世捨て人の自己嫌悪とマッチポンプ

作者と読者の関係を、作品の構造によって、作者と作中人物の関係に重ねているのが面白い。
冒頭で主人公が食すステーキは読者≒作中人物の比喩に違いない。この時の彼は自らの想像力の産物である「妄想」に囚われていた。
しかしその「妄想」は想像力そのものによって破壊される。主人公は結局、「妄想」ではないありのままの現実を見ることができたのだろうか?