カクヨム版最終話 告白
明日太が送ってくれた位置情報に向かうべく、俺達は花火の打ち上げ場所とは逆方向に向かっていた。
人気の少ない、住宅街の中を紗菜と手を繋いで歩く。
もう人混みは回避しているので、わざわざ手を繋いでいる理由はない。でも、俺は紗菜の手を離したくなかったし、紗菜もまた手を離そうとしなかった。
どれくらい歩いただろうか。暫く歩くと、明日太が送ってくれた位置情報の場所に着いた。そこは、少し大きめの住宅マンションだった。というより、マンションエリアで周囲も高い建物に覆われている。
「え……マンション?」
「マンション、ね……?」
俺と紗菜が顔を見合わせ、首を傾げる。
こんなところで、どうやって花火を見ろというのだ。明らかにマンションに覆われていて、花火など見えない。
慌てて明日太にLIMEを送ると、すぐに返事がきた。
『その位置情報にあるマンションだけ、非常階段が屋上に繋がってるんだよ。そこが穴場。ちなみにその正面にあるマンションが僕ん家で、昔よくそこから見てたよ』
おいおい明日太……それは、不法侵入になるんじゃないか? それは穴場スポットというか、気持ち的に入れないというだけなのではないか。
でも、もう花火の打ち上げ開始時間まで十分を切っている。ここから他の場所を探していては、間に合わない。
(行くか……)
行くしかない。バレたら怒られるだろうけど、その時は俺が悪い事にすればいい。それよりも、穴場スポットで紗菜に花火を見せてやりたい。その気持ちの方が強かった。
「よし、行くぞ、紗菜」
「へ⁉ 行くって、どこへ?」
「このマンションの屋上」
「は、はい⁉ あなた、ここのマンションの住人じゃないでしょ?」
もちろんだ、と頷いて見せる。
「じゃあ、不法侵入になるじゃないのよっ」
「ああ! だからこそ穴場なんじゃないか!」
「しょ、正気……?」
もちろんだ、ともう一度頷いて見せる。
「……アホなの?」
「俺がアホなのは……一番最初から、わかってただろ?」
言ってやると、紗菜はくすっと笑った。
「ええ……そうだったわね。そういうアホなところに、あたしは……」
「なんて?」
「なんでもないわよっ! ほら、行くんでしょ? あたしも付き合ってやるわよ、そのアホに!」
何故かいきなり怒りだした。何故だ。
「紗菜もアホだもんな」
「あんたがアホにさせてるんでしょ!」
そんなアホなやり取りをして、俺達はそのマンションの裏手にある非常階段を上がった。
なるほど、下から見てもわかるが、本当にこのマンションの非常階段は屋上に繋がっているようだった。確かに、普通はこんな縁もゆかりもないマンションの屋上に上がろうなどとは誰も思わないだろう。穴場スポットとはよく言ったものだ。
八階建てのマンションらしく、それを階段で上がっていくのは結構しんどい作業だった。紗菜の手を引く俺も、実は太ももがプルプル震えてきている。
エレベーターからでは屋上に行けない仕様なところが、尚ここの穴場度合いを上げているのだろう。
「大丈夫か?」
「ええ……あたしを誰だと思ってんのよ」
強がってはいるものの、慣れない浴衣と下駄で、彼女が大変そうなのは言うまでもなかった。スニーカーの俺でもしんどいのだから当たり前だ。それに、もう打ち上げ予定時刻まで五分もない。このペースで上っていては、間に合わなくなってしまう。
よし──
「紗菜、ちゃんと掴まってろよ。あと、叫ぶなよ」
「へ──?」
紗菜の返答を待たずに、俺は繋いでいた手を自らの肩に回して、膝から彼女を抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこだ。
そして両足の筋肉に力を入れて、階段を──駆け上がる。
「ひやあああああああっ! あなた、何考えてるの⁉ 妊娠したらどうするの⁉ 責任取れるの⁉」
「ええいうるさい、こんなので妊娠してたまるか! てか叫ぶなって言ってんだろ! 見つかったらどうすんだよ!」
息も絶え絶えでそう言ってやると、彼女はがんばって口を閉じて、そして両腕でひしっと俺の首根っこに掴まった。紗菜の甘い匂いと柔らかい感触が一気に襲ってきて、くらりとする──が、今はそんな事を堪能している場合ではない。
とにかく階段を駆け上がる。さすがにこの階段を女の子をお姫様抱っこしながら駆け上がるのは運動部のトレーニングかと思うくらい過酷だが、やる。駆け上がる。というか俺も恥ずかしすぎてむしろ駆け上がるくらいでしか気持ちを誤魔化せない。太ももと両腕の筋肉が死ぬ前に、何とか屋上まで行かなければならない。
汗が噴き出し、太ももが限界を超えて、ようやくあと一階。俺は気合の声を上げて駆け上がる。
そして──
「よし、着いたぁ!」
最上階に上がって俺がそう叫んだ瞬間──ドォン、という大きな音と共に、夜空に広がる花火が俺達の視界を覆った。
階段を上がり切った達成感も相まってか、それはあまりに綺麗だった。俺は紗菜を抱えたまま、その花火にただ瞳を奪われ、そして紗菜もまた、呆然とその花火に瞳を奪われていた。
空を彩る花火がアクアブルーの瞳の中で更に彩を見せていて、俺はもう、花火よりも彼女のその横顔にただ見惚れていた。
ああ、そうか……花火が綺麗なのではなくて、紗菜と二人で見る花火だから、こんなにも綺麗なのだ。
そのまま花火を眺めたかったのだが、俺の足も腕も限界をとうに超えていたので、そっと彼女を下ろしてその場にへたり込んだ。
「ぶはぁっ! 死ぬ……」
足がカクカク震えて暫く立てそうになかった。
「だ、大丈夫⁉ もうっ、無茶するから……」
紗菜が慌てて屈んで心配そうに俺を覗き込んだ。
「お、俺はいいから……今は花火、見て」
そう答えると、紗菜は呆れたように微笑んでから、俺の横に座って、空を見上げた。彼女につられるようにして、空へと視線を移した。
夜空には、相変わらず大きな音を立てて咲かせている華があった。彼女はただ瞳を輝かせて、うっすらと笑みを浮かべたまま、夜空に咲く華を堪能していた。
屋上には本当に人がいなくて、俺達だけの特等席だった。全く縁のないマンションに侵入して、誰もいない屋上で花火を見物できるなど、なかなか出来る経験ではない。その非現実的な空間で、非現実的なまでに綺麗な女の子とこうして二人で過ごせている。それはまさに、夢のような時間だった。
でも、夢のような時間を、夢のまま終わらせるわけにはいかない。この夢を現実にする必要があった。
ちょうど花火の間隔が少し空いた頃。遠くの打ち上げ場所から、花火に出資した企業の紹介がされているのが少しばかり聞こえてきた。
言うなら、このタイミングしかない。俺は小さく息を吐いて、そっと彼女の手に自分の手を重ねた。紗菜は驚いたようにこちらを見たが、今回は叫ばれなかった。
「薫、くん……?」
驚いた様な表情。アクアブルーの瞳が大きく見開いていて、緊張しているのがよくわかる。
俺はその瞳をまっすぐ見据えて──彼女と出会ってから、あの鳥かごを壊した時に気付いた時から抱えていた気持ちを、正直に打ち明けた。
「……ずっと好きだった」
そう告げた瞬間──また大きな花火が上がった。
「もし紗菜が嫌じゃないなら……俺と、付き合って欲しい」
紗菜は花火には見向きもせず、ただ驚いた顔のまま、俺を見ていた。俺も、ただ彼女をじっと見ていた。
そして次の瞬間──はらりと彼女の瞳から、一滴の雫が流れた。
「え、紗菜⁉」
「あ、あれっ? あたし、なんで……ッ」
「どうした、大丈夫か?」
「う、うん、大丈夫……ごめん」
彼女の涙はその一滴では収まらず、ぽろぽろと零れ落ちて、慌てて浴衣の袖で拭っている。
「その……そんなに、嫌だった、とか?」
「ち、ちがッ!」
がばっと顔を上げて、紗菜が俺を見る。
顔の距離が思ったより近くて、お互い固まってしまった。でも、まだ彼女の瞳からは涙がはらりと流れ落ちている。どうして彼女は泣くのだろうか。
「……じゃあ、嫌じゃない?」
訊いてみると、彼女は……こくり、と頷いた。
「俺と、付き合ってくれる……?」
重ねて質問すると、ただ黙ってじっと俺を見ていた。その青い瞳を震えていて、まるで何かを訴えかけるようだった。
「それ、は……ッ」
紗菜は言葉を詰まらせて、俯く。
どうして、そこですんなりとOKしてくれないのだろうか。手も繋いで、嫌じゃないと言ってくれていて……どうして、そこで躊躇するのだろうか。その理由がわからなかった。
「付き合うのは、嫌って事?」
質問を変えると、彼女は首をぶんぶんと横に振った。
「違うっ! 嫌じゃない……嫌なわけ、ないでしょ……ッ⁉」
言ってから、紗菜は顔を伏せて、肩を震わせた。
そして、深く何度か呼吸をしている。まるで何かを決断するかのように、その覚悟を決めるかのように、息を吸って、吐いている。
次に紗菜がもう一度顔を上げた時には、その表情は笑顔だった。でも、何かを決意したような、そんな笑顔。ただ嬉しいだけの笑顔ではない。どうして彼女が、付き合うのでそこまで何かを決心をしなければいけないのか、わからなかった。
紗菜はごくりと唾を飲んでから、続けた。
「あたしも……あたしも、薫くんの事が、好き」
笑顔なのに、その笑顔は泣きそうで。実際に、また瞳からは涙が零れていて。その涙の理由が俺にはわからなくて。
だから、ただその涙を、指で拭ってあげる事くらいしか俺には出来なかった。
「よかった。両想いだった」
「うん……嬉しい」
紗菜の笑顔はとっても綺麗で。〝聖女〟だなんて言葉で表せないほど綺麗で、可愛くて、愛しかった。
ずっと守りたい。ずっと見ていたい。そう思わされる笑顔だ。
「紗菜」
「うん?」
「好きだよ」
「うん……」
お互いの気持ちをもう一度確認してから、俺達はゆっくりと顔を寄せて……唇を重ねた。
その瞬間に、また大きな花火が上がっていた。でも、俺達にとっては花火なんてどうでもよくて……もう、目の前にいる人しか見えなかったのだと思う。
花火など目もくれず、ただ互いを強く抱き締めて、キスを繰り返すだけだった。何度も何度も、互いに遠回りしてきた気持ちを、ただ伝える事しか、できなかった。
その最中、彼女はまた涙を頬に伝らせていたけれど……その涙の理由だけは、どれだけ唇を重ねてもわからなかった──。
(カクヨム版 了)
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【後書き】
こんにちは、九条です。
今回でカクヨム版は、最終話となります。物語の分量で言うと、ここは丁度半分くらい。付き合うまでが前半、付き合ってからが後半という感じです。
紗菜に対して、薫が抱いた違和感の正体とは? 何故、紗菜が告白を受けて、両想いだったにも関わらず躊躇し、そして涙したのか? そしてその涙の意味を知って取った薫の行動とは?
その答えは、電子書籍の完全版にて! 笑いあり感動ありのストーリーとなってます! 続きを読みたいと思って頂けた方は、電子書籍で読んでやって下さいませ!
https://kakuyomu.jp/users/kujyo_writer/news/16816452218871306172
カクヨム版のご愛読、ありがとうございました!
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