たとえ二度とこの道が交わらなくても、心から願ってる

 アンリは銀龍に泉の淵まで送られて、その場所で待っていた。


  銀龍が教えてくれたのだ。ハムナがあの日から毎日のように泉にやって来ていたのだと。そして、アンリの名を何度も読んでいたことを。


 空に朝もやがかかる頃、一人の男がやってきた。年は十八ほどだろう。逞しい身体つきに整った顔立ちだ。茶色の瞳に深く憂いを滲ませて、何かを探すように周囲を見ている。


「アンリ……」


 泉の前で男は両膝をつくと両手で太ももを握りしめ、懺悔する様に彼女の名を呼んだ。そして頭を垂れたままじっと動かない。


「ごめんな、アンリ……」


「謝らないで、ハムナ」


 名前を呼ぶと男がはっとしたように顔を上げた。


 灰色の瞳に子供の頃の面影が残っている。朧げになっていた幼馴染の顔を思い出す。そうだった。こんな目をしていた。こんな顔をしていた。少年が男に変わるだけの時間が二人には訪れていたのだ。


 ハムナは信じられないというように目を大きく見開き、アンリを茫然と見上げる。その手が震えながら伸ばされる。


「アンリ? 本物の、アンリなんだな?」


「えぇ、そうよ、ハムナ。私よ、アンリよ」


 大きな腕に抱きしめられる。


「あぁ、アンリ! 信じられない。もう二度と会えないと思っていたんだ! あの日、お前を置いて逃げてしまってごめんな。ずっと後悔していたよ。どうして、銀龍の前にアンリを置き去りにして逃げてしまったんだろうって。どうして、お前の手を引かなかったんだろうって」


 ハムナはまるで自分の罪を告白するように、嗚咽の混じった後悔を口にする。ずっと一人で抱えて来たのだろう。堰を切ったように言葉が溢れて止まらない様子だった。


「ごめんね、ハムナ。私があの時、満月のことを話さなければ、あなたをこんなに苦しめることはなかったのに。私の身に起きたことは、あなたのせいじゃないのよ」


「オレはお前にそんな言葉をかけてもらえる人間じゃない! オレはあの夜のことを誰にも言えなかったんだ! 口を閉ざして隠したんだよっ。お前のご両親が訪ねて来た時も、責められるのが怖くて嘘をついて誤魔化したんだ」


「お母さんとお父さんが……」


「小さな村だからアンリが消えて大騒ぎになった。村の奴等は総出でお前のことを探したよ。だけど、お前は一向に見つからなかった。当然だよな、その時にはもう、あの龍に捕まっていたんだ。苦しくなるほど、何回も何回もお前について聞かれたよ。それが嫌で、オレは皆とは離れた場所で探す振りをしていた。探しても見つからないことを知っていたから!」


「…………」


「結局、お前は見つけられなくて、みんな諦めた。その年は稀に見る豊作だったよ。それを見て、お前のご両親がオレに聞いて来たんだ。娘はあの日、森のことを話していなかったか? ってな。心臓が冷えたよ。忘れたくても忘れられない悪夢を思い出した。満月になる度に、あの夜のことを思い出すんだ。お前を置いて逃げた夜を!」


 ハムナの心の叫びは、アンリの胸を締めつけた。


 誰にも言えずに、ずっと自分を責め続けていたのだろう。その苦しみはアンリと同等のものだった。だからこれ以上自分を責め続ける姿は見たくなかった。


 ハムナの腕からそっと離れて、彼の両手を握って伝える。


「あなたはもう自由になっていい。私は今、幸せだから。それだけをあなたに伝えたかったの」


「待ってくれ! お前はもう解放されたんじゃないのか!? だから、この場に現れたんじゃ……っ」


「いいえ。私は銀龍の花嫁になるのよ。その前に一度だけ貴方に会う機会を得たの」


「そんな……」


「ねぇ、ハナム。あなたは私の大事な幼馴染よ。それは今までもこの先も変わることがないわ。あの満月の夜のことは、きっと私の運命だったの」


 ゆっくりと後ろに下がり、ハムナと距離を取る。そろそろ時間だ。


「アンリッ! オレはお前のことを────」


「夢を諦めて後悔に生きないで」


 さよならの代わりにそう伝えると、アンリは湖に背中から倒れるように飛び込んだ。銀龍の両手が伸びてきて腕の中に囲われていく。


 水面に滲む幼馴染の姿に、心の中で幸せを願う。彼の隣を夢見たことを、アンリは死ぬまで胸に秘めるのだ。


 銀龍にも教えない。アンリだけの胸に。

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銀龍の贄 天川 七 @1348437

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