かさバル

柿尊慈

かさバル

 今月に入って、なんと5回目の結婚式である。当然だが、俺のではない。俺は毎回、ゲスト枠だ。しかもどういうわけか式場が毎回同じで、デジャブところの騒ぎではない。

 ちなみに俺は、そういった明るい話とはほど遠い、油まみれの工場で油まみれのおっさんたちと仕事をしている。とはいいながらも、今日はその油まみれの工場の脇にある事務所で働く、少し歳上のお姉さんが結婚することになったので、それを祝いに、職場の人々ほぼ総出で給料の出ない休日出勤。

 2週間くらい前には、いったいどこで捕まえてきたのか、先輩社員の方が綺麗なお姉さんと結婚していたし、先週の土曜は友人の、日曜は従姉妹の結婚式。今月の頭には、隣ん家のサオリちゃんがめでたく33歳の誕生日にウェディングドレスを着ていた。

「それはそれは、おめでとうございます」

 で。

 俺はついに5回目の披露宴に――あんまりよくないんだろうけど――飽きてしまって、新郎新婦に祝いの言葉を述べたあと、会場の端でドリンクをつくっている男の子のところに居座って、自分の身の上話をするなどしている。今のお祝いの言葉は、その彼によるものだ。

 新郎新婦やゲストが出入りする大きなドア。そことは違う、自動で開く小さなドアから、料理を持ったスタッフたちがぞろぞろと現れた。10卓ほどのゲストテーブルに10人ほどのサービスマンが散らばって、魚料理を置いている。

「お兄さんは、ここにいていいの? みんな、忙しそうに運んでるけど」

 お兄さんといっても、年齢があまりわからない。若いのは間違いないが、俺と同い年かもしれないし、年上かもしれない。もしかしたら年下かもしれないけど、とりあえず確実に俺よりも頭がよさそうな雰囲気を帯びているので、お兄さんと、敬意(?)を払った呼び方をしている。

「まあ、こっちはこっちで、色々お仕事ありますしね。持ち場は基本、離れません」

 黒い髪はつやつやしていて、襟のある制服なのに、長い首はそれに守られるつもりなどないかのように白く伸びている。背は俺よりも低いが、スタイルがよく見えるのは断然こっちのお兄さんだろう。始終、まるで本でも読んでいるかのような冷えた瞳で宙を見つめ、ときおりテーブルの上の空きビンを確認しては新しいビールの栓を抜いている。プシュっと心地のよい、炭酸の音。毛など生えていないかのような真っ白い手指。俺は自分の手をちらりと見て、比べるまでもないなと小さく笑ってから、なぜか1本長く生えていた腕の毛を引っこ抜く。

「お客様こそ、こんなところにずっといてもよろしいのですか?」

 お客様、だって。そんなに歳も離れてないだろうに。いや、わからないけど。

 様づけで呼んでもらえるところなんて、そうそうないよな。ファミレスなり、コンビニなり、スーパーでも、まあ、呼ばれないこともないけどさ。でもお客様って、あっちのおっさん上司にも、あっちのあんまりかわいくない新婦友人も、全員お客様で、名前がないっていうか、代替可能な感じ? それがなんか、ちょっと嫌だったりする。

 まあ、名前に様をつけてもらえるような身分でも地位でもないし、せめて友人スピーチとかやったなら、様づけしてもらえるんだろうけど。かといって様づけしてほしいかっていうと、微妙な気持ち。

「話聞いてた? 俺は今月、この式場での披露宴参加が5回目なの。ほんで、料理も毎回同じだから、食べ飽きちゃって食べ飽きちゃって」

 毎回毎回ご祝儀でお金が吸い込まれていって、その一部がこうしてオシャレな魚料理や肉料理に化けてくる。いや、そりゃ俺もね、最初の1回目、近所のサオリちゃんのときはワクワクしながら食べたさ。でも、こう、5年制の高等専門学校を出て社会人2年目の俺からすれば、ここのお料理はオシャレ度が高すぎて受けつけないんだわ。より詳細にいえば舌に合わない。もっといえばすっぱい。聞いたこともないソースやお酢を使って、素材の味が活かされてるらしいが、俺にとっては素材の味なんてほとんどどうでもよくて、しょっぱいものが食べたいんだよ。コンビニ弁当とかチェーン店の牛丼とか、そういうのでいいんだ。

「だから、一緒に座ってるやつらにあげちゃった。ほら、あそこ」

 指を差す。一応、お兄さんは俺の指したあたりを見てくれている。実際に見ているのかはわからない。ガラスみたいな瞳を横目にしばらく見て、俺は自分の指先を見た。

 海の見える円卓に、イスが4つ。ひとつは空席、俺の席。座っている3人は俺の同期たちで、真っ先に俺のところの魚料理を三分割して胃袋に収めやがったらしい。無残にも手をつけられていない、添えつけられたお野菜が緑色に光る。俺は菜食主義者か?

「しかし、そんなに式が多いと、出費も大変ですね」

 ぽつりと、お兄さんが言葉をこぼした。

 鏡になっている壁によりかかる。ドリンク台の上からウーロン茶を取って、それを飲み干した。

「そうなんだよ。ほら、ジューン・ブライドっていうじゃん? だから結婚式ってもっと、6月にあるもんだと思ってたのに、先月は全然なくて、どういうわけか、今月に集中したんだわ」

「6月は、梅雨の季節ですしね。前々から準備するほど、かなり大がかりなイベントですから、大雨だからといって中止や延期にするわけにもいかないし、できればそこは避けたいんじゃないですかね」

「まあ、俺は結婚したいとか考えたこともないから、よくわかんないけどさ」

 結婚披露宴の真っ最中にする会話じゃないような気はするが、誰も聞いてないだろうからよしとする。ここは、祝いの席なのだ。俺も今日が5回目でなければ――あるいは、せめて別の会場だったなら、ちゃんと席に座って楽しくお酒を飲めただろうに。渇き切った俺は、こうしてクールな顔でウーロン茶を飲んでいる。

「ウーロン茶は油を吸収するから、むしろどんどん渇いていくと思いますよ」

 お兄さんは虚空を見つめて言った。


「お兄さんはさ、何歳なの? 普段何してる人?」

 やることがあると言っていたのは本当らしく、数分ほどお兄さんは裏へ一時撤退。そこから戻ってきたらまだ俺がいるんだから、お兄さんも災難っちゃあ災難だな。

 だって、仕方ないじゃん。退屈っていうか、もう俺は渇いちゃったんだからさ。同じように、なんだか冷めていて、ドライな感じの、誰かと話がしたくって。視界に入ったドリンク台のお兄さんが、口元だけの笑顔をつくってる他の従業員の方とは違って、なんか、おもしろそうだったから。

「21ですね」

「ありま、俺と同い年」

 無感動な瞳。

「普段は、大学に通ってて、平日は別のところでアルバイト、土日はこっちで披露宴」

「ふうん? どこでバイトしてるの?」

「家の近所にバーがあるんで、そこでバーテンダーしてます」

「へぇ?」

 まあ、ここの――全体的にクリーム色を基調とした制服よりも、黒や白のモノトーンスタイル(俺の中での典型的なバーテンダー)の方が、彼から漂うペシミズムは合っているような気はするが。

「なんでまた、かけもちしてんの? 金がないとか?」

「いや、なんていうんですかね。そもそもは、最初からこう、お酒をつくることがしたくって、バーテンの仕事は探してたんですけど、そのときはどこも募集してなくて、お酒の知識が身につきます、みたいなことを書いてたのは、ここくらいで」

「ここで?」

 テーブルの上を見る。たしかに、数種類のアルコールは揃えているようだが、ラインナップはそこらへんの居酒屋とあまり変わらなくて、バーやバルなど、アルコールをウリにしたところに比べれば、貧相なものだった。

「そうなんです。完全に、騙されました」

 そういいながらも、表情には悔しがっている様子は一切映されておらず、はて、このお兄さんには感情のようなものが本当に搭載されているのだろうかと疑問に思う。

「けどまあ、こうして採用されてしまったわけですし、せめて1年くらいは続けようと思って、今日までやってきた、みたいな。バーテンの仕事は探し続けてたので、半年前くらいにありつけて、今日でここは辞めることになります」

 今日、ですか。

「ごくろうさんでした」

 俺は小さなグラスをもったまま頭を下げる。合わせてお兄さんも、頭を下げた。

「ここの仕事、楽しかった?」

「いいえ」

 一刀両断。いや、一応1年続けたんだから、もう少し愛着みたいのがあってもいいんじゃないの?

「こう、バイトったって職場なわけじゃん? 今まさに、俺の職場の人がこうして式を挙げているわけで――ああ、新郎の方はね、去年うちから転職したんだけど、まあ一応、同じ職場で出会った相手なわけよ。こう、浮いた話っていうかさ、女の子との出会いとか、バイト先に求めないわけ?」

「ええ」

 まあ、そんなことだろうとは思ったけどね。

「むしろ、そこはバーテンダーの本領でしょうし」

「ああ、彼氏にしちゃいけない職業とかいうよね」

「まあ、興味はないんですけど」

「禁欲的だねぇ」

「禁ずるも何も、最初からないみたいなもんですからね。禁欲している人がここにいたとして、僕と並べたら、表面的には同じ状態に見えるけど、その人の方が内側での葛藤が大きいでしょうから、僕なんかえらくもすごくもない」

 俺からすれば、禁欲できてる人は努力の賜物だろうけど、最初から欲がない人は、それはそれで才能みたいなもんだから、すごいとは思うけどね。

 今月頭の披露宴で、新婦友人あたりとお近づきになれるかなと思ったけど、全くそんな気配もなく解散し、少しの期待をズタズタのボロボロにされた俺としては、まあどちらも羨ましかったりするが、そこはどうでもいい。

 お兄さんはグラスにオレンジジュースを注ぎながら口を開く。

「普段も、ここでこうしてぼうっとしてるだけなのに、女性のお客様が結構寄ってきたり、色々なこと聞いてきたりするんですけど」

 とぷんとぷんと液体が跳ねるが、その水滴はコップの外に飛ぶことがない。

「モテモテだねぇ」

「けど今日は、あなたのおかげで助かってます」

「俺?」

「立ちはだかる、謎の男」

 横を向く。目が合う。冗談を言ったのだろうが、目が笑ってないのでどういう心情で彼がそんなことを言ったのか察しがつかない。

 女性客をブロックしているのが俺であるとして、その事実に付随する感情はいったいなんだろう。ありがとうございますという、感謝? あるいは、いつまでここにいるんだ、仕事をさせろ、消えやがれという、遠回しな敵意?

 しばらく無言で、ウーロン茶を飲む。いつの間にか、デザートのサービスが始まっていた。オレンジの皮をおいしそうに加工しておいしそうに盛りつけた、チョコレートケーキか何か。いつだっけね。もう思い出せないけど、俺はもうあれをここで2回くらい食べているわけ。頭を鈍器で殴られて記憶が飛んだりしていれば、毎度新鮮な気持ちで食べることができたんだろうけど、高級感というか特別感がすごいから、連発されると萎えてしまう。

「今日はさ、何時までなの、仕事?」

 空のグラスを渡す。グラスを持って、お兄さんが裏に引っ込む。数秒の、ひとりぼっち。戻ってくる。ウーロン茶の入った別のグラスを渡されて、それを受け取った。

「18時ですね。披露宴が16時に終わる予定なので、そのあと片づけをして、おわり」

 右手首に目を落とす。現在時刻、15時20分。

「そろそろ、新婦の方が手紙を読んだり、新郎のお父様が感謝の言葉を述べたりしますから、席についてないと、咎められますよ」

「それは、お兄さんに?」

「いえ、僕は別に、お客様がどこにいても気にしないんですけど、一応、式ですから。座るときは座らなきゃいけないっていう、面倒くさい、あれです」

「面倒くさい、ねぇ」

 ウーロン茶を一気に飲み干す。グラスを置いて、トイレに向かう。後ろで、お兄さんは再びグラスを裏に持っていった。


 トイレから戻り、俺は1時間ぶりくらいに席に着く。荷物の中身は、特に何も減っていない。ガラスの壁から見える海を見て、15時過ぎだってのに夕日になる気配がないことを知る。まあ、夏だしね。海は真っ青で、白い光をこれでもかといわんばかりに反射させている。波はなさそうだ。工場が見える。ここは工業地帯。うちの職場も、近くにある。だからこそ、みんな結婚式はここであげるのだ。日頃生活していて、嫌でも目にすることになる、結婚式場。しかしそこは、結婚という文字が絶えず頭に浮かんでいる人にとっては、理想をかなえる最高の場所なのである。

 司会者の方のアナウンスがあり、海の景色はブラインドで遮られ、会場全体が暗くなった。するとスポットライトが新郎新婦の席の前方に差し、ふたりは立ち上がってそこへ向かう。お色直しを経た新婦のドレスは、純白から薄い水色になっていた。ブルー系の色ってのは、たしかに綺麗だけどさ、縁起はあまりよくなさそうだな、と思う。まあ、俺は当事者じゃないから、どうだっていいんだけどさ。

 新婦が、手紙を読み始める。早くも、新婦友人は泣いていた。早くない? とは思っても、口に出すべきではない。視線を、スライドさせる。

 他のサービスマンはいつの間にか消えていたが、ドリンク台のお兄さんだけは、ぽつんとひとり立っていた。相変わらず、無感動で無表情。本当に、この職は向いてないというか、黙々と何かをつくってる、それこそバーテンダーのような仕事の方が向いているだろうなと思った。

 視線をテーブルに移す。飲まれなかったシャンパンが、背の高く細いグラスの8割あたりまで注がれている。

 俺はそのシャンパングラスの脚を右の指で掴むと、その細さに脆さを感じた。

 ……そこの無感動お兄さんの首の方が壊れやすそうだな。

 そんなことを考えて、気の抜けたシャンパンを一気に飲み干した。




 時刻は18時45分。俺はまだ、式場の駐車場にいる。

 さすがに暗くなりはじめているが、まだ日の入りとはいえなかった。スマートフォンの情報では、あと10分くらいで真っ暗になるらしい。

 車のドアにもたれかかって、ぼうっと見えない星を探している。従業員用の出入り口があるのだろうか、どこからかひとり、線の細い人影が駐車場に出てきた。しかし、どこか歪な影でもある。一箇所だけ、妙に飛び出ていた。

 影が鮮明になる。

「――ああ、さっきの」

「そう、さっきの」

 お兄さんの手には、花束。

「お祝い?」

「そうです。今日が、最後だからって」

「――どんな気持ち?」

 お兄さんは少し考える。

「かさばります」

 そりゃ気持ちじゃなくて、事実でしょうに。

 かといって、照れ隠しで言っているような雰囲気はなく、本当に邪魔に感じているんだろうなということは容易に想像がつく。

「わざわざ、18時まででシフトの希望を出してたのに、1時間近く、延びてしまった」

「いいじゃないの。4分の3時間分、ボーナスもらえたと思えばさ」

 カサッと音がすると、花が少し頭を垂れて束から落ちそうになっていた。たぶん、歩いているうちに花が落ちても、気にせず歩き続けるんだろうな、この人は。

「――それでは、本日はおめでとうございました」

 花に続いて、お兄さんも頭を下げる。余計負荷がかかったため、あと一歩で花のひとつが落ちそうだ。

 お兄さんは、去っていく。しばらくして、追いかけるように駐車場から歩道に出た。後ろ姿を、ぼうっと見ている。お兄さんは、お兄さんの影になった。

「――あのさ!」

 俺は後ろ姿に声をかける。

「俺、運転手でさ! だから今日酒飲まなくて! 今、そこで二次会やってて、それが終わるの待ってるんだけど! そろそろ終わるからさ!」

 終わるから、なんだろうな。

 今の俺は、どんな気持ちだろう。何を求めているのだろう。

「――牛丼でも食いに行かない!?」

 オシャレなフレンチでも、おいしいお酒でもなく、俺の今の気分は、毎日食っても飽きないような、庶民的な、腹が満たされればどうだってよくて、素材の味なんてあまり考えてなさそうな、しょっぱいもの。

 しばしの沈黙。日の入りはもうすぐだ。道路に、やたら声が響いたから、まだ俺の牛丼の叫びがエコーしているような気になる。

 影は、振り返った。

「――これから、バイトなので!」

 ちゃんと、叫びが返ってきた。

 影は礼をして、また振り返ってしまう。影は、ついに消えていった。しかし俺は、途中で影からひとつの影が分離したのを見逃さない。


 歩道を歩く。さっき、お兄さんが礼をしたあたり。一輪の花が、落ちていた。花に詳しくないから、なんて名前なのかはわからない。というか俺は、あのお兄さんの名前さえわからないのだ。

 花を拾って、しばらく見つめる。ポケットにしまえるようなサイズではない。一輪でさえ、正直邪魔だ。束でもらったら、さぞ面倒だろう。本当だとすれば――このあと別の場所でのバイトを控えているのなら、なおさらだ。

 花の茎に力を入れる。

 音もなく、花は曲がってしまった。手応えのない、あっという間の一撃。

 ――彼の首や手足も、これくらいだろうか。

 不穏なことを考える頭を振って、スマートフォンを取り出す。19時になって、太陽は完全に姿を消したらしい。あたりは、コンビニの光を浴びてぼんやりとしか見えない。

 近く、バー、バル、検索。

 10件ほどのお店が表示された。

「……しばらくは、近辺のお店を開拓するかね」

 明るい色じゃなく、暗い色の制服を着た、彼に会うために。

 まあ、こんなオシャレっぽいところに何件も行っていたらお財布が大変なことになるのは目に見えている。がんばって仕事しないと。自分に喝を入れる。

 駐車場に戻ってきた。式場と駐車場を共有している、式場隣のレストラン。そこが二次会の会場だった。ぞろぞろと、人が出てくる。そのうち、乗せなきゃいけない野郎どもも、こっちに来るだろう。

 茎の曲がった花。顔を近づけて目を瞑り、思い切り花から息を吸う。数秒考えて、俺は花を捨てた。

 彼は、どんな匂いがするのだろう。酒の匂いかも知れない。だが、きっと甘い匂いがするんだろう。




(おわり)

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かさバル 柿尊慈 @kaki_sonji

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