1-4

 僕はエレナさんと一緒に中庭を散歩していた。彼女は自分の腕を僕の腕に絡ませてくる。僕は咄嗟にそれを解いた。


「腕を組むのは止めておきましょう。誰かに見られるかも」

「私は構いませんよ」


 彼女の言葉を聞いても、僕は正直に嬉しくなれなかった。

 エレナさんは手に持っている一輪の薔薇を見ながら言う。


「お花をプレゼントしてくれるなんて」


 僕は罪悪感にさいなまれた。エレナさんが持つ薔薇には惚れ薬が仕込まれている。彼女が薔薇の匂いを嗅ぐと、態度が急変して僕に甘えてくるようになった。ただ、僕はこれを拒否しなければならない。僕の目的はエレナさんを惚れさせることではないからだ。

 あれから僕は惚れ薬について調べた。その結果、分かったことが二つある。一つ目は、惚れ薬は血を多く混ぜるほど効果が強くなること。二つ目は、複数の惚れ薬を盛られた場合は一番効果が強いものだけが作用すること。

 つまり、誰かがエレナさんに惚れ薬を使ったとしても、僕がより強い効果の惚れ薬を使えば相手の効果を打ち消すことができる。この方法ならエレナさんを守ることができるだろう。


「ウィル君、この後お茶でもしませんか?」

「あ、ごめんなさい。僕ちょっと――」


 ここまで言った途端、彼女は僕の手を引っ張った。


「今日は逃がしませんよ」


 エレナさんは笑いながらそう言った。僕はどうしても彼女の手を振り払うことができなかった。


(まあ、ちょっとぐらいなら……)


 結局、僕はエレナさんと一緒にお茶をすることにした。いつもの校内のカフェではなく、学校の近くにあるお洒落なカフェだ。僕はダメだと思いながらも、エレナさんと会話を続けていた。彼女はとても楽しそうに話をする。僕が何か言えば、彼女は大げさにリアクションをして、小さなことでも褒めてくれる。次第に僕は本来の目的を忘れて会話を楽しむようになった。別れ際になり、エレナさんはまた連絡すると言って僕の手を握りしめた。

 その日の夜、床に就いた僕は今日のことを振り返って自分を叱責した。しかし同時に、僕は彼女と過ごした時間を思い出して、何とも言えない感情になった。夢の中でエレナさんと出会えたら……なんて考えながら、僕はそっと瞼を閉じた。


 *****


 次の日、例の男子生徒がエレナさんと一緒にいた。エレナさんは花束を抱えていた。きっと、あの男が彼女に送ったのだろう。エレナさんは花束を顔の近くに持ってきて、大きく息を吸って香りを嗅いでいた。

 僕が家に帰ると、テーブルの上に小瓶が置かれていた。小瓶にはピンク色の液体がなみなみと入っている。僕は驚きながらも、すぐに冷静さを取り戻した。きっとあの魔女の仕業だろう。どういうわけか、僕の試みに協力してくれているらしい。

 針を取り出して、自分の指に突き刺した。指先から少量の血が滲み出る。僕は少し考えた後、キッチンからナイフを持ってきた。僕は覚悟を決めて、ナイフを自分の手のひらに押し当てた。赤色の線が刻まれ、血がポタポタと流れ落ちた。これだけあればあの男の惚れ薬に対抗できるだろう。僕は薔薇の花束をエレナさんに送った。


「ウィル君、ありがとう。とても綺麗」


 彼女は嬉しそうに花束を受け取った。その後、前回と同じカフェで時間を過ごした。僕はあの男子生徒について聞こうとしたが、彼女が惚れ薬に気付くことを恐れて躊躇ちゅうちょしてしまった。結局、談笑しただけで終わった。

 別の日、例の男子生徒がエレナさんと二人でカフェにいた。男は自分が持っていたサンドイッチを彼女に差し出した。エレナさんはそれを一口食べると、美味しいと言って微笑んだ。彼女は恍惚な表情を浮かべている。

 僕が家に帰ると、テーブルの上に置かれた小瓶を手に取った。ナイフを手に取り、自分の手を切った。鮮血が僕の手を流れていく。ピンク色だった液体は少し赤みを帯びた色になった。


「魔法生物学の授業があったんだけど――」


 ナイフが血塗ちまみれる。刃は既に赤く染まっていた。


「それでね、その先生が怒っちゃって――」


 血の雫が落ちる。テーブルの血の跡がまた一つ増えた。


「時計塔あるの知ってる?あそこに――」


 小瓶から液体があふれ出る。傍には空になった小瓶が沢山転がっていた。


「ウィル君、大丈夫?」


 その言葉にハッとなり、僕は慌てて答えた。


「すいません、ちょっと考え事してて」


 エレナさんは心配そうに僕の顔を覗き込んだ。彼女はそっと僕の顔に手を伸ばしてくる。僕は不思議な安心感を覚えて、彼女の手をそのまま受け入れようとした。彼女の手が僕の頬に触れようとしたその時、男の声が響いた。


「あれ、エレナ?」


 僕が声の方を見ると、そこには見覚えのある男子生徒が立っていた。例の男子生徒だ。彼は僕らの席に近づくと、僕とエレナさんの間に割って入るかのように身を乗り出した。


「やっぱりエレナだ。こんな所で会うなんて……こっちの人は?」


 エレナさんは困ったような顔をしていた。


「こちらは一年生のウィリアム・ベーカー君」

「へえ、ウィル君か。俺はレイモン、よろしくね」


 彼はやや強引に僕の手を取って握手した。そして、エレナさんの隣に席を寄せて座った。まるで、エレナさんを自分の物だと主張しているようだ。


「レイモン、貴方はどうしてここに?」

「ああ、ちょっと立ち寄っただけだよ。そしたら偶然、君を見つけた。そうだ、これから魔道具を買いに行こうとしてたんだ。君も一緒に行かない?」

「ごめんなさい、今日は私たちは……」


 そう言ってエレナさんは僕を見る。すると、彼は大げさに手を振りながら言った。


「ウィル君も誘えばいいじゃないか。なあ、君も来るだろう?」


 彼は僕の方を見た。その目つきはとても挑発的だった。僕は怒りのようなものを感じた。しかし、その場では表に出さなかった。


「いえ、この後、僕は用事があるので」

「そうか、残念。また今度にしようか」


 そう言って彼は席から立ちあがった。困り顔で僕を見るエレナさんの手を取り、二人は店から出て行った。しばらくの間、僕は座ったままだった。拳をぎゅっと握りしめると、傷口から血が滲み出した。しかし、全く痛みは感じなかった。

 僕は家に帰ると、キッチンからナイフを持ち出して、自分の部屋に向かった。いつも通りテーブルの上に置かれている小瓶を目にする。僕は服の袖を捲り、腕を丸出しにした。手首の動脈に刃先を当てる。


「絶対に……エレナさんは渡さない」


 僕はナイフを振り抜いた。


 *****


 川沿いにある小屋の中に二人の人物がいた。一人は魔女、もう一人はエレナ・ハミルトンだ。エレナは憤慨した様子で魔女に話をしている。


「レイモンが急に現れて、邪魔してきたの。ありえないでしょ?」

「でも、レイモンと貴方は付き合ってるんでしょう?彼は嫉妬したんじゃないかしら」


 魔女は鍋に複数の薬草を入れて、かき混ぜながら言う。


「それはそうだけど、後輩との会話に割って入るのは不躾ぶしつけだと思わない?」

「そうかもね」


 魔女の返事は素っ気ない。エレナはため息を吐いて言う。


「あれ以来、ウィル君には会えてないの。きっと、レイモンが怖がらせたせいで、私と距離を置いたんだわ」

「それは残念ね」


 魔女は鍋の中身を汲み取って小さな瓶の中に注いだ。小瓶はピンク色の液体で満たされる。魔女はそれをエレナに差し出して言う。


「はい、これ。いつも通り香水に混ぜて使って」

「ありがとう」


 エレナは小瓶を受け取って、魔女の小屋を後にした。

 エレナが校内を歩いていると、彼女の目の前を小さな黒い影が横切った。彼女が視線を向けると、そこには黒猫がいた。エレナはその黒猫に見覚えがあった。


「ネムちゃん?どうしてこんな所に……」


 黒猫はエリナの方をチラリと見ると、ニャーと鳴いて、茂みの中へ姿を消した。

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