、あの日、僕を外に連れ出したのも彼女だった。


「な、何言ってるの……。そんなこと――」


 まずは誤解を解かなければならない――


「でも、そういうえっちな本もってた」


「あ、あれは……!」


 小学生相手にするような言い訳ではないと重々承知の上だが、それでも言わずにはいられない。あれは、友達から渡されたものだ。半ば嫌がらせのようなもの。僕の親が再婚すると聞いて、義理の母親と妹が出来ると知ったら友人の悪ふざけ――


「あぁ、やっぱりお兄ちゃん――うそ、ついてたんだ?」


「……!」


 しまった。今の僕は記憶喪失――漫画のことなんて忘れているはず。


「う、うそって……?」


 我ながら白々しいが、相手は小学生。まだなんとか弁明できるかもしれない。


「な、なんのことだか……」


「……お母さんたちを騙して旅行させて、みつみと二人きりになろうとした――そういう後ろめたさがあったから、事故の衝撃で記憶がなくなっちゃったのかなあ?」


「っ」


「知ってるんだよぉ、あの旅行券、お兄ちゃんがこっそり用意したんだよね……?」


 彼女がもぞもぞと身動きするたび、太ももの内側がこすれ、僕の身体は少しずつ汗ばんでくる。生唾を呑み込む。カートがコースから落ちる。鼓動が早まる。激突する。落ち着かない。


 なぜだ? なぜなんだ? どうして彼女はこんなことをする……?


 自分の身が狙われているかもしれないと思うなら、わざわざこんな……必要以上に密着する必要なんてない。むしろ距離を置くはずだ。にもかかわらず、まるで誘惑するかのように――どんどん身体を僕に擦り付けてくる。とてもじゃないがゲームに集中なんてできない。


「ど、どうして――みつみちゃんがやったのか? あの荷物も、漫画も、通報も……? なんのために……」


「どうしたのお兄ちゃん? ? もう周回遅れだよー? 負けちゃうよ……?」


「う……」


 もしも負けたら、そのとき僕はどうなってしまうのだろう。


「さっき、どうしてってきいたよね……?」


 応える余裕がない。周回遅れでも、アイテム次第ではまだ――


「だって……お母さんとおじさんが結婚してると、みつみとお兄ちゃんもおんなじ名字になっちゃうでしょ……?」


「? ……?」


 一瞬考えたが、なんのことだか分からなかった。



「そうしたら――お兄ちゃんと結婚できなくなっちゃう」



 ……!


 雷にでも撃たれたような気分だった。


 そんな……。まさか、そんな理由で?

 でも、納得できる――手段はともかく、小学生なら、そんな風に考えるかもしれない。実際、兄妹になってしまったら結婚は出来ないのだし。


 だけど――


「父さんたちが離婚しちゃったら、僕とみつみちゃんは離れ離れになっちゃうよ?」


 ここは冷静に、冷静に――思うほどに喉が渇く。声が震える。


「今は結婚できなくても……おんなじ名字なんだから、もう結婚してるようなもんだよ」


「! ほんと……? お兄ちゃんも、みつみのこと好き……?」


 社会的地位を守るためにも、ここは落ち着いて彼女を説得しよう。相手はしょせん小学生だ。なんとかなる。今後暴走しないように――僕は腕を下ろす。彼女を抱え込むような格好になるが、今は誰の目もない、気にする必要はない。


「僕も、みつみちゃんのことが好きだよ」


「ほんとに……?」


「うん――」


 恋愛感情があるかと問われれば、うまい返事は出来ない。だって、相手は小学生だ。そりゃあ可愛いし、妹のような存在――というか本物の妹よりも妹らしく、僕は彼女のことが好きだと思う。

 でもそれを認めると、公言すると――こう、ロリコン扱いされるではないか。それを恐れずに頷けるほどの強い感情があるかといえば、やはり答えに困る……。


 なんにしても――これで、彼女が納得してくれるなら。

 これで脅威が去るのであれば。

 それはつまり、僕の勝利だ。平穏は保たれる――


「あ、みつみの勝ちだね」


「……そ、そうだねー……」


 やはり逆転は難しかった。


「まだ、シたい?」


 喉がつまり声が出せず、僕は無言のまま首を横に振った。


「じゃあ、なんでも言うこと聞いてくれる?」


 ここは、頷く他ない。


「じゃあね――」


 僕の身体に甘えるように身を預け、もったいぶるようにしながらみつみちゃんは言う。


「これからずうっと、お兄ちゃんは他の女の人とお付き合いしちゃダメだよ……? お兄ちゃんは、みつみのものなんだから。もしも、約束を破ったら――」


 彼女はコントローラーを放って、僕の方を振り返る。

 膝をソファに乗せ、僕に押し付けるようにしながら、両腕を僕の首へと伸ばす。



「お兄ちゃんにやらしいことされたって、みんなに言いつけちゃうから」



 約束だよ? と彼女が僕を抱きしめる。

 僕は凍り付いたまま、しばらくそこから動けなかった。



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誰かが嘘をついている? 人生 @hitoiki

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