第19話 解明、開始。

 洞窟全体が小刻みに揺れている。

 どうやら、チキが目的を果たしてくれたらしい。


 広場にて仰向けで横になっていたヒックは辺りを観察するが、目に見える変化はなかった。


 広場ではなく、一本一本、伸びる洞窟の中身が変化しているのかもしれない。


「もしかしたら、終わりなんてないのかも……」


 八本足のように伸びる通路の最後まで……、

 つまり行き止まりまで辿り着けば、いまある洞窟が切り替わる。


 洞窟内での変化は、いまのところそれだけだ。

 何度か切り替えれば、出口も出現するかと思い、ひたすらに通路を踏破しているのだが。


 この切り替わりは、エンドレスにおこなわれ、

 いくらやっても出口など現れないのかもしれない。


 まだ通路が切り替わるのは二回目だ。

 答えを出すには早過ぎる。

 しかし、軽くない手負いの二人にとって、

 のんびりと何回も、洞窟の切り替えをおこなっている時間もない。


 短くない通路の八本を踏破するのは、万全な状態ならばまだしも、

 いまの二人には、ただ歩くのも厳しいものがある。

 怪我はもちろん、空腹だって限界をとうに越えている。


 もう食糧は残っていない。

 微かな希望だが、この切り替わった洞窟の中に、食材があることを祈るしかない。


「チキ、おかえり」


 とぼとぼ帰ってくるチキは、ヒックの隣にどかっと座った。

 目線は、斜め下をじっと見つめている。分かりやすく不機嫌だった。


「ありがとう。チキのおかげで前に進めたと思う」

「……どーせ、まだ出れないんでしょ」


 チキの言葉に、ヒックは頷くことしかできなかった。


「でも、出れなくても食材ならあるかもしれないし」

「あるわけないよ。……あるわけないじゃん!」


 チキが怒鳴り、立ち上がった。

 睨むようにヒックを見下ろし、はっとする。


「……向こういってる」


 背を向けて、腕を使い、自分の目元を拭っていた。

 思わず怒鳴ってしまったことを後悔したのだろう。

 溢れた涙は、感情を表に出した影響か。


 まずいな、とヒックは思う。

 チキの怒りや不満はもっともだ。

 空腹とこの閉鎖空間によって、ストレスが溜まっているのも仕方ない。

 八つ当たりも、この際なら仕方ない。

 解決策を見つけられていないヒックも悪いのだ、甘んじて受け入れよう。


 ヒックが受け手になることで、チキの感情をコントロールできればいいが。

 いちばんまずいのは、怪我をしている状態で自傷行為に出てしまうことだ。


 傷が凍り、なんとか一命を取り留めている状態で自傷行為に出れば、体は耐えられない。

 程度にもよるが、いまのチキは、ギリギリなのだと思う。


 ヒックも同じだ。こうしていま、自分で思考できているが、

 思考できなくなった時、自分が自傷行為に出ないと、確信を持って言えるわけではない。


 できれば二人、常に一緒にいて、互いに見張れるのがいちばん良いのだが。

 洞窟から出るための努力を休むわけにはいかない。

 そして、二人一緒に探索するのも、共倒れの危険性がある。


 ひとりはやはり、広場で待機するのが得策だ。

 洞窟内の突然の変化にも気づけるし、洞窟内は声がよく響く。

 仲間の助けの声をいつでも聞き取り、助けにいける。


 休みながら、だったが。

 ヒックも、チキの声が聞こえたらすぐに動ける準備はしていた。

 幸いにも、いまのところ探索していたチキが危険な目に遭った例はない。


「チキ……今度は僕がいってくるよ」


 広場の隅の方で、膝を抱えて丸まっているチキに声をかける。


 返事はなかった。

 だが、小さく頷いてくれたので、安心してヒックは通路に向かう。


 肩を擦る。痛みはやはりない。

 弓矢のようなツララが深々と刺さっていたというのに。


 痛みはないが、無理はしないようにしなければ。

 挙がる手も、できれば使わないようにしよう。


 ひとつの通路を選び、進む。いつもと違う内装だった。


 ぬめっとした樹木が左右から飛び出ている。

 アスレチックのように高低差が激しいコースだった。

 怪我人には少しアクション性が強過ぎてきついが、いままでにないコースだ。

 ゴールに、着実に近づいているのかもしれない。


 そう考えると、急く気持ちは抑えられなかった。

 ヒックは無理してでも、このアスレチックを乗り越え、

 ヒックでもギリギリ通れる樹木の間の隙間を通り、抜けた。


 雪が積もっていた。

 洞窟の丸い内側を白一色に染めるように、雪が張り付いている。

 透明ではないところを見ると、広場の氷とはまた違う。

 何気なくヒックがその雪に触れると、突き刺すような痛みがあった。


「――あつッ!?」


 すぐに手を放して後じさる。

 まるで、炎に触れたかのような痛みだった。


 恐る恐る、もういちど、手を近づけてみる。

 至近距離まで近づけても、まだなにも感じない。

 炎ならば、熱気が触れずとも、伝わってくるはずだが。

 この雪にはそれがなかった。


 当たり前だが、この雪は炎ではなく、雪だった。


「自分でも、なに言ってるんだろって思うけど……」


 ははっ、と声を漏らす。

 雪が熱く感じるのは、恐らく、自分の手が冷た過ぎるからだろう。

 触れても火傷はしないだろうが、近い痛みを感じるはずだ。


 怪しい……と思う。

 こんなギミックがあるということは、もしかしたら――、


 ここが出口に繋がっているのではないか? 

 ヒックは覚悟を決め、通路のいちばん奥、敷き詰められた壁を、両手で思い切り押した。


 しかし、びくともしない。

 とても二人で押して開通できるとは思えなかった。


 力を込めた手の痛みも限界になる。

 手を離し、すぐにだらんとさせ、洞窟内の冷気に当てる。


 結局、冷えた手をさらに冷やしているだけなのだが。

 咄嗟の行動には、心を落ち着かせる意味がある。


「やっぱり、違うのかな……」


 せっかく持った希望を、打ち砕かれた気分だ。

 そんなものは、この洞窟内に入ってから、しょっちゅう起きていたことだったが。

 いつになっても慣れないものだ。


 ヒックは広場へ戻る。すると、変化があった。


 ダムが決壊したかのように、大量の雪が広場に流れ込んできていた。


「ちょ――チキ!?」


 通路に流れ込んではいないが、地面を全て覆うほどの雪だ。

 深さもヒックの足首までの数センチ。チキが埋もれるはずはないのだが。


 いや、一か所だけ、丸く膨らんでいる場所を見つけた。

 膨らんでいると言うよりは、建造物に見える。


 ヒックが近寄り、ぐるりと大回りし、

 向こう側へ向かうと、丸い建造物には入口があった。

 この洞窟の構造を小さく再現したような、ドーム状の形。


 カマクラ。

 その中を覗くと、チキがちょこんと座って温まっていた。


「おっ、おかえりヒック」

「……ただいま。あんまり心配かけないでよ」


「それはこっちもだぞ! いきなり雪が流れてきたから、

 向こうでヒックになにかがあったのかと思ったんだから!」


 ごめんごめん、とヒックは謝る。

 それよりも、さっきよりも元気が出ていたので、そっちに安心した。


 洞窟の上部を観察する。

 この雪は、どこから流れ込んできたのか。


 ヒック不在の内に流れ込んできたのだから、

 ヒックが通路を通り、なにかしたからこそ、流れ込んできた可能性が高い。


 そうとしか考えられない。

 思い返しても、特になにかをした覚えはないのだが。


 普通に進んでいただけだ。

 行き止まりの壁を押しただけで――、ん? もしかして、それが原因?


「でも、手応えはまったくなかったし」


 スイッチだとしたら、押し込まれるなり、がちゃこん、と音がするはずだが。

 もしかしたらタッチパネル式だったりするのだろうか?


「タッチパネル?」

「んーと、触れるだけで認識してくれる技術だよ。

 ほら、街の案内人が、全員ロボットだった国があったでしょ?」


「覚えてない」

「夏のはずなんだけどなあ」


 ともかく。


 こうしていつも通りに会話できるほど、お互い、気分転換ができたのは大きい。


 思考能力も段々と復活してくる。

 ひとつの疑問も、ぽんっと出てきた。


「……チキ、雪、触っても大丈夫なの?」

「なんで?」


 きょとんとしてチキが言う。

 通路の奥で感じた、炎のような熱さを持つ雪のことを考えると、

 このカマクラを作るのに、相当のがまんをしなければいけないように感じるが。


「雪は雪だよ」

「そうだけどさ」


 ほらっ、とチキが雪を持つ。


 それを放ってきた。


 咄嗟にヒックはその雪を受け止める。避ける余裕もなかった。

 手の中に収まる雪を感じ、あれ? と思う。


 まったく熱くない。というか――なにも感じないし。


 冷たささえ、感じない。


 そうだ、忘れていた。

 寒さによってなにも感じないのだから、熱さなんて、

 しかも冷たささえも、感じないはずなのだ。


 では、なぜあの時、あの雪を熱く感じたのだろうか?


 あの場だけ感覚が戻っていた? じゃあ、痛みも同じように感じるはず。


 手が冷え過ぎてて、雪でさえも熱く感じた、と思っていた。

 冷たさのせいで感覚は麻痺し、痛みを感じていないからこそ、

 ヒックはツララのダメージを感じないで済んでいる。


 麻痺してなにも感じていないのだから、

 たとえ手が冷た過ぎて、雪さえも熱く感じてしまうとしても、

 その感覚さえも、麻痺しているはずなのに――。


 ヒックは、あの雪を熱く感じていた。


 矛盾、している。


「あ――」


 ヒックは思い出す。


 そして、チキの手を掴み、カマクラから外に出た。



「ひ、ヒック、乱暴だぞ!」

「分かった、分かったんだよ、チキっ!」

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