第三章 策謀を張り巡らせるもの 5

 洞窟の入口からしばらく離れたところで待機していたピオとルイ―シャは、突然おきた不吉な地響きの音を聞いてはっと顔を上げた。


「なんだ、この音は……洞窟の方からしている……?」


 ぱっと洞窟の方へかけだしたピオは、中の様子をうかがおうと中へ入る。だが数歩も進まないうちに崩れてきた岩に阻まれ、危うく生き埋めになるところで洞窟の外へ転がり出た。


「ピオ! 大丈夫?!」

「大丈夫だ、危ないからこっちにはくるなっ!」


 洞窟の外まで落ちてきた土や岩が転がり出てきているのを見て、ピオは駆け寄ろうとしたルイ―シャに向かって思い切り叫んだ。かろうじて踏みとどまった姉の足元を、石が転がっていく。ルイーシャの手を引いてカルの背中に乗せ、ピオは地響きがほとんど聞こえなくなるところまで避難した。


「洞窟の中はどうなったの? アーティカさまは……?!」

「わからない。急に洞窟が落盤したんだ。このあたりはそんなやわな地盤じゃなかったはずなのに……」


 力なく首をふるピオに、ルイーシャは顔面蒼白になった。あの規模の地崩れが洞窟全体で起きていれば、いくら武芸に秀でたものでも無事ではすまないだろう。どうすれば、と唇を震わせて問う姉に、ピオはしっかりと落ち着いた声で返答した。


「姉さんはカルと一緒にルゥルゥの部隊へ合流してほしい。たぶん、ここからそう遠くない場所に待機しているはずだ。私はあたりに赤鷲のものがいないかを探す。必ず、この落盤を起こしたものが近くにいるはずだからな」

「わかったわ。ピオも気をつけてね。すぐに応援を呼んで戻ってくるから」

「ああ、頼んだぞ、ルイーシャ姉さん」


 カルの背に乗って木々の間に消えていくルイーシャを見送ったあと、ピオはひらりと弓を構えて次々と矢を放った。射られてぼとぼとと地面に落ちてきたのは、大小あれどすべて鷹に分類される鳥たちである。そうしてあたりの音に耳を済ませて鳥の気配がないかを確認し、ピオは落盤を起こした犯人を探すために駆け出していったのだった。




 ガラガラと崩れていく道を必死で駆け抜け、一番地盤の硬い洞窟の奥へとたどり着くと、なんとかそこは崩れずにまだ残っていた。全員がなんとか入れるくらいの空間に身を寄せ合い、息を殺してあたりの様子をうかがう。しばらくたっても地響きが聞こえてこないことを確認し、ようやく皆でほっと息をついた。


「──なんとか命は助かったようね。さて、どうしてこうなったのか事情を話してもらいましょうか」


 一同の顔を見回し、最初に口を開いたのはアーティカだった。肩で息をするユラはなんとか呼吸を整えたあと、重たい口を開く。こうなってしまったのは、全てユラの責任だった。


「まず初めに……私がなぜ赤鷲を裏切るのか、という理由からお話しましょう。私の母は灰狼でした。行商に訪れた父と恋に落ち、周囲の反対を振り切って赤鷲に嫁いだそうです」


 土埃にまみれた布をそっと脱いで、ユラは自分の顔を顕にした。あまり反応のない一同の中で、灰狼の族長ルヴルが息を呑む音が響く。その驚いた表情にふわりと微笑んで、ユラはルヴルの足元にひざまずいた。


「私の母の名はアイラ。あなたの妹に当たる方です」

「お前は……アイラそっくりの顔だ……だが、あいつが生んだのは男児のはず。お前はいったい……」

「ええ、それで間違いありません。母は不運なことに、赤鷲の正妻が子を産むよりほんの少し早く、私を産みました。そのことで正妻は母をひどく憎み、私を殺そうとしました。その計画に気づいた父は秘密裏に一人の呪術師へ私を託し、女として育てるように命じたのです」


 灰色の瞳に怒りをたたえて、ユラは身の上を語った。今まで誰にも言えなかった怒りと悲しみがふつふつと湧き上がる。物心ついてから育ての親である呪術師の女にその話を聞いた時はまだ、彼らに復讐をするつもりなどはなかった。だがユラが6歳のとき、それを覆すほどの事件が起こったのだ。


「父と母は……私が6歳のとき、ビナイとその母――族長の正妻によって殺されました。表向きは崖から足を踏み外して落ちたとされていますが、私は聞いてしまったのです。ビナイの母が、『これで邪魔者はすべて居なくなった』と笑っているのを」

「なんと……クルムズ殿の死にはそんな裏があったのか……」


 ユラが明かした秘密に、皆驚きの表情を隠せないでいるようだった。ウムトが「ようやく合点がいった」と呟くのが聞こえて、ユラは少しだけ首を傾げる。彼はいくつか納得いかない点があったのだ、とその言葉の意味を説明してくれた。


「赤鷲に嫁いだ灰狼の娘の家をあたってみても、誰も娘を産んでいなかったから不思議に思っていた。それに、お前がピオを助けたときーー俺は本気で切りかかっていったのに、お前はそれを受け止めた。女のやわな体で武術の心得もないやつがどうしてと思ったが、お前が男なのなら納得がいく」

「……私にしてはツメが甘かったわね。そんなところから綻びが出てしまうなんて」


 ふふ、とユラが自重するように笑う。そういえばもしかして私はウムトの従兄弟に当たることになるのかしら、とからかうように言うと、ウムトはしかめっ面をして首を振った。


「こんな厄介ごとを起こす従兄弟なんて願い下げだな」

「あら、ひどいわね。何にも言い返せないのが悔しいところだけど」


 ほんの少しだけ、冗談のような二人のやりとりに場がなごむ。洞窟の入口はすっかりふさがれ、脱出する手立ても全く見えない状況だが、なぜかユラは何とかなるような気がしていた。


「……エフラ、ルゥラン、そろそろ来る頃かしら?」

「はい、アーティカさま。おそらくそろそろ上にやってくる頃ではないかと」

「足音が近づいてきます。もうこのあたりにいるでしょう」


 不意にアーティカと側近が視線をかわしあうのをみて、ユラとウムト、ルヴルは何の話だと怪訝そうな顔で顔を見合わせる。まあすぐに分かりますよと言われたものの、彼らが言う「もうすぐ来る」ものが何なのか、さっぱりわからなかった。


「――い、おーい、誰かいないか……!」


 閉ざされた洞窟の中、なぜかいるはずのない人の声が聞こえた気がして、ユラははっと顔を上げた。ほんの少しだけ幼さの混じる、高い目の声を聞き間違えるはずがない。何度も呼び掛けるその声は、雪豹の狩人ピオの声だった。


「ピオ?! いったいどこから……?」

「あっ、見つけたぞ……!! おーい、ルゥルゥ、ファティマ、こっちだ! この下にいるぞ!!」

「……? ああ、岩の割れ目から声が聞こえているのね。上にはほかにも雪豹の人たちがいるのかしら」

「ああ、安心していい。雪豹の男たちは、穴を掘ることにかけては一流だからな。すぐにみんな助け出してやる」


 力強いピオの声に、ユラはほっとしたようにへたり込んだ。このままここからずっと出られなかったらどうしようと不安だったが、どうやらピオが呼んだ救援のおかげで無事事なきを得たらしい。ここから出たら彼女にもお礼をしないといけないわね、と考えながら、ユラは深々とアーティカに向かって頭を下げた。


「本当なら首をはねられてもおかしくないところを助けていただき、ありがとうございます。ここから脱出できた暁には、秘宝があなた方の手元へ戻ってくるよう手を尽くしましょう」

「礼には及ばないわ。あなたもまた……ビナイに裏切られた被害者なのだから」

「……そこまでお見通しだったとは恐れ入ります。あの男の策略を見抜けなかったのは、私の甘さですから、自業自得ではあるのですが」


 本当なら、麻安香で皆を眠らせて洞窟の外へ脱出するまでの時間がユラには与えられていたはずだった。ビナイにそういう作戦だから大丈夫だという風に言われ、それを信じた自分が馬鹿だったのだ。彼はこうやって数々の秘密を知る部下を闇に葬ってきたのだということをユラも知っていたはずだったのに、それが自分に跳ね返ってこようなどとは思わなかったのだから。


「洞窟を出たら、あらためてこれからのことを皆で話し合いましょう。すべてが雪と氷に閉ざされてしまう前に」


 厳しい目をして言うアーティカの言葉に一同が深く頷く。これからようやく秘宝を取り戻す戦いが始まるのだ。雪豹と灰狼だけではない、フィヨロ山脈に住む全部族のためにも必ず秘宝を取り戻し、あの男――ビナイを倒さなければならない。改めて、胸のうちでユラはそう固く誓ったのだった。

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春を探すこどもたち さかな @sakana1127

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