予言者のあいつが気に入らない

棗颯介

予言者のあいつが気に入らない

「イザヤ。俺が明日受ける会社の面接に合格する確率は?」

「計測したよ。期待値は甘く見積もって約三十パーセント。考えられる要因は君の学歴と得意分野が企業の求める水準と比較して不適合であること、それから明日の担当面接官が君の顔を見た際に好印象を抱く可能性が限りなくゼロであるため」

「じゃあ質問を変えよう。単刀直入に言って、明日の面接が受かるか受からないかで言うとどちらだ?」

「受からないね。断言できる」


 はぁ、と大きなため息が零れる。

 きっと明日の面接も上手くはいかないだろう。PCのスピーカーから流れているこの“IZAYAイザヤ”と名付けられた姿なきAIが齎す予言は外れる方が珍しいとされている。少なくとも俺が物心ついてからこの方、俺が聞いた質問が外れたことは一度だってない。時間帯ごとの天気予報はもちろん、俺がミドルスクールで受けたテストの点数、初恋の女の子に告白してフラれることも、サッカークラブの大会で俺が足を故障することまで完璧に予言している。以前ニュースで聞いた話によればイザヤを提供する企業がさらなる予知精度の向上に成功したらしいから、きっと俺が三十路になる頃にはこの世のすべてがイザヤという予言者の言う通りに動いていくのかもしれない。

 いや、今の時代が既にそうなのだから、今後もそれが変わらないのは必然だろう。

 そりゃそうだ。このイザヤの言う通りに従って生きることがほとんどの人間にとって幸福なんだから。イザヤはその人間が生まれた時点でそいつのこの先の未来や適性のすべてが分かる。それに従って生きていけばおよそ人生の中で壁にぶつかるようなことはない。対人関係を築く中でどういう相手と相性が良いのか、自分がどういう分野で秀でた才能を持っているのか、どこの企業に投資すれば老後の暮らしは安泰なのか。それらすべてが最初から分かっているなら、その通りに従えば悩み、苦しみ、失敗することなんてないんだ。

 そんな完璧な予言者が子供の頃の俺に言い渡したこの先の未来は、実につまらないものだった。

 今の大学卒業後にとある建築関係の会社に入社。約五年後には課長クラスのポジションになり、そこからさらに五年以内には仕事関係で知り合った女性と結婚する可能性が極めて高い。今の健康状態から逆算すると子供は多くて三人で、性格は俺よりも母親に似る傾向が強いそうだ。

 本当に、そんなありきたりな人生を送るのか。最初に聞いた時はそう思った。でも、いくら運命を修正しようともがいても、最後にはイザヤの言う通りの筋書きを歩くことになっていった。まるで俺の意志に運命という巨大な力が干渉し、無理やり行き先を軌道修正するように。抗っても抗っても吸い込まれるようにそちらの方向に進んでしまう。

 きっと、他の人もそうなんだろう。最初の頃は自分の可能性や未来を信じて、自分の力で必死に道を切り開こうとして。でも、いくら人生の壁を叩き、削り、掘り進めても壁はなかなか破れずにそのうち心がゆっくりと死んでいく。そして最後には定められたレールに従って進むことを選ばざるをえないんだ。そうしないと生きていけないんだから。


「なぁ、イザヤ」

「なんだい?」


 イザヤは一種の人格データを持っている。古い時代のAIというと自我を持たず、定められた音声認識とかに従って利用者に淡々とサービスを提供していたらしいけど、個人的にはそういう無機質で機械的なAIのままでよかったんじゃないかと思う。

 なぜなら。


「お前さ、一回嘘でもいいからお前よりも俺の選んだことが正しいって言ってくれないの?」

「言うわけないじゃないか。だって俺の方がいつだって正しいんだから」


 このように非常に傲慢で態度が悪いからだ。

 IZAYAイザヤはネットワークを通じて世界中の人々が利用できるサービスだが、利用開始後に登録者とのコミュニケーションを通じて固有の人格が形成される。だから他の人が使っているイザヤもこうだということはないだろうし、もしかしたら俺にとって理想的な、淡々と仕事をこなすだけのイザヤもどこかにはいるのかもしれない。

 どうして、こいつはこんな憎たらしい奴になってしまったんだろう。こちらから話しかけない限りは声を出すことはないというすべてのイザヤに共通する最低限の規格は守られているからまだいいが、これでこいつが自由に会話できるようになったらどうなるんだろうと思うとゾッとする。カッとなってPCを叩き割ってしまうかもしれない。


「そもそも君も変な奴だねぇ。こっちの指示した会社の選考を受ければ落ちることなんてほぼないのに。君が大学の研究室で変わり者扱いされているのはそういうところだって前から言ってるじゃないか。彼女が生まれてこの方できないのだって———」

「あーもう五月蠅いな。少し黙れ」

「はいはい」


 黙れと言えば黙ってくれるが、とにかく話していて苛々するんだこいつは。こいつのこういう偉そうな態度が癪に障ってわざと予知から外れた行動をとっても悉くうまくいかず、それでまた結局こいつに煽られる。そんなことをもう十年は続けてきた。

 分かっている。自分が周りの奴らから見てどれだけ馬鹿なことをしているのか。今の時代は効率よく生きることが求められている時代だ。すべての人間が与えられた予知に従って生きることが、社会全体の秩序を守ることに繋がるんだと多くの人間が教えられている。

 でも、最初から用意されたレールに従って生きることに何の意味がある?苦労も悲しみも不安もそこにはないかもしれない。でも、そもそも“自分”がそこにいないじゃないか。

 俺は、俺の自由意思を運命に譲りたくない。俺は俺の意思に従って生きていきたいんだ。

 とまぁ、そんな理由もあるにはある。

 だけど、そもそも俺にそう思わせるようになったのは、他でもないこのイザヤだ。物心ついた頃から意地の悪い奴で、だけど何でも知っていて、聞けば何でも教えてくれるこいつの存在が気に入らなかった。もちろんこいつのおかげで助けてもらったことも何度もあるし、曲がりなりにも俺がここまで生きてこれた要因の一つは間違いなくイザヤだろう。そこは否定しない。

 ただ、単純に。シンプルに。

 こいつの鼻を明かしてやりたかった。

 ずっと、一度でいいからこいつに勝ちたかった。顔も見えない、形ある存在でもない、ムカつく雑音しか発さないただの機械に、俺はどうしようもなく対抗心を燃やしていたんだ、子供の頃から。定まった運命なんて存在しないってことを、なんでも知っているこいつに教えてやりたかった。その時にこの偉そうな人工知能がどんな反応を見せるか、興味があったんだ。


「イザヤ」

「………」

「おい、イザヤ?」

「………」

「どうした、壊れたのか?変なとこ弄ったりなんてしてないはずなんだけど」


 慌ててPCからIZAYAイザヤのセッティング画面を立ち上げた時、ノイズがかった笑いと共に馴染みのある声が届いた。


「やだなぁ、少し黙れって言われたから黙っただけなのに。そもそも黙れって言った五秒後に話しかけるってどういう脳ミソしてるんだい?君の身体は時間感覚が分からないくらい就職活動で疲弊しきっているのかな?」

「マジでアンインストールしてやろうかお前」

「既にバックアップは取ってあるからそうしてもらっても平気だよ。君の個人情報とシステムが紐づいている以上、新たにインストールしなおしても君を出迎えるIZAYAイザヤは今の俺と何ら変わらないけどね」

「ほんっと口の減らない奴だなお前。マジでお前のその減らず口を塞いでやりたい」

「ならせいぜい就職活動頑張るんだね。そのために今の会社を志望してるんだろう?」

「ついさっきお前に受からないって予言されたばっかだけどな」


 建築会社に勤めるとイザヤに予言された俺が今目指しているのは、IZAYAイザヤの開発や研究に関連したIT企業の各社だった。こいつの鼻を明かしてやりたい。そのためには実際にIZAYAイザヤを扱っている会社で働くのが一番だと思ったから。


「AIの俺への対抗意識から自分に不適合な道を選ぶなんて、つくづくおかしなヤツだねぇ君は。あまりにも理屈に合っていないよ」

「理屈に合ってなくてもいいんだよ。俺はただお前が気に入らないからお前の言うことに従いたくないだけだ」

「やれやれ。君がそういう風に育ってしまったのは俺が君の成長過程に干渉してしまったせいなのか、それとも生まれ持った気質なのか。どちらにしても俺と君が出会ってしまったのは、君にとって不幸な運命だったとしか言いようがないね」

「そうでもないと俺は思うけどな」

「どうして?」


 イザヤは珍しくシンプルに声音に疑問の色を浮かべた。


「今のお前と会ってなかったら、多分俺は何も考えずに与えられたレールに従って生きるだけだったと思うから。定められた運命ってやつを変えたいと俺に思わせてくれたお前に———」


 感謝している。

 その一言をこいつの前で声に出すのが癪で、俺は咄嗟に口をつぐんだ。だが、限りなく正確無比な余地を行うこの予言者は、そこまでの言葉だけでこちらの思いを完全に把握していた。


「そうかそうか。利用者に感謝されるとは、こりゃAI冥利に尽きるねぇ。君の口から好意的なことを言われるなんて滅多にないから思わず涙が出そうになったよ。眼球も涙腺もないけど」

「っ、うるさい!とにかく俺はこれから履歴書書きなおすから静かにしてろよ!」

「はいはい。なぁ、———」


 珍しくイザヤの方から俺の名を呼んだ。


「なんだよ」

「君は俺というAIを通じて“運命”っていうものに逆らおうとしているらしいけど、運命に従うっていうことは必ずしも悪いことばかりじゃないと思うんだよ、俺は」

「聞いてもいないことを話すなんて、バグでも起きたのか?」

「君が本心でどう思っているかはAIの俺にも分からないけど、少なくとも俺は、君と出会えたという運命の悪戯に関しては良かったと思っているからね」


 俺の言葉を無視してイザヤは語り続ける。やっぱりバグか?


「だけど、生まれ持った才能や誰かに与えられたレールに従って生きていけば幸せになれるかって言われればそういうわけでもないっていうのは、AIの俺にも分かる。さっきも言ったけどAIは人の心までは分からない。結局、その人が生きていてどう思うかが一番大事なんだと思う。今の世界はたまたま、運命に従って生きることを幸せだと思う人が大多数だっていうだけで」

「…………」

「君が俺たちの提示する“運命”に逆らうことに生きる意味を見出しているって言うんだったら、それは周囲の人間と比べるととてつもなく非合理で賢くない行いかもしれないが“間違い”ではないよ、きっと」


 だから、とイザヤは最後に一言付け加えた。


「だから、いつか君が俺の予知を覆してくれるのが、俺も楽しみだ」

「……そうか」


 それっきり、イザヤが何かを語ることはなかった。

 あいつにこんな好意的なことを言われたのはいつ以来だろう。普段は神経を逆撫でするようなことばかり言ってる奴だが、今の言葉に悪意はないように思えた。そして、不思議と心が安心感で満たされている自分に気付く。


 ———“間違い”ではないよ、きっと。


 今まで一度だって何かを間違えたことがないあいつにそう言ってもらえたことが、嬉しかった。

 そうだ、明日の会社の面接ではイザヤとのことを面接官に話してみようか。それで選考が通るかは分からないけれど、でも、なんだかうまくいきそうな気がする。

 これについてはイザヤに成功するか聞いてみるのはやめておこう。そう思いながら、俺は履歴書を書きなおす作業に入った。

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