ガラスと舞台と晴天

犬丸寛太

第1話ガラスと舞台と晴天

 私は明日修学旅行へ向かう。場所はお決まりの京都。

 眠れない。別に修学旅行前日でワクワクしているわけではない。いつもいつも私は私に脅かされる。布団をかぶって寝ようとしても布団の裏側にはいつも恨み言が一面埋め尽くすように書かれていた。

 不細工、バカ、運動音痴、生きるのが下手くそ、どうせ何をやっても上手くいかない、生きているだけ無駄、根性無し、なんで生きてる、死ねば良いのに、意味ないよ、誰も必要としてない、どうして生まれてきたの。

 視力の悪い私の眼にもはっきりと見える。

 瞼を閉じても同じ言葉が延々と瞼の裏にも目玉にも、目玉の中にも。

 もう嫌だ、と叫び声をあげたくなる。

 誰か助けてと飛び出したくなる。

 そうやっていつも逃げるのか、だからお前はダメなんだ、意気地なし、ダメ人間、意味なし人間、ろくでなし。

 枕の裏から、髪の毛を伝って耳の穴を通って、私を責め立てる言葉が、声が頭の中を埋め尽くす。

 私は頭を抱えながらよろよろとベッドから這い出し、自分の机に座る。

 落ち着こう、落ち着かないと、明日は修学旅行なんだ、いつもみたいに遅刻してたら皆に怒られる、皆に置いて行かれる。

 私は髪を振り乱しながら頭を振り回し、頭蓋骨の内側までこびりついた呪いの言葉を必死に押し出す。

 頭の穴という穴から飛び出した呪いの言葉はびちゃびちゃと汚らしい音を立てて私の部屋、壁、天井、床、全てを埋め尽くす。

 私の夜はいつもこうだ。いっそ発狂してしまえば楽なのに、理性が言う事を聞かない。

 狂いたいという私の理性を、まじめに生きろという本能が邪魔をする。あべこべだ。

 今は私を産んでくれた両親が寝ているだろう。今は私の後に生まれた守るべき妹が寝ているだろう。お前はそんな代えがたい血のつながりの安寧を無視して勝手に狂うのか。ちゃんと子供らしく親を大切にしないか。ちゃんと姉らしく妹を愛さないか。ちゃんとまじめに生きろ。

 私は自分の机でがたがた震えながら声を押し殺し、朝が来るのを待つしかない。

 朝の光だけが、暗闇に嫌なくらいの白で書かれたこの呪いの言葉を消し去ってくれる。

 私は怯えた獣のような息を吐きだしながら何か気を逸らすものは無いかと辺りを見回す。

 修学旅行のしおりが目に入った。私は家族にバレないよう部屋の明かりではなくデスクライトをつけ、お気に入りの眼鏡をかける。

 フレームも、当然レンズも全てガラスでできていて重たいし、落とすと壊れてしまうから自分の部屋でだけしかつけない。

 少し不思議だけどこれをつけていると呪いの言葉が少しぼんやりしてくる。ものを見るための道具なのに、呪いの言葉はその限りではないみたいだ。まるで、私を守ってくれているみたいで、この眼鏡を身に着けると少し心が落ち着く。

 私はオレンジ色のライトが照らす小さな場所にしおりを置き、中身を読み進める。

 初日は移動ばかりで、見学するのは清水寺のみ。ページには簡単な清水寺の概要が写真付きで記載されている。

 清水の舞台から飛び降りるという有名な慣用句。

 よく聞く言葉で、それだけ覚悟が必要という意味の例えだろうけれど、私にその覚悟があるだろうか。

 意味が分からない、どこからやってきたのかも分からない、一体いつからこうなってしまったのかも分からない。

 誰のせいにもできない、しちゃいけない。

 なら自分のせいにするしかない。思い当たる事なんて何もない。私は悪い事なんてしてないけど、きっと私が悪いのだ。

 一度病院で検査してもらった事がある。

 自責的で他人に責任を求めず、問題の解決を自分の力だけでやろうとしてしまう。本当は誰かに頼りたいのに頼ってはいけないという思いが強く、最終的には無責的になり、問題の解決を諦めてしまう。

 本当は助けてほしかった。どうしようもない病気だからもう何もしなくていいし、何も考えなくていいと言ってほしかった。病院の先生は“他人に責任を求めないことは美徳だ”と言ったけれど、そんなもののせいで私は苦しんでいる。皆が優しいとか美徳とか、綿のような、飴のような言葉で私を慰めてくれる。でも、そんな皆の気持ちに答えられない自分が嫌だ。お世辞だってわかってる、誰も私に何も期待などしていない。わかっているのに私は非道い人間にはなれない。皆に嫌われてしまうのが怖いわけではない。いや、怖いのかもしれない。皆の私を見る目がゴミだとか、体から滲み出る膿を見るような目つきに変わってしまう事が怖いのかもしれない。

 分からないわからにあいわかあらない。

 誰赤助けてだれたk助けて誰かたすけて。

 頭を抱え机に押し付ける。怪物に頭を押し付けられているように私は頭を机にゴリゴリと押し付ける。だめだ、止められない。誰も押し付けていないのに、押し付けているのは自分なのに。なんで私はこんなに私を痛めつけてくるのか分からない。もし私の中に別の人格が居てそいつが変わりたいというなら私は喜んで変わってやるのに。でもやっぱりそいつはいなくて一人の体に一人の私が一人で私を痛めつけてくる。

 息がし辛い、リズムが分からない。過呼吸になってしまうんじゃないかと恐怖するがいつもいつも決してそうはならない。そのたびにいつも私の本能が無理やり呼吸を落ち着けてくる。だめだ、絶対に病気になってはならない。騒ぎになってはならない。家族を、他人を脅かしてはならない。

 どうして、私は本当におかしいのに、ちゃんと頭でおかしいってわかってるのに、どうして許してくれないの。

 無理やり落ち着かせられた私はまだ、荒い息をひっそりと吐きながら呆然としたまま頭を上げる。拍子に眼鏡が机に落ちてしまった。全部がガラスでできているから頭を下げるといつもずり落ちてしまう。

 よく見ると、フレームにひびが入っている。あまりにも強く頭を押し付け過ぎたから割れてしまったみたいだ。額からつるりとした生暖かい感触が伝わってくる。割れたフレームで額をケガしてしまったみたいだ。早く拭かなくては。いや、そのままにしておけば誰かが気づいてくれるかもしれない。いや、決してそんなことはない。額の小さな傷なんて誰の眼にも大事には映らない。無駄だ。

 でも、とうとう私は図らずも自分で自分を傷つけてしまった。これは自傷行為だ。

 そう思うとまた嫌になってきた。また呪いの言葉が私を脅かす。メンヘラ、精神薄弱、君は優しいね、出来損ない、美徳だよ、人間失格、シネ氏s根イン背にし寧sね。

 だめだ、眼鏡をかけないと、眼鏡をかけないとおかしくなってしまう。おかしくなってはいけない。他人に迷惑をかけてはいけない。

 私は両のレンズの間にひびの入った、かろうじて眼鏡としての形を保っているそれをかけて私を落ち着かせる。

 だめだ、ひびのせいで少しピントがずれている。いや、ピントが合ってしまった。今まで以上によく見える。見えていなかった言葉が良く見える。


 死んでしまえ。


 私はすたすたとリズムよく窓際に立つ。

 そこから先の数秒は覚えていない。


 あー糞、受験勉強ってこんな大変なのかよ。数学わかんねぇな。明日優子に聞いてみるか。

 一個下だけどアイツ頭良いからな。ホント頼りになる。

 俺は間もない受験を控え深夜までせっせと勉強中だ。親の期待とか、周りの目とかどうでもいいけどまぁ、やっぱ大学は行っとくべきだ。高卒でも別に良いけど、優子に釣り合う男にならなくては。

 「なんてな。」

 しかし、近頃優子の様子がおかしい、いや、何と言うべきか、おかしくなさ過ぎて変に見える。

 皆気づいてないみたいだが俺にはわかる。もう十年以上幼馴染をやってるんだ。確かに頼りないけれど、少しは俺を頼って欲しい。

 いや、しかし、考えすぎか、やっぱ皆の言う通りいつもの優子かな。いやー俺はなんかひっかるなぁ。

 集中力が切れてしまった。少し休憩するか。

 優子は今頃寝てるだろうな。なんせ明日は修学旅行だ。俺ももっかい行きてぇなぁ。

 眼鏡をはずして、目頭を揉みながら他愛のない事を考える。

 少し、換気でもするか。

 俺は眼鏡をかけなおして窓を開けようと、カーテンを開く。

 優子だ。窓際に立ってそのまま、

 は?

 落ちた。窓越しでもわかる鈍い音が響く。


 「・・・い、・・・おい!大丈夫か!おい、返事しろ!」

 気が付くと目の前にヨリ君がいた。

 何か言っているみたいだけどよくわからない。

 ヨリ君って眼鏡かけてたっけ。

 「ヨリ君、夜中に大声出しちゃだめだよ。」

 頭がまとまらない。

 「大丈夫か優子!ほれ、これ何本だ!」

 「えーと、三本。」

 「違う、四本だ!優子お前頭打ったんじゃないか!救急車だ、おじさんとおばさんも起こさないと!」

 私はハッとして答える。

 「ま、待ってヨリ君。救急車とか、親とかはダメ。ダメなの。」

 「は?お前何言ってんだよ!お前自分の部屋から落ちたんだぞ!」

 「大丈夫、どこも悪くないよ。ね、もっかいさっきのやってみて。眼鏡かけてないから分からなかったんだよ。」

 「じゃあ、好きな食べ物は?」

 「ブドウ。」

 「好きなキャラクターは?」

 「ブナっしー。」

 「お前本当に優子か?」

 「はい。私は優子です。君はヨリ君。」

 「本当に大丈夫か?」

 「大丈夫です。」

 「最後だけ不正解だ。でもまぁ、頭は大丈夫みたいだな。」

 なんでヨリ君私の好きなもの知ってるんだろ。

 「はー、焦ったよ。カーテン開けたらいきなりお前が窓から落ちるから俺もう慌てて。ほら裸足だよ。てか、腰抜けたわ。」

 ヨリ君は寝そべる私の横にどしっと腰を下ろす。

 「なんでヨリ君起きてたの?」

 「受験勉強だよ。」

 「こんな遅くまで感心感心。」

 「ばあちゃんかよ。まぁ、俺も色々考えてるわけよ。」

 「色々?」

 「なんでもない。つか、なんで飛び降りなんかしたんだよ。」

 「わかんない。」

 「ま、そらそうだ。普通じゃねぇ。」

 「私、普通じゃないかな。」

 「当り前だろ。普通こんな深夜に二階から飛び降りたりしないって。」

 「そっか、ゴメンね。迷惑かけちゃったみたい。」

 「迷惑じゃねぇよ。俺たち幼馴染だろ。当り前だ。」

 「そっか。」

 「俺、思ってたんだけどさ、最近なんか悩んでるだろ。相談しろよな。」

 「悩んでないよ。」

 「なら、なんで二階から落ちたんだよ。」

 「それは・・・」

 私が当たり障りのない言い訳を考えているとヨリ君が遮った。

 「もっと俺を頼れよ。そういう名前なんだからさ。ヨリって頼るって漢字だろ。」

 「でも、わたし・・・」

 またヨリ君が遮る。

 「人生の先輩としてきちんとしたアドバイスをしてやるからさ。」

 「一個上なだけじゃんか。」

 「まぁ、それはそうだけど、とにかく話聞くぐらいなら俺でもできるからさ。」

 私はなんだか泣きそうになってしまった。堪えないと。

 「泣きたいときは泣けばいいし、怒りたい時は怒ればいいんだよ。俺みたいにさ。」

 「ヨリ君昔凄い泣き虫だったよね。」

 「そんな時期もあった。今は違う。」

 「ほんとかなぁ。」

 「ほんとだってのっ!」

 ヨリ君は勢いをつけて立ち上がる。

 「なんか痛いって思ったらなんだこれ、ガラスか?窓は割れてないよな。」

 「あ、それは。」

 「なっ、お前、これ俺がやった眼鏡じゃんか!結構高かったんだぞこれ。」

 「うーん。ごめん。」

 「あーあ、ぐしゃぐしゃだ。ま、お前が無事なら良いけどさ。」

 そう言ってヨリ君は私を抱き起こして、壁に寄りかからせる。

 「ほれ。乗っかれ。歩けないだろ。部屋までおんぶしてやるよ。」

 「いや、しばらくしたら歩けるようになるからふぁい丈夫だよ。」

 「口回ってねぇって。俺ぐらい頼って良いんだぞ。」

 「頼って・・・良いの?」

 「当り前だ。人間そういうもんだ。」

 ヨリ君は背中を向けてるから分からないけれど私は泣いていた。

 私は精一杯の力でヨリ君の背中にしがみついた。涙が止まらない。

 「なんだよお前の方が泣き虫じゃんか。せなかべしょべしょ。」

 「そういう事言うかな普通。」

 「いいだろ、これからは何でも言い合おうぜ。」

 「・・・うん。」

 ヨリ君が私を二階まで連れて行ってくれた。流石に両親も起きてしまったみたいだ。

 「大丈夫ですよ。なんか、眠れなくて窓開けてたら滑って落ちちゃったみたいで。」

 両親はホッとした表情で明日修学旅行だからなぁ、なんて言っている。

 「でもおじさん、おばさん。ちゃんと優子の事見ててやって下さいね。」

 ヨリ君はちょっと怒ってるみたいだった。

 部屋について、私をベッドに下ろした後、立ち去るヨリ君に私は声をかけた。

 「ヨリ君って目悪かったっけ。」

 「あー、いつもコンタクトだからな。基本的に家では眼鏡かけてるよ。」

 「それそれ貸して。」

 「え、嫌。お前も自分の眼鏡持ってるだろ。」

 「最近度が合わなくなってきたからさ。それに頼れって言ったのはそっちでしょ。」

 「いや、そもそもこの眼鏡がお前に合うとは限らんだろ。」

 「ちょっと貸して。試してみるから。」

 仕方ないという感じでヨリ君は眼鏡をはずす。やけに丁寧にシャツで眼鏡を磨いている。

 「ほれ、合わねぇって。」

 「いや、ぴったりだよこれ。」

 「まじかよ、でも貸さねぇぞ。」

 「さっき頼れって。」

 ヨリ君は渋い顔をしている。泣いたり怒ったり、渋い顔をしたり私もこんな風になれるだろうか。

 「仕方無い、一日だけな。」

 「私、明日から修学旅行。」

 「ちくしょう!持ってけ!」

 ヨリ君はとうとう折れてくれた。でもほんとにぴったり度があってる。

 ヨリ君が突然変な顔をした。

 「ほら、マネしてみろ。」

 「え、やだ。」

 「笑顔の練習だよ。お前最近笑ってないだろ。」

 「いきなり言われても。」

 ヨリ君がほらと言って私の頬を上に引っ張ってきた。

 「これは酷い。修学旅行中に練習しとけよな。そんじゃ。」

 ヨリ君はけらけら笑いながら私の部屋を後にした。

 やりたい放題の嵐みたいな、ヨリ君のおかげ?で私の部屋を埋め尽くしていた呪いの言葉はスッキリ消えてなくなっていた。

 ばっちりピントの合った眼鏡でも何も見えない。

 私は途端に眠くなってきた。ふと窓を見るとヨリ君がまた変な顔をしている。

 おかしくてちょっと笑ってしまった。なんだか久しぶりだ。

 ヨリ君は片手を軽く上げると、カーテンを開けたまま机に向かった。

 私はそうしようかと思ったけれど流石にカーテンは閉めた。

 眼鏡を枕元の台において、目を閉じる。

 何も見えない。代わりにちらっとだけヨリ君の変顔が映る。

 今私も変な顔をしているかもしれないけれどいいや。

 明日、晴れるといいな。それもとびっきりの晴天。

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ガラスと舞台と晴天 犬丸寛太 @kotaro3

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