二つの事件

2-1

 アリアート魔術学校の敷地内。どんより暗い雰囲気に包まれているこの場所には一つの石橋が存在する。橋は常に厚い霧で覆われており、奥がどうなっているのか皆目見当もつかない。そんな不気味な橋の下に小屋があることを知る者は少ないだろう。

 新入生のマリー・ベラドーナは入学前から、この学校に魔女がいるという噂を聞いていた。彼女は校内を探し回った末、この場所を見つけ出した。

 外から小屋の窓を覗くと、一人の少女の姿が見えた。魔女と言えば高齢のお婆さんのイメージがあるが、実際の魔女は一定の年齢から見た目が変化しなくなるという。そのため、あの少女が魔女である可能性は十分にある。

 マリーがしばらく少女を観察していると、突然、後ろから男性の声が響いた。


「おや、お嬢様に何か御用ですか?」


 マリーが驚いて振り返ると、そこには制服姿の男子生徒がいた。彼はとても背が高く、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。年齢は二十歳くらいに見える。


「おっと、驚かせてしまって申し訳ない。わたくしはルーカス・バフォムトと申します」


 彼は優雅にお辞儀すると、こちらを見てニコリと微笑んだ。


「私はマリー・ベラドーナといいます。あの、お嬢様って?」

「ああ、こちらにいらっしゃる方のことです」


 彼は小屋のほうに手を向けながら言った。


「それで、どういったご用件でいらしたのでしょう」

「ちょっと、その人に興味があって……」

「なるほど、そうでしたか!」


 彼は小屋の扉をノックして、おもむろに扉を開けた。


「どうぞ、お入りください」


 あまりの急展開にマリー全く動けなかった。今日は外から様子を窺うだけに留めようと考えていた。少女と対面することは想定していなかった。

 そんな彼女をルーカスは優しくエスコートし、小屋の中へ誘った。断ろうにも断れない状況に、マリーは恐る恐る小屋の中に足を踏み入れた。

 小屋の中は薄暗く静かだった。窓から差し込む僅かな光が部屋に散らばった古い家具を照らしている。机の上に本が積まれており、その傍には木製の椅子がある。壁際には本棚が並んでいて、その前のテーブルには幾つかの瓶が置かれている。頭上を見上げると高い天井が目に入る。天井付近の壁を囲むように大量の戸棚が見えた。

 ルーカスに連れられて部屋の奥に向かうと、黒色の液体が入った大鍋をかき混ぜる少女の後ろ姿が見えた。


「お嬢様、お客様がお見えになりました」


 ルーカスが声をかけると少女はこちらを振り返った。しかし、少女は一瞥を投げただけで、すぐに作業に戻った。その時、独特な臭いが漂ってきて、マリーは思わず鼻を手で覆った。腐った卵の臭いと焦げた鉄の臭いが合わさったような強烈な悪臭だ。


「あまり吸い込まない方がいいわ。ルーカス、窓を開けて頂戴」

「承知いたしました。マリー様、どうぞお座りください」


 ルーカスが近くにある椅子を手で指し示した。マリーは今更逃げることもできず、大人しく椅子に腰かけた。ルーカスが窓を開けに行っている間、マリーは少女の動きをじっと観察していた。

 少女が指を振ると、テーブルに置かれていた瓶が少女の手元に飛んで行った。少女は手際よく鍋の中身を瓶に汲み分けていく。やがて鍋が空になると、小瓶は天井に浮かび上がり、戸棚の中に収納されていった。


「待たせたわね」


 少女はマリーの正面にある椅子に座った。ルーカスはその後ろ側で待機している。


「それで、何の御用かしら?」


 少女に尋ねられたマリーは返答に困った。


「その……貴方は、魔女なんですか?」


 マリーが恐る恐る尋ねると、少女は表情を崩さないまま答える。


「ええ、そうよ」


 マリーの心臓の鼓動が大きく高鳴る。私は幼い頃、両親から魔女の話を何度も聞いていた。そのこともあり、ずっと魔女に会ってみたかったのだ。


「あの、私――」


 マリーがそこまで言った時、背後の扉がドンドンと強くノックされた。ルーカスが扉を開けると、そこには黒いローブを纏った男性がいた。彼は部屋の中を見渡し、マリーを見つけるとギロリと睨んだ。そして、魔女に向かって口を開く。


「話がある。人を払ってくれ」


 マリーは慌てて席を立とうとした。しかし、魔女はそれを制止して言う。


「マリー、座ったままでいいわ。そこにいなさい」

「おい、何を言っている」


 男は憤慨して言った。彼はマリーを指さして強い口調で言う。


「君、早く出ていきなさい」

「アリエス」


 魔女は短く、そして静かに、男の名を呼んだ。アリエスはビクリと動き、魔女に視線を送る。彼はため息を吐き、諦めたように話を始めた。


「学内で厄介な事件が起きた。貴方に調査してほしい。調査内容は極秘だ。貴方以外に漏らしちゃいけないことになってる」


 アリエスはマリーとルーカスの方にチラッと視線を送った。しかし、魔女は頑として首を振った。


「言いなさい。でなければ、今すぐここから出て行って」


 アリエスは迷っている様子だったが、最後は渋々、口を開いた。


「ここ数日間で、生徒がルナハウンドに襲われる事件が多発してる」


 ルナハウンドはアリアート魔術学校内に生息している狼のような魔法生物で、外敵から生徒や教員を守る番犬のような役割を担っている。そんなルナハウンドが生徒を襲っていると彼は話した。


「今は大した怪我人は出ていないが、今後ともそうとは限らない。原因が分からなければ、ハウンド達を全て処分しなければならない。早急に解決してくれ」


 アリエスの話を聞いていた魔女は、しばらく考えている様子だったが、間もなく口を開いた。


「それで、もう一つの事件は何?」


 魔女がそう言った途端、アリエスは苦虫を食い潰したような顔をする。


「彼らを外に出してくれ」


 アリエスはマリー達を手で指して言う。


「早く話しなさい」


 魔女はキッパリと言った。アリエスは頭をボリボリと掻いて、大きくため息を吐いた。


「数日前、薬学棟から魔法材料が盗まれる事件があった。そこで、保管室に見張りをつけたんだが、不思議なことに、また盗まれてしまったんだ。見張りは誰も見ていないと言っている」

「……なるほどね」

「これだけ話したんだ。早く調査をしてくれ」


 アリエスは魔女に言ったが、魔女は全く意に介していないように言う。


「私は忙しいの。そんなことに構ってる暇はないわ」

「あまりふざけるなよ。自分の立場がどうなっても知らんぞ」


 アリエスは脅すように魔女に迫った。すると、彼らの間にルーカスが割って入り、アリエスに向かって口を開いた。


「お嬢様はお忙しいようです。申し訳ございませんが今日のところはお引き取りを」

「君は一体なんだ?部外者は黙っていてくれ」

「わたくしもお話を聞いてしまいましたから、部外者とも言い切れませんよ」

「いい加減にしろ。早く出ていけ」


 彼らが揉めていると、魔女は片手を挙げてこう言った。


「分かったわ。アリエス、調査をしましょう。ただし……」


 魔女は間を置いて言う。


「そこの二人に調査を手伝ってもらうわ。私の助手として」


 魔女はルーカス、そしてマリーを指さして言った。予想外の展開にマリーは驚きを隠せなかった。それはアリエスも同じような反応だった。


「一体何を言って……本気か?」

「魔女が調査を引き受けた。早く帰ってそう伝えなさい」


 魔女はそう言って、近くの本を手に取って読み始めた。アリエスはしばらく魔女をにらんでいたが、ふところから紙束を取り出すと、乱暴に机に叩きつけた。そのままきびすを返して玄関に向かう。ドアノブに手をかけた所で振り返り、魔女に向かって言う。


「責任は取ってもらうからな」


 吐き捨てるように言った彼は乱暴に扉を開け、小屋から出ていった。

 アリエスが去った後、マリーは茫然としたまま椅子に座っていた。そんな彼女に魔女が話しかける。


「巻き込んで申し訳ないけど、手伝ってくれるかしら」


マリーは、はいとも、いいえとも言えず、口をパクパクさせていると、魔女は言葉を続けた。


「事が済んだら貴方の要望を聞くわ。悪いようにはしない」


ルーカスがマリーの傍に来て言う。


「ご安心ください。わたくしも付いております」


二人からの圧に、マリーは耐え切れず、とうとう首を縦に振った。


「分かりました。私も手伝います」


こうして、マリーは調査の手伝いを行うことになった。

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因果の魔女 御崎わか @warabimoti-123

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