第51話 あなたが何者であっても

 魔女メディシアスに私の言葉は届かない。

 爆風に吹き飛ばされて転がっていくレムリカ=エラーの姿を見て、悲しいけれど認めるしかなかった。

 戦う覚悟を決めるしかない。

 私だって、このまま黙って殺されるのはいやだ。

 嫌だ。死ぬのは嫌。いや、戦うのも嫌だ。いやイヤいや――。


『……我が思念を複製し……尽きることなき悲嘆を糧にして……骨を、肉を、皮を、髪を、目を、歯を、舌を、爪を、血を、涙を宿せ……!』

 散々に乱れる思考を無理やりにまとめ上げ、嗚咽おえつまじりに意識制御の呪文を口から絞り出す。

 血を吐き出すような想いと共に、術式発動の楔の名キーネームが発せられた。

『生まれでよ!! 自己複製レプリケーション!!』

 大地に膝を着き、空へ向かって吠えるように。


 呪術の媒体など何もなかった。

 ただ喉を引き絞る悲しみと、止めどなく溢れる涙だけが術式を構成する全てだった。


 ァァアアアアオオォォァアアアア──……


 聞く者の胸を引き裂くような特大の嘆きが殺風景な石切り場に響き渡った。

 ゆらり、と私の影から蒼褪あおざめた半透明の写し身が浮かび上がる。

 瞳のない大きな目から涙を流し、裂けんばかりに開かれた口から慟哭の叫びが発せられ、蒼褪めた私の写し身は水死体のように膨れ上がっていった。


 悲しみの具現、レムリカ=グリーフ。


 青白く半透明に透き通った巨大な腕が、空を飛ぶメディシアスを捉えようと一気に伸び上がる。

 無防備に迫るレムリカ=グリーフに対して、メディシアスは容赦なく爆撃を食らわせた。しかし、圧倒的な質量で迫るレムリカ=グリーフはその巨体を欠損させながらも勢いを弱めることなくメディシアスとの距離を詰めていく。


「そこまでよ。そこまでかしら。貴女の腕は、あたしの元には届かない」

 無数の黄色い光の粒がメディシアスとレムリカ=グリーフが挟む空間に舞い踊り、一見して『爆鳴の水鉢』と同じようなガラス鉢が召喚された。

『――凍れぬ水の源よ』

 ただ、これまでの水鉢よりも一回りどころか二回り以上も大きく、透明な液体をたっぷりと湛えている。それが複数、出現していた。

 水鉢がレムリカ=グリーフの額に当たり砕け散ると、爆発的な勢いで白い冷気が拡散する。水鉢の中の液体は空気に触れた瞬間から、周囲の水蒸気を瞬く間に凍り付かせていく。


 凄まじい冷気だ。

 爆圧にも怯まなかったレムリカ=グリーフが、体に霜を生やして見る間に動きを鈍らせていく。


 オオォォオォィィイィィ……


 涙は氷となって砕け散り、悲嘆の声も消え去って、空に向かって手を伸ばしたままレムリカ=グリーフは完全に凍り付いた。

「終わりね。もう終わりだわ。限りなく絶対零度に近しい冷気のなかで、静かにお眠りなさいな」

 その凍り付いたレムリカ=グリーフのてのひらを足場にして、私は宙に浮くメディシアスへと飛びかかった。

「届いて!!」

 氷の破片となって砕け散っていくレムリカ=グリーフを背に、私はメディシアスへと迫った。

 大きな岩の腕を必死に伸ばし、驚愕の表情で一瞬動きを止めていたメディシアスの細い肩を掴んで拘束する。


 がくん、と重力に従い二人は落下を始めた。

 メディシアスの飛行術式も岩の塊のような私の体を支えることはできず、見る間に高度を落としていく。

 飛行術式による浮力が落下の勢いをいくらか相殺していたが、叩きつけられたメディシアスが顔を歪める程度には強い衝撃を伴って、私達は地面へと激突した。

 私は片手でメディシアスの肩を地面に押し付けるようにして捕らえていたが、次にどうすべきか動きに迷いが生まれる。振り上げた拳をそのままに硬直した。

(……殺さなきゃ殺される。だけど……!)

 その隙にメディシアスは空いた左腕を大きく振って、聞いたことのない呪詛を口から吐き出した。顔の大半を隠す大きな三角帽子の下で、メディシアスの唇が小さく震える。

『――死へ引き寄せる亡者の指骨しこつ――』

 突如、メディシアスの左腕が倍近い長さに伸び、指の一本一本が鋭い錐状に変化して私の脇腹に突き刺さった。


「ぅがっ……!?」

 ――痛みが。尋常でない痛みが脇腹から伝わってくる。

 猛獣の爪でも傷つかない私の肌を容易に貫いたのはメディシアスの指だ。剥き出しの骨にも似た五本の指が小刻みに動いて傷口を広げてくる。その度に耐えがたい痛みに襲われ、徐々にだが尖った指の先端が腹の中を目指して潜り込んできていた。

「メ……メディ……やめて……」

 痛みで思わず私の腕にも力が入る。「くはっ……」と、メディシアスが顎を持ち上げて呻く。

 脇腹に刺さったメディシアスの指がさらに強く突き込まれる。このままだと内臓まで到達してしまうかもしれない。


 メディシアスの変化した左腕をなんとか引き剥がそうと、私は自身の岩の腕で、枯れ木のように細いメディシアスの腕を掴み強引に引き抜こうとする。

 だが、一見して骨の太さぐらいしかないその細い腕が、いくら力を込めても微動だにしない。

 お互いに動けない状態で力を込め合って、奇妙な均衡状態が発生した。


 ……いや、この状態は実のところ拮抗していたわけではない。

 メディシアスを地面に組み伏した段階で、本当は勝敗が決していたのだ。

 彼女を捕らえる岩の腕に少し力を込めて、そのまま握りつぶしてしまえば私の勝利は確実だった。

 必死の抵抗をするメディシアスの首に手をかけて、後ほんのわずかな力を加えるだけ。

 そこまできて、私は攻撃の手を止めた。


「いやだ……。いやだよ、メディ……。友達を殺すなんて、私にはできないよぉ……」

 三角帽子がめくれて、メディシアスの疲れ果てた顔が目の前に現れる。

 向こうには逆に、私の情けない泣き顔がさらけ出されたことだろう。子供のように泣きぐずって、悲しみに打ち震える姿が。


 メディシアスの左腕が私の脇腹から引き抜かれ、元の状態にゆっくりと戻っていく。

「呆れた……。呆れたわ。とんでもないお人よしのお人形さん」

 細くて長い、美しい指先が私の頬を優しく撫でた。

「……そうね、そうよね。あなたはレムリカではないけれど、何者であったとしても……確かにレムリカの心を、遺志を継いでいる。それだけは、認めてあげないといけないのかもしれない」


 もう私はメディシアスを拘束する腕に力は入れていない。

 弱々しい拘束からするりと抜け出したメディシアスは、何事もなかったかのように優雅な振る舞いで、箒に腰かけて空中へと浮き上がる。

「もう、レドンの村へ来るのはやめなさい。村の復興はあたしがうまくやっておくから。あなたは新しい生き方を選ばないといけない」

「メディ、私は……それでも復讐だけはやめられないよ。村を焼いたフレイドルだけは許せない」

「……好きになさい。ええ、好きにするといいのだわ。ただ、フレイドルの糞野郎に関しては、あたしだって報復は考えている。それでもあなた自身が復讐をやめられないというなら、それもまたあなたの『遺志』かしら」

「私の『遺志』……」


 私の想いとは、殺されたレムリカの無念なのだろうか?

 脳の神経が焼き切れそうになるぐらいの復讐心も、今の私自身が抱える感情ではなくて、死者の遺した想い?

「難しく考えることはないのよ。死者の怨念だろうと、組み込まれた行動原理であろうと、どれも正しく……レムリカ、今のあなたが思うことは、紛れもなくあなた自身の想いなのだから」


 語るだけ語って魔女メディシアスは空の彼方へと飛び去っていった。

 魔導技術連盟が出した私に対する討伐命令は、メディシアスが「いかなる手段をもってしても撤回させるかしら」と、怖い笑顔で請け合ってくれた。ああいう表情をしているときのメディシアスはいつも以上に本気の証だ。


「メディ……もうちょっと、お話したかったけど。またね……」

 私のことを認めてくれはしたが、私が本物のレムリカであるとまでは言ってくれなかった。そこまで認めてもらうには、たぶん時間も証拠も足りていない。

 私自身のことが自分でもよくわからなくなっているけれど、メディシアスが言う通りに自分の想いを信じるなら、やっぱり私はレムリカだって胸を張って名乗るだろう。


「これから、どうしようかな」

 レドンの村はメディシアスが責任を持って復興してくれるから、私がこそこそ手を出す必要もなくなった。

 森都シルヴァーナでの冒険者活動については、今回の牙獣の森の開拓依頼が無事終わったことで一区切りついた心持ちではある。

「私もそろそろ動こうかな」

 グレミー獣爪兵団は秘境探検という大冒険に旅立っていった。彼らと一緒に行く道もあったのを断ったのは、他ならぬフレイドルへの復讐を果たすため。

 炎熱術士フレイドルへの復讐は忘れていない。メディシアスと争うことになった原因でもあると考えれば、奴への復讐心は強まるばかりである。

「……よし、決めた」



 私はレムリカ。

 魔導人形ゴーレム人造人間レプリカントの合いの子みたいな何者か。

 自分の正体もよくわからないけど、私は昔も今も変わらずレムリカという一つの人格だって信じている。

 そして、私がレムリカである以上、私はレムリカとしての役目を成し遂げる。

 それから、それから――。

 その先のことまでは想像もできないけど、いつかは大切な友人ともわかり合える日が来たらいいなと思う。


 旅に出よう。

 私は必ず役目を果たす。

 役目を果たして帰ってくる。

 その頃にはきっと私自身が何者か、答えを得ているかもしれない。

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ゴーレム&レプリカント 山鳥はむ @yamadoriham

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