熱きマグマで揺れし大地がココロを凍土に変えるのか

naka-motoo

人ごととは決して思いません、なぜならわたしたちは日本人だから

 その日、日本人全員が他人事とは決して思わずに夜を明かしたことだろう。


 縁あって日本人として生まれたわたしたちだから。


 震災の初日の夕方、仕事から帰ったわたしはニュースの映像で甚大な被害を受けた方達の街を見て、地獄がとうとう世に顕現されてしまったと泣きたい気持ちでいっぱいだった。


 家族と夕食を取りながら、距離としては遠く離れていても日本が列島であることを思えば、恐怖は全国民共有のものだとぼんやりと考えて、順番に速やかに風呂を終えて、早めに布団に入った。


 布団に入り、部屋の灯りは落として、テレビはつけたままで。


 現地での余震の情報がずっと流れ続けている。


 うつろに眠りに落ちそうになると、大きな音が鳴った。


 緊急地震速報。


 夜の公共的な放送では揺れがあった後、素足で家の中を歩かないようにキャスターが言っていたけれども、わたしはもっとその先のことを考えていた。


『生前遭えなかった恩人の言葉の中にこういうのがあったな・・・・「もしも家族がたとえば洪水に見舞われたら、自分の配偶者でも子供でもなく、親や舅・姑を真っ先に助けなさい」・・・と・・・・』


 恩人のほんとうの真意はわたしごとき浅瀬で生きている人間にはわからないけれども、わたしたちの立場であれば、舅と姑をなんとかして避難所まで運んで・・・・・・・ただ、その時には・・・・・・他の家族はどうなっているのだろう・・・・・


 その夜、わたしたちの家族だけでなく、日本じゅうの家族や、ひとりで暮らしている人はご自分の身やあるいは遠くの別の県で暮らす誰かの身や・・・・すべての人が誰かを愛おしく、切なく思い遣ったことだろう。


 ましてや深甚な被害を受けた現地の方たちは・・・・・・


 大地を叩いて慟哭しても決して癒えることのない悲しみの中で、どんなふうにお過ごしになられたのだろう。


 わたしが子供の頃に、祖父の月命日に読経しに来てくださった檀家のお寺のご住職が、こんな法話をなさった。


「アメリカの開拓時代を描いたドラマを先日観ていたら、大嵐で町が甚大な被害を受けた時に、草原の一軒家で暮らす家族の少女がお父さんにこんなことを訊いたんですね。『お父さん。どうして神様は大嵐をお起こしになられたの?どうして大勢の人が亡くなったり、家畜や農作物が全滅してしまうのをお助け下さらなかったの?』と・・・・・」


 わたしはご住職がその後何と話したかを全く覚えていない。

 きっと、わたしもその草原の少女と同じ疑問を持っていたからだろう。何を言っても詭弁にしかならない、って思ったんだろう。


 緊急地震速報が一晩じゅう鳴り止まなかった日本のすべてのひとたちの夜が開けて、わたしたち全員の震災の二日目が始まった。


 家族が役割分担して地震のための準備をした。


 わたしは老人だけで暮らす実家の両親の様子を車で見に行った後その足で舅や姑のために備蓄食料や水を調達しようとホームセンターに向かっていた。


 国道を走ると、いつも見ている山が見えてきた。


『この県の山はの、阿弥陀さまの化身。神様と阿弥陀さまが山となって風雨の盾となり、地震の揺れを和らげてくださっておるのよ・・・』


 恩人の言葉が、脳内に聞こえた瞬間、車のハンドルを握りながら、山に向かってココロの中で手を合わせた。


「ずっとずっと昔から、わたしたちをお護りくださってありがとうございます」


 ただ、それだけだった。


 草原の少女に対する答えは、浅瀬でちゃわちゃわするだけで何も知らずに生きてきたわたしごときのココロには浮かびようもなかった。

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