第三章 策謀を張り巡らせるもの 4
洞窟の中で、ユラはひとり静かに族長の訪れを待っていた。この一週間の間にエヴィラの洞窟の地盤を調べ、どこを崩せばよいのかを徹底的に調べ上げた。それと同時に、いったいいくつの【鳥の目】がこの洞窟に設置してあるのかも探し出した。この会合にビナイは来ないと言っていたが、絶対に【鳥の目】を通して様子は見ているはずだ。幸い【鳥の目】で音を聞き取ることはできないので、話している内容を知られることはないが、あの男なら読唇術で会話を読み取るぐらいのことはやってのけてもおかしくはない。今日、いつものように頭を布で覆ういでたちに加えて口元も布で覆っているのは、香を吸い込まないようにするためであり、同時に自分の口の動きを読み取られないようにするためでもあった。
(――ピオとウムトは来るのかしら)
きっと自分が何をしようとしているのかを知れば、彼らはユラを責めるだろう。騙していたのか、と罵られる覚悟はとうにできている。自分が命令を遂行することでだれが悲しむかなどいちいち気にしていたら、心が擦り切れてしまう。感情を殺してしまえば、目の前の相手が悲しんでいようが何も思わない。そうやって今までユラはずっと己に与えられた役割を遂行してきたし、その積み重ねによってビナイの信頼を得た。あともう少しで自分の悲願がかなう。そのためには、ここで失敗をするわけにはいかなかった。
「――お邪魔するわ。場所はここでよかったかしら」
不意に洞窟の中へ涼やかな女の声が響いた。芯の強い、よく通る声だ。その声にぱっと顔を上げたユラは、慌ててひざを折って頭を垂れた。
(……何の気配もなかった。一番武芸に秀でたものが選ばれるという雪豹の族長は伊達じゃないな)
「お初にお目にかかります。赤鷲族の呪術師、ユラと申します。この度は我が部族の行動により、雪豹にご迷惑をかけていることを深くお詫びいたします」
「立ちなさい。私は雪豹族の長、アーティカよ。此度、秘宝を盗んだのはあなたなの? 私はあなたの首を赤鷲に突きつけて、戦いを挑めばいいかしら」
蒼灰の瞳を輝かせて、アーティカは挨拶も早々に言い放った。脇に控える二人の女たちも、いつ武器を抜いてもいいように油断なく構えている。雪豹はなかなか好戦的な一族だということは知っていたが、彼女の放つ殺気は生半可なものではない。まるで喉元に焼けた剣の刃を突き付けられているような錯覚さえ覚える。気圧されないようぐっと気を引き締め、ユラはアーティカに向かって艶やかに微笑んで見せた。決して、その程度の脅しでは屈しないという意思を込めて。
「いえ、すべて族長のビナイが命じたことです。ただ……神殿に侵入する際に使った香は、私が調合したものです」
「ああ、『麻安香』ね。厄介なものを使ってくれたこと。解毒剤を作るのに、とても時間がかかってしまったわ」
「それは申し訳ありませんでした。皆さんのお体に障りがないとよいのですが」
「どの口がそれを言うのかしら。今回の会合も、ピオが命を救われたこと、秘宝の行方を伝えてくれたことがなかったら、とっくにあなたの首をはねているところよ」
必死で平静を保ちながら、アーティカの言葉に返事をしていく。解毒剤、という単語を聞いてユラの心臓は飛び上がらんばかりに跳ねたが、なんとか表情には出さずにやり過ごした。あれは、門外不出の香である。当然、それを扱う自分たちは香を焚いている最中に自分へ効果が及ばないよう、麻安香を無効化する薬草を懐に忍ばせるのが決まりだった。けれどもし、その薬草の配合が外部に漏れてしまっているのだとしたら。そして、アーティカがあえてそれを自分に伝えることで、ユラを牽制しているのだとしたら、状況はユラにとってかなり不利だと言えた。
「――雪豹の族長様のご慈悲に感謝いたします。さあどうぞこちらへ」
なんとかそう言いつくろって、ユラはアーティカを洞窟の奥へと案内した。ピオやウムトを相手にするのとは違い、百戦錬磨の相手である。一瞬でも気を抜けば喰われてしまいそうな錯覚に襲われながら、ユラはそっと息を吐いた。
そうして間もなく今度は灰狼の族長も到着した。傍らにはウムトの姿もある。アーティカの時と同じように挨拶をかわし、洞窟の奥へと案内する。そうして、会合は幕を開けた。
「この度はこちらへ足を運んでいただき、ありがとうございます。私は赤鷲の呪術師ユラ。どうかお二人には私が秘宝をビナイから取り戻し、それぞれの部族へ戻すための協力をお願いしたいと思い、こちらへ来ていただきました」
深々とそう言って頭を下げると、族長の二人はいぶかしげな顔でユラを見た。それもそうだろう、普通は自部族を裏切ってわざわざ奪った秘宝を取り戻す協力などするはずもない。まっとうな人間が考えれば、罠だと思われるのは自然なことだった。
「ずいぶんと、都合のいいことを言ってくれるのね。それで、あなたにはどんな理があるのかしら?」
「今はお話しできません。この洞窟は、ビナイに見張られているので。ですが、私に協力をしていただけるという約束を頂戴できるなら、必ず全てお話いたします」
「お前はいったいどちら側の人間なのだ?」
「……私がどちら側の人間かはあなたたちのほうがよく知っておられるでしょう。麻安香の解毒剤を準備しているということは、私がビナイ側の人間で、あなた方を殺すためにここへ招いたということもご存じのはず」
「ええ、そうね。それでも私たちがここへ来たのは、それがあなたの真意なのかを聞くためよ。あなたはもう麻安香は使えない。武芸の腕は私たちのほうがずっと上だわ」
ユラを試すようにアーティカが言葉を紡ぐ。すべてを知ったうえでなおここに出向いた度胸には、生半可なものではない。もしかしたら殺される可能性だって十分あるだろうに、それを彼女は承知でここに出向いたのだ。そして――おそらく、灰狼の族長とウムトもまた、同じ覚悟をもってここへ臨んだのだろう。
(完敗だわ……族長たちを眠らせ、殺したと見せかけて地崩れから救おうと思っていたけれど、それよりもきっと、私が本心を話したほうがこの人たちは協力をしてくれるかもしれない)
「わかりました。では【鳥の目】が死角になる場所へと移りましょう。そこで全てをお話し――」
ユラが意を決して顔を上げ、立ち上がろうとした時だった。大きな地響きが洞窟中に響き、ユラの言葉が途切れる。天井からはバラバラと石が落ちてきて、洞窟は今にもくずれそうだった。
「どうして?! 地崩れを起こすのは、もっと後のはずだったのに……!!」
「くそっ、こんな罠を用意してやがったのか、赤鷲どもめ……!!」
落ちてくる石をよけながら、思わずユラは叫んだ。聞いていた計画と違う――そのことに、思ったよりも動揺している。同じく焦ったように叫ぶウムトや灰狼の族長も、どうすればこの危機を脱することができるのか、手立てを見いだせないようだった。
「まずいわ。このままだと天井がくずれるわよ。ユラ、この洞窟で地盤が一番しっかりしているところはどこ?」
「地盤がしっかりしているところ……ええと、この奥にもっとしっかりした場所があったはずです!」
「なら今すぐにそこへ案内しなさい! ぐずぐずしないで。走らないと生き埋めになるわよ」
一同の中で一番落ち着いていたのは雪豹のアーティカだった。戦士の一人にユラを守らせたうえで先頭に立たせ、案内を要求する。ユラは必至で調べた地盤の強さを思い出しながら、暗い洞窟の中を走り出したのだった。
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