ロマニー・クイーン
楠々 蛙
地球は青い。ゾッとするほどに
なるほど、落下するというのは、確かにあまり気持ちのいいものではないらしい。
エリザベス=ノーマッド──愛称イライザは、機体越しにじわりと伸し掛かる重力を感じながら、そんな事を考えた。
対放射線フィルターを張ったキャノピー越しに覗くのは、星々が渦巻く宵闇の
考えに浸る間もなく、イライザが舌をうつ。正面から、機銃を発しながら接近するスペースモービルを見咎めたからだ。
灰色の卵にロケットエンジンを繋ぎ合わせたような機体。いくらか手を加えているようだが、市販のモデルとそう変わりない。
機体の左右に取り付けたガトリング機銃が火を吹きながら、灰色の卵がほとんど突進するような勢いで突貫して来るのを回避マニューバで躱す。
足許のフットペダルと、手中の操縦桿を操作すると、イライザの駆るスペースモービル──スピッドファイアがそれに応える。
機体後部に取り付けた単発高出力プラズマジェットのメインスラスタに備わる大型のスラストリバーサが閉じて、機体に急制動が掛かり減速。
主翼に内蔵した六基の姿勢制御用一液式ロケットスラスタが、推進剤を噴出する。
主翼両端に近いエルロンスラスタが機体の中心を回転軸にスピッドファイアを左に旋転させ、主翼の根本に位置するエレベータスラスタが機首を持ち上げ、機体がロールする。
さらに主翼両端に備わる
三六〇度変わり映えのしない光景が拡がる宇宙の中にありながら、機体が反転した一瞬、キャノピーの向こうの景色が変わった。視界一面の青。
昔、とある男が言ったそうだが、なるほど確かにぞっとするような青さだ、地球というやつは。
火星出身のイライザにとって、故郷の荒涼とした赤とは違うこの吸い込まれそうな群青には、郷愁を覚えるよりもまず怖気が走る。吸い込まれそうというのは、何も比喩ではないからだ。
機体の状態を示すモニターの端で、警告を表すサインが点滅している。重力圏内にあり、かつ大気が薄いというサイン。
イライザとは違って、スピットファイアは地球産だ。大気圏内での航行も可能だが、といってまさか、大気圏に突入するスペックなど持ち合わせがない。いわゆる断熱圧縮によって機体が燃え尽きるのがオチだ。
火星育ちで、落下という観念が地球生まれの人間と比べて三分の一ほど薄いイライザでも、そのオチには冷や汗ものだ。少なくとも、笑えない。
そもそも何故、大気圏突入の土壇場でドッグファイトをする羽目になったかといえば──
『イライザァ! てめえよくも俺の仕事を奪いやがって!』
オープンチャンネルの通信に、怒髪天を衝くような怒声が入る。
まあ、この宇宙で天も何もあったものではないが。それにこの声の持ち主には、生憎と逆立つ髪もない。禿頭の安い顔を思い浮かべながら、イライザは通信に応えてやる。
「あんたに愛称で呼ばれる筋合いはないよ、ガーランド。ノーマッドと呼びな。ミズもつけてね」
『黙りやがれ、この売女。人の仕事横から掻っ攫っておいて、こまっしゃくれた口利くんんじゃねえ!』
こっちが黙れと言いたいが、まあ通信機越しなだけありがたい。奴の息はさぞかし臭そうだ。
ともあれ、ガーランドのいう仕事というのは、考えるまでもなく運び屋の仕事だろう。
イライザは運び屋だ。宇宙トラック乗りではないから大荷物は運べないが、合法非合法を問わず、こうして戦闘用のスペースモービルを所有しているからトラブル付きでも引き受けられる。
今もまた、地球へ荷物を運んでいる最中だったのだが、今から大気圏に突入しようとしたところで同業者に逆恨みの襲撃を受けたというわけだ。
「ひどい誤解もあったもんだ。あたしに仕事が回ってきたのは、おたくらが使えないからだろう。他人妬む前に鏡を見なよ。無能の顔が見れる」
『黙れと言ったぜ! どうせお前があることないこと吹き込んだに決まってる』
ため息が出る。まあ馬鹿に何を言ったところで聞く耳持たないのは当然か。人の言う事に耳を傾ける利口な人間は、馬鹿をやってはいない。
こんな男が運び屋の徒党をまとめて運送会社の真似事をやっているというのだから、世も末だ。
「まあいいさ。それよりあんた、このままじゃ燃えかすになるよ。ゾッとする話なんだが、あたしと心中するつもりかい」
『だあれが! 生憎だが、お前の相手しているそいつは無人だぜ。俺はそこまで馬鹿じゃねえ。きちんと考えてるのさ』
「だろうともさ」
そう、このガーランドというのは、こういう男だ。馬鹿は馬鹿でも、馬鹿になりきれない馬鹿。救いようのない馬鹿なのだ。
少なくとも、この男に一欠片の用心深さ、あるいは臆病風に吹かれる癖がなければ、さっさと宇宙のデブリになって、世界はいくらか救われる。
『観念したか? ここが年貢の納めどきだぜ!』
こっちの皮肉にも気付かずガーランドが声高々と笑い、通信が途絶える。
さて、とりあえず頭の痛くなる会話は終わった。
無人機と言っていたが、AIを搭載しているのか、はたまた遠隔操作か。
今、スピットファイアの後ろを付けてる機体から伝わる感じからして、おそらく後者だろう。動きが人間くさい。それにねちっこいその動きは、にやけ面を彷彿とさせる。いちいち人を揶揄する人工知能は、うちで留守を預かっているヤツで十分だ。
相手の数は単機。
その辺りも、ガーランドのせせこましさの表れだ。この状況で数を仕掛ければ、イライザを墜とす公算もさぞかし高くなっただろうに、安物に毛を生やしたような改造機を一つだけ使って悦に入る。
まあ仕事がなければ、金もないのだろうし、イザイラからしてみれば文句を言う道理はない。
さて、あまり時間を掛けてはいられない。こうしている間にも、徐々に高度は下がりつつある。
推進剤もそう長くは保たない。
だが後ろを取られている以上、こちらから仕掛けるのは難しい。これが平常時であれば、自由にマニューバを仕掛けられるのだが、この状況では下手な動きは寿命を減らす事に繋がる。
だがガーランドは、このままタイムオーバーでイライザが墜ちる事は望んでいまい。自分で手を下すか、イライザが無様に踊って自滅するかのどちらかでしか、奴のような男は満足しない。だからどこかで痺れを切らす。
「ほら来た」
卵ボディが接近する素振りを見せる。
それを目敏く察したイライザは、卵ボディが推力を上げたその瞬間に合わせて、スラストリバーサを再び閉じる。
瞠目が容易に察せられる動きで、スピットファイアの上を通り過ぎる卵ボディ。
それもそのはず、地球の重力圏内で減速する事は、重力に身を任せて落下する事に繋がる。普通、自殺志願者でもない限りは、そんな真似はしない。
イライザは、前に出た卵ボディに照準を合わせ、操縦桿に這わせた指でトリガーを引いた。
スピッドファイアの機首に内蔵したリボルバーカノン──ラインメタル社のRMK30mk.2がすぐさま火を吹き、卵ボディに繋がるロケットエンジンを貫いた。
エンジンが爆発し、推力を失った卵ボディは重力に捉えられて、落下してゆく。
やがて圧縮した空気の熱に灼かれて赤熱する卵。
煮え切らない持ち主と違って、完熟間近だ。すぐに炭も残らなくなるだろうが。
とそこで、また通信に癪に触る声が入る。
『はっ、いよいよもってお前も終わりだなあ。まあ、一矢報いて幕を閉じるのは、なんともお前らしい死に方だ。お前の墓には、勇敢な死を選んだと刻んでやるよ、感謝しな』
「あんたに、あたしのらしさを語られんのも、あんたの作った墓の下で眠るのもごめんだよ。あたしの死に時は、今じゃない」
『めでてえな、自分の死に時、テメェで決められると思ってやがる。往生際が悪いぜ。地球の重力圏内で減速したんだ。お前はもうすぐ流れ星だ。そしたらお前が地獄に堕ちるよう祈ってやるよ』
「馬鹿め。重力加速度って言葉を知らないのか。地球じゃな、落ちれば速度が増すんだよ。落ちるってのも案外、悪いもんじゃないのさ」
地球の重力加速度は九・八。火星のそれとはわけが違う。
減速して落下しても、すぐに脱出速度近くまで引き上がる。さらに、落下するという事はそのぶん地表に近くなり、大気が濃くなるという事だ。
スピッドファイアの流線型のボディと主翼は、他の多くのスペースモービルと違って、大気圏内の航行力学にも則り、推力のみに頼らず揚力を生み出して、大気圏内を航行する。
現在の高度では、薄すぎる大気を完全に捉える事はできないが、落下速度を緩める手助けにはなる。
『だ、だからなんだってんだ! 所詮は悪あがき、時間の問題さ。機体よりもまず、お前自身がコックピットの中でローストになるのがオチだ。そしたら笑ってやるぜ』
「すぐに笑えなくなるさ。きちんと迎えは用意してあるんだよ。──アニムス、準備はいいね」
喉から無理やり搾り出したような笑声をあげるガーランドから、呼び掛ける相手を変えて、イライザは言った。すると、オープンチャンネルではなく、専用の通信が開く。
『はい、待ちくたびれました』
男性的な人工音声。今日日、わずかなサンプルから肉声と聞き分けの付かない音声を簡単に作れるツールが出回っている時代に、こうまでそれとわかる人工音声は珍しい。
それは彼のこだわりなのだ。自分はあくまでも、機械だという、こだわり。
人間の創作に登場するロボットと違って、彼は人間という安い生き物に憧れなど抱かない。
「一言余計だよ。だがまあ、よくやった」
徐々に熱くなってきたコックピットから、イライザは機体の針路上に待ち構える宇宙船を目にした。
船体に赤いペンキで大きな車輪と、鋭い顔つきをした美女の横顔──イライザの所有する大型船舶、ロマニークイーンだ。
徐々に温度が増していくコックピットの中、熱気によるものだけでない冷たい汗を額に浮かばせながら、重力下、慎重に姿勢制御用のスラスタを吹かして、収容ハッチへ乗り入れる。
『クソクソクソクソ、クソッタレ!』
「どうした? 笑いなよ、ガーランド」
『調子に乗るなよ、イライザ! 次はこうはいかさねえ、落とし前つけてやる! 覚えてやがれ!』
面白みのない捨て台詞を残して、ガーランドからの通信が途絶える。
「落とし前? そいつはこっちの台詞だよ……」
『ミスタ・ガーランドの行方を探知しますか?』
独り毒吐くと、モニターにウィンドウがポップアップした。
画面内を、アジアンテイストな色彩の幾何学模様が占有する。マンダラと呼ばれる、宗教的な図象だ。
これが彼──人工音声の持ち主、アニムスのアバターだ。その正体は、ロマニークイーンに搭載された多機能型AIである。ロマニークイーンの運航から、運び屋稼業の事務処理まで一切をこなしながら、日夜AIらしからぬ口を利いている。
「いらないよ。あれを追う必要も、あれに敬称もね」
『わかりました。それでは、ファッキン・ガーランドに落とし前を付けていただくのは、また次の機会にということで』
早速これである。おおかた最初にミスタと付けたのも、このAI流の皮肉だろう。
「それより、被害の報告。最初にいくつか弾を食らっただろう」
『大したダメージはありません。弾道が浅かったようで、装甲が少々凹んだ程度で済みました。ファッキン・ガーランドの腕に助けられましたね』
「積荷は?」
『そのことで、一つご報告があります。イライザ』
「なんだい、積荷に割れ物はなかったはずだが。大した衝撃でもなかっただろう」
『結論から申し上げれば、積荷を一部、放棄しました』
「は?」
『あなたをお迎えに上がるのに、無理な軌道で大気圏に突入しなければならなかったため、積荷を捨てて重量を軽くしなければ、突入角度がスペック上の耐久保証角度を大幅に上回ると予測しましたので、こちらで対応しました』
淡々と一言一句を述べるアニムスの言葉に、返す言葉を失って、頭を抱える。
その予測は本当か、何故実行する前に報告しなかったなどと言いたい事は山ほどあったが、どうせ何を言ったところで、このAIはその倍の言葉を返して来る。それに、癪に障るがアニムスが仕事で判断を間違えた事はない。
「……わかった。OK。それで、積荷はどれくらい残ってる?」
『半分ほど。荷物の大半は武器と弾薬。安価ながらも重い物を優先的に選んで放棄したので、実際の損害は四割といったところでしょうか』
つまり、残ったのは六割。何も残っていないよりマシだと言いたいが、相当痛い損害だ。報酬は当然望めず、どころか損失の補償を請求されるだろう。
「マダム・レディに連絡は?」
依頼人の名前だ。フランス語と英語の敬称を合わせた奇妙な呼び名に思えるが、この場合
元々は一介の娼婦だったらしいが、当時酷い惨状だったインドの売春窟をその類い稀な才覚、そして絶世と謳われる美貌を以てして、現在地球でも有数の歓楽街に仕立て上げたという女傑だ。
性病のリスクは低く、マナーを知らない客は寄り付かせない。
比較的クリーンな性産業を保証する彼女の王国へ、必然的に客も商品も入って来る。
インド洋沖に建つ軌道エレベーターに近いという地の利もある。当然の事ながら、敵も多い。だから武器が必要になるというわけだ。
『済ませてあります。交渉の結果、補償の必要はなく、報酬は元値の三割ということで決着しました』
「は?」再び、言葉を失う。
マダム・レディは決して人格者などではない。その性根は、生まれついての毒婦にして守銭奴。無能に辛辣で、金にはうるさいともっぱらの評判だ。
今回の不手際に付け込んで、相当な額を請求されるだろうと覚悟していたというのに、補償もなく、減額したとはいえ報酬を払うとは。
「アニムス。お前、なにをした」
『いえ、なにも。私はただ、彼女の部下の連絡先に、彼女と敵対している組織のお名前が入っていると、そうお教えしたまでです』
「……なるほど」
筋書きが読めた。
マダム・レディの部下に敵対組織へ与する者が紛れていて、そいつがイライザが武器を輸送しているという情報を、彼女に逆恨みを持つガーランドに流したのだろう。
『運送に関するリスクの情報開示、これは依頼者の義務です。これが守られなかった場合、こちらに不手際が生じたとしても、それは依頼者の責任でしょう。そう御指摘したのですが、なるほど流石は色街の女王、三割まで値切られてしまいました』
「それでも大したもんだがね」
まさかあちらも、自分の交渉相手がデータ上の存在だとは思っていまい。
「アニムス」
『なんでしょう?』
「マダムに追加で送りな。次回の仕事は三割引きで請け負うってね」
『何故でしょうか。こちらに落ち度はありません。譲歩の必要はないかと』
相も変わらない人工音声だったが、心なし拗ねているような口調に聞こえる。
「お前は確かに利口だが、機微ってもんがわかってない。商売は銭勘定だけじゃ回らないのさ。損して得取れ、まずは与えよってね。ここは貸し作っておくのが吉だ。あの女傑に貸し作る機会はそうあるもんじゃない」
モニタに表示されたマンダラの色彩が巡るましく変わる。
『機微、ですか。興味深い。わかりました。あなたの言う通りにしましょう』
アニムスがそう発すると通信が切れ、モニタからもマンダラが消える。
イライザはとりあえず一心地吐こうと、キャノピーを開いて、その場で紙巻煙草のソフトケースを取り出した。カルメンというスペイン煙草だ。
オイルライターで火を着け、一服喫する。
吐き出した煙と、煙草の先端から生じる煙が、ゆっくりと天井へ昇ってゆくのを見て、身体に感じる重みよりもより直感的に、重力を自覚した。
落下するモノよりも、上昇するモノに重力を見出す。イライザはつまり、そういう性分の女だ。
しかしまあ、補償を回避できたとはいえ、報酬は三割。どうにかこうにか経費くらいは回収できるだろうが、身に伸し掛かる徒労感は拭えない。
「地球くんだりまで来て、くたびれ儲けか」
くたびれ儲けの、踏んだり蹴ったり。なるほど地球に来たわけだ。少なくとも宇宙じゃ、足踏みも満足にできない。
ロマニー・クイーン 楠々 蛙 @hannpaia
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