日本人補完計画 〜蘭の花〜

塩塩塩

日本人補完計画 〜蘭の花〜

 絶滅危惧種を載せた最新のレッドデータブック2031年版の表紙には、俺の笑顔が大写しになっている。

 その横には、俺の引き立て役で、小さくヤンバルクイナとアオウミガメも写っている。

「やっぱり、こっちの方がTIME誌の表紙よりも目立つよな…。」

 俺はペラペラとページを捲り、ほくそ笑んだ。

 そう、俺は絶滅危惧種なのだ。


「ちょっと、あなた。また外が騒がしいわよ。ご近所さんに迷惑だわ。」

 妻は、家の周りに集まっている報道陣に辟易へきえきとしていた。

 俺はレッドデータブックを脇に置いて、のんびりと食後のコーヒーの湯気をくゆらせた。

「いつもの事じゃないか。これも有名税という奴だ、慣れろよ。」

「もう、ゴミを捨てに出るだけでも着替えて、化粧までしないといけない私の身にもなってよね。」

「はいはい、分かったよ。ちょっと顔を見せれば、奴等はしばらく大人しくなるんだ。まぁ、待ってろ。」

 俺は重い腰を上げ、ボルドーのガウンを羽織り、髪をオールバックに撫でつけてから玄関を開けた。

「やぁ、今日も俺は元気だよ。朝食は目玉焼きにフレンチトーストとプレーンヨーグルト、食後はコーヒーさ。」

 報道陣は『おぉっ』と沸いて、カメラのフラッシュがバシャバシャと光った。

 向こうで、一般人がキャーキャーと叫んでいる。

「それじゃあ、また。…そうだ、あまり騒がしくしないでくれよ。この街には俺だけが住んでる訳じゃないんだから。」

 困った様な顔を作り、俺が玄関を閉めると、報道陣は諦めていなくなった。

 これで半日は静かになるだろう。


「わぁ、早いわね。もう東京駅前はオールバックでボルドーのガウンを着た人で溢れてるみたいよ。」

 リビングの妻がテレビを見て感心していた。

「まぁ、俺はスターだからね。皆俺と同じ格好をしたがるんだよ。日本人の憧れの的だからな。全く俺は罪な男だ。はっはっは。」

 日本中が俺に熱狂し、俺の一挙手一投足に注目して俺を真似るのだ。

 そして、その熱狂は高まる一方だった。


 満足そうに微笑む俺に、妻が水を差した。

「何言ってるの。別にあなたが偉い訳じゃないでしょう。たまたま5人兄弟の3番目に生まれただけじゃない。」

 確かにそうなのだ。

 レッドデータブックの表紙を飾ったのも、俺自身が絶滅危惧種という意味ではなく、兄弟姉妹きょうだい長子ちょうし末子ばっしの間の子、つまり中間子が絶滅危惧種に認定されたからなのである。

 第一次ベビーブームの頃には4.5以上あった合計特殊出生率は、今や1.1である。これは、1人の女性が生涯で生む子どもの数が、ほぼ1人である事を意味するのだ。

 そうなると、世の中1人っ子と2人兄弟姉妹きょうだいばかりである。中間子が誕生するには3人兄弟姉妹きょうだい以上でないといけないが、これは合計特殊出生率を見れば分かる通り少数派となる。

 そんな少子化のご時世で、俺は5人兄弟の丁度真ん中の3番目なのだ。その珍しさから、俺は日本の中間子の象徴的な存在として、めでたくレッドデータブックの表紙に選ばれたのである。


 俺はかぶりを振って言い返した。

「偉そうに言うな。俺はもう働かなくてもいい特権階級なのだ。絶滅危惧種として国に保護されているし、お前だってそのお陰で生活が保障されているじゃないか。」

「そりゃ、感謝してるわよ。でも私は少子化を手放しに喜べないわ。」

 妻はそう言って、髪をかき上げ、ペアのボルドーのガウンを羽織った。

「本当に分かってないな。これは日本が豊かな先進国になった証なんだぞ。先進国というのは、女性の学ぶ機会が保障され、社会進出できる国なのだ。女性の社会進出は、結果として初産の年齢を引き上げ、自ずと生涯で産める子どもの数を減らす一因となる。そもそも産まないという生き方も当然認められる。そういう先進国としての成果の一つの側面として、少子化が起こり中間子の希少性というものが出るのだ。」

 妻は、俺の話を適当に聞き流してソファーに腰掛け、再びテレビを見ていた。

 その姿はペアのガウンのせいか、自分自身を見ているかの様な不思議なものだった。

 しかし、これは驚く事でもないのだろう。長年連れ添った夫婦というのは、似てきて然るべきなのだ。


 俺はコーヒーの後の一服をしようとポケットに手を突っ込んだ…が、タバコを切らしていた。

 これを機に禁煙しようとも考えたが、そんな軽い気持ちで禁煙できれば苦労はないのだ。それに、俺はこれからテレビでマラソン中継を観ないといけない。

「ちょっと散歩に行ってくる。」

 俺は黒のジャンパーに着替え、サンダル履きでかどのタバコ屋へ急いだ。

 勿論、その間も道行く俺のファン達は、オールバックにボルドーのガウンという今朝の俺の格好をして、ウットリと俺に見とれている。

「どうぞ、どうぞ。お好きなだけどうぞ。」

 同じくオールバックでボルドーのガウンを羽織ったタバコ屋の婆さんは、俺を見るなりカウンターへ山の様にタバコを積んだ。

「本当にいいのか。…悪いね。」

 タバコは無料ただで貰えた。

 昨日まで、金を払って買っていたのに、俺の人気の上昇スピードには目を見張るものがある。

 俺は上機嫌で来た道を戻っていたが、途中で右のサンダルのかかとがパカッと割れてしまった。

 不吉だなと思ったが、俺は一秒でも早く帰宅し一服しながらマラソン中継を観たかったので、右のサンダルを脱ぎヒョコヒョコと揺れる様に走って家に帰った。


 足を洗い、タバコに火をつけてリビングに入ると、黒いジャンパーを着た妻がマラソン中継を見ながら言った。

「ほら、あれ見てよ。」

 テレビには、黒いジャンパーを着て、左はサンダル、右は裸足の大人達がヒョコヒョコ揺れながらマラソンをしていた。

 沿道で応援している人達も、皆同じ格好だった。

「ひえっ。」

 俺はゾッとして妻を見た。

 すると、妻も家の中なのに左だけサンダルを履いているのが分かった。

 流石の俺も気味が悪かった。

 目に映る全ての人間が、俺と同じ格好をしているのだ。

 これは俺に憧れているからではないと、ハッキリ分かった。


 妻が言った。

「もう限界ね、本当の事を教えてあげるわ。私はあなたの妻である以前に、中間子の生態観察員なのよ。」

「…冗談だろう。」

 俺の顔は引きつった。

「生まれ順によって性格に違いがあるのは知ってるかしら。長子ちょうしは真面目で末子ばっしは要領がいいみたいにね。第一子として愛される長子ちょうしと可愛がられる末子ばっしの間で、中間子はどうにかして親を振り向かせようと、目立ちたがり屋に育つのよ。」

「お前、何を言ってるんだ…。」

 俺はガタガタと震えた。

「あなたもご存知の通り、日本は少子化のせいで中間子が絶滅の危機に瀕しているわ。それは即ち目立ちたがり屋の絶滅の危機を意味しているの。つまり、現代の日本人は目立たず、誰かの真似をして身を隠していたい人ばかりなのよ。私達専門家はそれを日本人のハナカマキリ化と呼んでいるわ。…でもね、ハナカマキリは蘭の花がないと身を隠せないの。」

「まさか…擬態。」

 俺の背筋にツーっと冷たい汗が垂れた。

「そう、あなたは日本に唯一咲く蘭の花なのよ。」

 俺は恐ろしくなり、声も出なかった。

「日本人のハナカマキリ化は、私達の想像以上に加速しているわ。この後、ハナカマキリ化は次の段階に入り、日本人は老若男女問わず、外見も内面もあなたと同一化していくの。そして、明日の朝には日本にあなたしかいなくなるのよ。」

 妻はそう言ったかと思うと、消えてしまった。

 厳密に言えば、俺になってしまった。


 テレビには、大勢の目立ちたがり屋の俺達がピースをしながら映っていた。

 俺は、しばらく呆然としてそれを観ていたが、ふと我に返り『負けてはいられない。俺こそが本物の目立ちたがり屋の中間子だ』という想いが、メラメラと燃えはじめた。

 俺は大輪の蘭の花を咲かせるべく、タバコの火をグイッと灰皿に押し付けると、勢いよく玄関を飛び出し、テレビカメラを求めてマラソン会場へ向けて駆け出した。

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