興味深いSF設定の中で繰り広げられる現実

『君は霧中』と聞いてどう思うだろうか。
『君は夢中』の言葉遊びかなと思うかもしれない。
否、それならば『君に夢中』というものの言葉遊びで『君に霧中』であるべきだ。
なぜ、君「は」霧中であるのかという答えは結末で全て判明する。

人生とは暗中模索、作者の言葉を借りれば五里霧中とも言えるだろう。
和明と花音の住む世界は赤く微発光する霧に包まれていた。
このSFともとれる設定が作中の舞台装置としてうまく作用しており、ただの思いつきではなく、ちゃんと霧に包まれた世界という世界を物語に落とし込めている点は非常に評価できる。
霧があるからできること、できないこと。
もちろんここでは読む楽しさを損なわせないためにどういうものがあるか紹介することはないが、これが絶妙で素晴らしい。
人生の難しさを世界に反映させるという荒業が上手くハマった良い例と言えるだろう。

次に評価できる点は何よりもこのSF設定を良い意味でストーリー面で活かさないということだ。
私の好きな映画にバックトゥザフューチャーというものがあるが、この映画で主人公はタイムマシンがあるというのに、自分の父と母が恋に落ちるように奮闘する。
世界をより良くするためにタイムマシンを使っても良かったはずだ。
それがこの『君は霧中』にも言えて、このどこからか発生した霧の正体を突き詰めるとか、霧が発生したが故の世界的危機を描いても良かっただろう。
でもこの『君は霧中』はただの教員二人の恋愛に焦点を充てている。

考えてみてほしい。コロナという世界的危機が起きて、ゾンビが発生したり、悪い企業が世界で台頭したりしただろうか。
もちろん多くの死者を出したし、様々な陰謀論が囁かれているが、結局私たちは、コロナがある状況に順応するように生活を変えていった。
それがまさにこの『君は霧中』でも精緻に書かれており、世界が霧に包まれるなんて言う舞台装置を考えていながら、ただの現実を描いた。
ある種その現実より現実らしいストーリーラインが、今までにないSFの体験を感じさせてくれる。

何よりもそういった世界より登場人物の生活にぐっとひきつけられるのは、作者の文章力が故で、登場人物の特に和明の心理描写というのは、言い方が悪いが気持ち悪いくらいに、浮気された男の心情を克明に表していると思う。
文章もWEB小説としてはあまりない改行などが少ないため、生半可なWEB小説が嫌いだという人にはお勧めできるが、ランキングの流れなどを見れば挑戦的ともいえるだろう。
私としてはこの挑戦は非常に好感度が高く、応援したくなる。

一つ気になる点を挙げるとすれば、第七話と第八話が他の話数に比べ、文字数が少ないということだ。
それが作者にとって仕掛けだったのか、息切れなのかは読者である私にはわからないが、今までの描写がとても丁寧だったこともあり、この二話は息切れのように感じてしまう。
また作品のネタバレになるために多くは語らないが、もう少し和明の心情を読んでみたかったという思いがある。
しかしそれこそ冒頭で述べたように『君は霧中』なのだから、現実より現実らしいこの作品はこれでも良いのかもしれない。

最後になるが、『君は霧中』非常に面白い作品であった。
こんな作品がもっと増えることを願いたい。