第20話 ヒックとチキ。

 興奮が抑えられない。

 ヒックは、カマクラから外に出たチキを引っ張って、さっきの通路へ向かう。

 左右から飛び出し、アスレチックのようになった樹木を抜ける。

 ヒックは二度目なので、ペースが早い。チキはそれよりも早かった。


 通路の奥、行き止まりの壁に辿り着く。


「ここになにかあるのか?」

「なんで僕よりも早いんだよ……」


 チキを追いかけたために、ぜえはあ、と息が荒いヒックを見捨て、チキが壁に触れる。

 数秒後、ばっと手を放して振り向いたチキは、涙目だった。


「……熱かった」

「だったらすぐに離しなよ」


 宙に置いたままのチキの両手を握る。

 にぎにぎしながら痛みを和らげてあげた。


 チキには悪いが、この後、また壁に触れてもらわなくてはいけない。

 心苦しいが、脱出のために必要なことだ。

 ひとりでできるとは思えないので、手伝ってもらわなければならない。


「えっと、それでね、チキ」

「チキはどうすればいいの?」


 いくらかマシになったのか、手を離して、チキは周りの壁をぽんぽんっと叩く。

 ずっと触れていたら、もちろん熱いが、一瞬ならばどうってことはない。

 多少は、あちっ、と手を引っ込めることもあるが。やり方の問題だった。


「ここにきたってことは、ここをどうにかすればいいの? 

 自信満々の顔してるから、たぶん、解明できたんだろーけど」


「……うん。解明できたよ」


 たぶんね、と自信なさそうに付け足した。


 顔は自信満々でも、口は保険を張っている。


 そういうところはかっこーわるい、とチキが呟いた。


 小さく呟いたつもりだろうけど、思い切り聞こえていた。ショックだ。


「ヒックー。ここの雪、まだまだ奥にあるみたい」


 壁に張り付いている雪をぽんぽんと叩いていたチキは、違和感を抱いたらしい。

 一か所だけをずっと叩いていた。


 ショックから立ち直ったヒックは、チキの隣に。

 ヒックの考えが正しければ、この奥こそが出口だろう。


「チキ、ごめん。熱いだろうけど、ここを掘りたいんだ。協力してくれる?」

「……チキは断らないよ」


 断られた経験は多いのだが。いまは言わないでおこう。


「ありがとう、チキ」


 そして、二人で掘り進める。

 突き刺す熱い痛みがあるので、長時間は触っていられないが、

 できるだけ雪を触り、掘り進める。二人分の幅の小さなトンネルができ、やがて光が見えた。


 ヒックとチキ、二人同時に、雪の壁を突き抜けた。

 外の景色が見える。上空から顔を出す、世界を照らすお日様。

 真下に見える白と緑色の森林。岩に積もる雪は、もうほとんどが溶けている。


 ヒックが危惧していた豪雪は、もう通り過ぎたのかもしれない。


「出られた……」

「うん。出られた――よかったぁ!」


 ヒックが、はぁ、と安堵の息を吐く。

 チキは、もぞもぞと先に進み、足を地につけた。


 足は山の斜面、そこにある岩の上だ。

 不安定で、いまにも転がりそうな岩がところどころにある。

 斜面が凸凹していて、しかも溶けた雪が岩を濡らしている。滑りそうな足場だった。


「チキ、待ってよ!」


 ヒックも慌ててチキのあとを追う。


 岩の上に足をつけたヒックは、チキに手をばってんにされて止められた。


「ゆっくりいかないと滑ってごろごろ転がっちゃうよ」


 その通りになりそうだったので、ゆっくりと歩くことにした。


 凸凹とした道を上がり下がりしながら、斜面を下っていく。




「チキ、怪我は大丈夫?」


 あの洞窟の中で、痛みは寒さによって麻痺していたが、外に出たら洞窟の中よりも温かい。

 麻痺も、じきに取れてくるだろう。

 そうなると、いままで感じていなかった痛みが現れてくるはずだ。

 全身を切り刻まれているチキの怪我の痛みは、どうなのだろう?


「人のこと言えないと思うぞ」


 その通りだが。いまのところ、ヒックに怪我の痛みはない。


 ないからと言って、これから先もないとは言えない。

 早く街に着き、きちんとした治療を受けなければ、本当に安心はできなかった。


「チキも、いまのところ痛みはないよ」


 チキは元々、痛みに鈍感なところがある。

 だからその言い分をそのまま受け止めることはできないのだが。

 しかし、強がっている、わけでもなさそうだ。

 自然体なので、ヒックは追及しなかった。


「痛かったらすぐに言ってね」

「ヒックもな」


 すぐに無理するからなー、とチキに言われた。


 どうやら、互いに内面が丸わかりらしい。

 一年も一緒にいるのだ、会話がなくとも、意思疎通くらいはできてもおかしくなかった。


 謎の種までは、

 さすがに言葉なくして、伝えることはできなかったが。



「今回はどんな謎があったんだ?」


 ひまつぶし感覚でチキが聞いてきた。

 大事な部分のはずなんだけど……、


 この謎が解けなければ、ヒックたちは閉じ込められ、

 食糧がないまま、餓死してもおかしくなかったのに。


 チキからしたら、そんなものなのだろう。

 流れに乗っていたら脱出できたから、ラッキー、程度の認識なのかもしれない。


 ヒックも、今回は突然の閃きが、一瞬で答えに辿り着いたものなのだ。

 情報を集めて解明したわけではない。

 努力はほとんどしていないに等しい。ただ、環境に苦しめられていただけだ。


 しかしまあ、解明なんてほとんどがそんなものかもしれない。


 たったひとつの、偶然の閃き。

 それを上手いこと、答えに結び付けられるか。


 運が重視される。

 そこを運に左右されず、

 いつでも情報ひとつから答えを導き出させるのが、本当の解明士だ。


 ヒックの目指す場所は、遠く、高い。



「確信があったわけじゃないんだけどね――」


 あの洞窟の中には矛盾があった。

 寒さによって感覚が麻痺しているのにもかかわらず、雪の熱さを感じた。


 雪が燃えているわけではなく、恐らくは自分の手が冷え過ぎて、

 雪でさえも熱く感じてしまっただけだろう。


 感覚が麻痺しているのならば、たとえ熱くても、熱さなんて感じない。


 あの空間だけ、感覚が戻っていたのだとしても、

 だったら痛みだって感じるはずだ。


 感覚が麻痺して、なにも感じられなくなっている状態で、熱さを感じた。


 だから矛盾していた。


「ん? でも、だからってなんでそこが出口だって思ったんだ?」


「ほら、洞窟の前にあった立て看板」


 チキは未だにきょとんとしている。

 もしかして忘れているのだろうか? 

 だとしたら、説明するには前提が崩れてしまうのだけど。



『洞窟を通りたければ武器と防具を用意せよ』



「――って、立て看板があったんだよ」

「んー、あったかも」


 なんだか納得していなさそうな感じがするが、まあ気にせず進める。


「武器と言えば、連想するとなんだろう? 剣でしょ?」

「うん」


「防具は、鎧とか、盾とか」

「盾は武器って感じがするぞ」


 剣の付属品って感じがする。

 ヒックもそう思ったが、用途を考えれば、今回は防具に当てはまる。


「剣を他の言い方に変えると……矛、なんじゃない?」

「盾は……」

「盾は盾のまま。二つを繋げたら――『矛盾むじゅん』になる」


 ぽんっ、とチキが拳で手の平を叩く。


「そう。武器と防具を調達するのではなく、

 この洞窟の中で『矛盾』を見つける必要があったんだ。

 感覚が麻痺しているのに熱さを感じるあの雪こそが、矛盾。

 だから、あの場所が出口に繋がっているんじゃないかと思ったんだ」


 なるほどー、とチキは分かっているのか分かっていないのか、曖昧な返事だ。


「無理やりくせー」

「でも、出れたんだから、それが答えなんだと思うよ」


 結果が出ている。

 過程がどうあれ、これが真実なのだ。



「ヒック……ごめんなさい」


「謝らなくていいよ。

 チキの方が先に怪我したんだし、痛みが戻るのが早いのは当然だよ」


 チキを背負い、ヒックは斜面を下りて、森の中を進んでいた。

 ヒックの方は、まだ痛みは戻っていない。

 いまの内に近くの街に辿り着きたいところだ。


「チキ、大丈夫?」

「んー、なにがー?」


「ほら、痛いんじゃないかなーって」

「痛いけど、大丈夫だ」


 大怪我のわりに、チキ自身は、けろっとしている。

 体の言うことが利かないだけで、痛み自体はあまり苦になっていないらしい。


「痛いって、生きてるーって感じがするぞ」

「だって、僕らは生きてるし」


 なにも感じないのは、死んでいるようなものだった。

 痛くて、感じて。だからこそ、生きていると実感できる。


「あ、街が見えてきたよ」

「おおー!」


 森を抜けると、視界いっぱいに広がる大きな街。


 背負われているチキは、ヒックの肩に手をついて、体を伸ばす。

 ヒックの上から、街を観察する。


 その時――、ずきぃ!? と、

 ヒックの肩に、電撃が突き刺さったように、痛みが走る。


 よろめいたヒックは耐え、なんとか平静を保とうとするが――、


「……ヒック」

「ん? どうしたの、チキ」


「バレバレ」


 そう言って、チキがヒックの背中から降りる。

 チキも動きがぎこちないが、ヒックに背負われている間に、少しずつ回復していたのだろう。


 そして、ヒックの体を支えながら、共に歩き始めた。


「いいって、チキ。僕は大丈夫だから」

「聞こえないぞ」


 聞く気がないのだろう。こうなったらチキは止まらない。


 それが分かっているヒックは止めようとせず。


 流れるままに、身を委ねた。

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ヒック・チッキ:冬の章 渡貫とゐち @josho

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