第三章 策謀を張り巡らせるもの 3
エディラの洞窟──そこはちょうど雪豹の里と灰狼の夏営地の中間地点にある場所である。赤鷲の仲介のもと、十年前に雪豹と灰狼が休戦協定を結んだ場所でもある。まえにピオたちが雨宿りした小さな洞窟とは比べ物にならないほど大きくて長く、また複雑にいりくんでいた。
会合に向かうにあたりアーティカが随伴に選んだのは、ピオとルイーシャ、そして里の中でも特に対人戦を得意とするエフラ、ルゥランの四人だった。ルイーシャだけは山の中を進むのに慣れていないため、ピオの相棒カルの背に乗って運ばれている。うっすらと雪の積もった地面を注意深く歩きながら、ピオは昨日の出来事を思い出していた。
ルイーシャへの誤解がとけ、ひとしきりピオが泣いたあと。突然慌ただしくルゥルゥが来てアーティカが呼んでいると告げた。なんでもピオを訪ねてきた灰狼がいるとかで、里は蜂の巣をつついたような大騒ぎになっているのだという。ピオは苦虫をかみ潰したような顔で、アーティカのいる部屋へと向かった。自分を訪ねてくる灰狼なんて、乱暴で話を聞かないあの男以外には考えられなかった。
「何の用だ、ウムト」
「──ピオ。まずはきちんと挨拶をしなさい。話はそれからよ」
部屋に飛び込んですぐウムトに詰め寄ったピオをたしなめる声が響く。アーティカの言葉に渋々といった様子で膝を折りひと通りの口上を述べる。その間一切表情を変えない男を見て、本当に何を考えているかわからない男だ、とピオは思った。
「雪豹のものが無礼な態度を撮って悪かったわね、ウムトどの。今日は私達に急ぎ伝えたいことがってきたのだとか」
「はい。明日の会合の主催者、ユラについてです。彼女は自分を赤鷲と灰狼二つの血が混ざった子だと名乗りました。ですが、ここしばらく赤鷲に嫁いだ灰狼の娘の中に、女児を産んだものはいません」
「……ウムトお前、もしかしてユラが怪しいと言いたいのか?」
「黙って聞いておきなさい、ピオ。それで、あなたは何を私達に忠告したいのかしら?」
「明日の会合は赤鷲の罠である可能性があります。あいつは呪術師で香の使い手だ。族長二人を呼び出して殺してしまえば、二つの部族は大混乱に陥る。その隙に里や集落を攻めてしまえば、きっと負けてしまうでしょう」
ウムトの言葉のあとに、沈黙が落ちる。ピオは何かユラを庇う言葉を見つけようとして口を開いては閉じるということを繰り返していた。反対にアーティカは何も言わず、ただほんの少し口端に微笑みを浮かべている。まるで、そんなことは全てわかっているとでもいうかのように。
「この話は、あなた一人で考えたの? それともルヴルどのが気づいて雪豹に知らせに行くようあなたに命じたのかしら」
「すべて俺一人で調べて考えたことです。雪豹に知らせに行こうと思ったのも、俺の独断です」
「そう……ルヴルどのは、良い後継者をお持ちね」
アーティカの賛辞に、ウムトは黙って頭を下げた。その様子を見て、ピオはアーティカがウムトと同じ危惧をしていたことを悟る。そうしてその可能性に自分が気づかなかったどころか、全くユラを疑おうとしてもいなかったことをひどく恥ずかしく思った。
「忠告していただいたことに感謝いたします。私も疑ってはいたけれど、あなたの話を聞いてほとんど確信に変わったわ」
「そうですか。俺も、確信を持っていたわけではないのですが、そう思われますか」
「ええ。ビナイはとても用心深く、自部族の中にも監視の網を張り巡らせている。ビナイが命じているのでなければ、あんなに自由に動けるはずはないもの」
「ではやはり、洞窟での会合時になにか仕掛けてくる、と」
「ほぼ確実になにか仕掛けてくるでしょうね。ああ、そうだわ。わざわざ単身雪豹の里まで足を運んでくれたお礼に、一つ贈り物をいたしましょう」
アーティカはそう言って立ち上がり、ウムトの前まで歩いて行く。彼女が懐から取り出したのは、ピオが持っているものと同じ匂い袋だった。小さい革袋を怪訝そうに見つめるウムトに、アーティカは開けて中を確認するように言った。灰狼は雪豹よりも数倍鼻が聞く種族なので、それが一番手っ取り早いと思ったのだろう。
「……いくつか乾燥させた薬草が入れてありますね。月虹草と星滴花はわかりますが……あと一つはなんでしょうか」
「最後は太陽果よ。どれも傷薬や煎じて飲むことの出来る薬草だけど、この三つを組み合わせたものの匂いをかぐと『麻安香』の効果を打ち消すことが出来るの」
「そんなことが可能なのですか?」
「麻安香を扱う赤鷲の呪術師は、自分には効果が出ないように必ずこれを持っているそうよ」
「そうですか……貴重なものをありがとうございます。洞窟へは俺と父が出向きますので、そちらにも渡しておきましょう」
恭しく頭を下げたウムトに、礼はいらないとアーティカは首を振った。まずは明日の会合を生きて乗り越えること。それが自分たちの一番重視すべき事なのだと真剣な目をしていうアーティカに、ウムトも深く頷いた。二人のようすを見守りながら、ピオは不安げに瞳を揺らす。明日の会合では何が起こるか予測がつかない。何があってもアーティカを守り切れるよう準備しておかないといけないのだ。
「あなたのような人が灰狼にいるのならば、きっとこれからも灰狼と雪豹の関係性は悪くならずに続いていくことでしょう。たとえ、赤鷲の仲介がなくてもね」
「……その言葉、肝に銘じておきましょう」
お互い確かめ合うように言葉を交わしてから、ウムトは雪豹の里を去って行った。後に残った重苦しい雰囲気を吹き飛ばすように、アーティカは側近を呼び、明日の会合に備えて作戦を練り始めたのだった。
「――オ、ピオ。聞いてる?」
「ああ、ごめん姉さん。ちょっと聞いてなかった」
「ぼうっとしていては駄目よ。もうすぐ洞窟へ着くのでしょう?」
昨日の出来事を思い出して考え事をしていたピオの思考を引き戻したのは、たしなめるようなルイーシャの声だった。慌てて周りを確認すると、もう洞窟の目と鼻の先の場所まで来ていた。アーティカは側近二人ともう一度洞窟内での作戦を確認しているようだ。
昨日の作戦会議でピオも会合に立ち会いたいと希望をしたが、その願いはアーティカに一蹴された。ピオの役目は洞窟の外で待機をして、医療の心得があるルイ―シャの警護をすること。また洞窟の外から攻められたり、洞窟の中に異変があった場合に、雪豹の里へ救援を要請すること。その二つをしっかり全うするようにと言われて、ピオは渋々それを受け入れたのだった。
「いよいよね。頼りにしているわ、ピオ」
「うん。頑張るよ、姉さん」
すっかり気安く話せるようになった姉に、ピオは任せてくれと胸を張った。もし何かあった場合、武器を扱えない姉は身を守るすべを持たない。そして救援を呼ぶ大役はピオに一任されているため、有事の際は姉を護りながら雪豹の里へ急ぐことになるのだ。できるだろうか、と言う一抹の不安を頭から振り払って、ピオはぐっと胸を張った。
そうして、これから始まる事を想像して少し身震いをしたあと。最後の確認をするためにピオはアーティカの元へ歩いて行ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます