第百三十七話 個人と大局



 一旦の作戦会議を終えたクレインは、一日空けて使者と面会した。


 日程が空いたことを訝しむ様子はあったが、これから友好関係を結ぶ相手であり、主君の娘の輿入れ先でもあるのだから、腹を探る動きまではない。


 そもそもヨトゥン伯爵家には、食糧の供給に集中してもらいたいのだ。

 東方の謀略に絡ませる機会や、手伝いを頼む機会にも思い当たらない。


 そうした事情で、使者との話は大筋で変わらなかった。

 というよりも、仕込みを行う以外では何も変えるところがない。


 襲撃を受ける時期とて、ラグナ侯爵家の一行が帰還するタイミングだ。

 ヴィクターが訪れるまでに準備を終わらせるべく、クレインは各方面を動かし始めた。


 彼は執務室にて、アレスと共に作戦案を調整しながら、引き続きマリウスとトレックに向けて告げる。


「まずはマリウスの方で、実働部隊の配置を頼む」


 王国の東部では資本主義的な経済活動よりも、共同体による互助や、貨幣を用いない物々交換の概念が強い。


 東方異民族と長く接してきた弊害とも言えるが、逆に言えば異文化であるがゆえに、王国側からの間者は紛れ込みにくくなっている。


「価値観がまるで違うことは、よく言い含めておいてくれ」

「心得ております」


 迂闊うかつに踏み込めば、どこで現地人の逆鱗げきりんに触れるかも分からない。

 だからクレインは刺客を配置するにあたり、敵の手法を真似ることにした。


 要するに、標的の周囲にいる有力者を買収して、寝返らせていく戦法だ。


 派遣した工作員が現地の言葉、風俗や風習、イントネーションに堪能でないとしても、これであれば問題は起きにくい。


 と言うのも、よそ者だとすぐにバレることが、潜入工作においての最大の障害となる。

 しかし接触する相手を絞ることで、露見リスクの低下が望めた。


「資金はいくらでも出すから、よろしく頼む」

「承知しました。では、手配に移ります」


 アースガルド家は方々から移民を受け入れていたので、水際対策などあってないようなものだ。

 よそ者が入り放題だったのだから、元より防諜能力など紙切れに等しい。


 対照的に相手は万全の体制なので、ビハインドからのスタートだ。


 だからこそ、金に困っている有力者がいれば、どれだけ積んででも領主の殺害に関与させる。

 上に不満を持っている人間がいれば、萌芽ほうがを育たせる。


 初手となる今回、クレインの目標はその品定めだった。


「さて、次はトレックか」

「と言っても、商会の出番は事が済んでからですよね?」

「まあ……そうだな」


 小貴族たちを下して領地を広げ、東伯軍を撃退した直後には何をしたか。

 まずは道。南北に繋がる街道の整備だ。


 トレックが経営するスルーズ商会は、普請のために大量の物資を動かしている最中であり、東伯戦でも軍需物資を手配、輸送させていた。


 それに加えて、全国的にヘルメス商会の支店を吸収中だ。

 お世辞にも余力があるとは言い難かった。


「東からの移動を遮断するためにも、燃やした砦は再建する。だから当面は部材の手配をしてもらいつつ、時期がきたら情報戦かな」


 更に言えば東方との交易路は、ほぼ店じまいをしている状態でもある。


 進出しても潰されるだけだとして、販路を閉じてしまったのだから、現地での支援ができる状態でもない。

 だから商会側の動きは、ひとまずは現状維持に近かった。


「これで、何か不都合はありそうか?」

「建材は順次、鉱山の方から運ばれてくることになっています。バルガスさんとも話が付いているので、そちらは大丈夫そうですね」


 領内には製材所と鉱山が増設されているので、建材の確保は容易だ。


 資金面や労働力を考えても、今となっては砦の一つや二つ再建するくらいで、痛手ということもない。

 ここは何も変わらず、問題なく進むだろうとクレインは頷いた。


「分かった。領外のことでも、気になることがあれば教えてくれ」

「了解しました、噂はいくらでも仕入れますので」

「ああ、頼りにしているぞ」


 東部との往来は断絶したに等しい。そのため東から来た人間を捕捉して、追い返すことも難しくない。

 事実として襲撃を受けるまでは、東方面から特段の報告は上がっていなかった。


 砦の他、数カ所に拠点を配置して、領地の南部に広がる大森林や、北部の山脈に監視を設ければ、間者の遮断とて容易いことだ。


 となれば、トレックが優先すべきは本業となる。


 特にヨトゥン伯爵家とは、商業面での繋がりから順に強化していく予定なので、暗殺計画の発動直前までは、スルーズ商会が大がかりに動くことは想定されていなかった。


 クレインはここも変えずに進めると決めていたが、対するトレックからは、ふと疑問の声が上がった。


「というか、クレイン様」

「何だ?」

「いえね、どうせやるなら東伯を直接、という考えはないんですか?」


 反乱軍の中心人物かつ、戦争の旗頭になる男だ。

 暗殺に成功すれば、軍事侵攻が困難になることは想像に難くない。


 だから何故、大将首を直接狙わないのかという考えは、もっともな疑問ではあった。

 この点、アレスと顔を見合わせたクレインは、あごに手を当てて説明を考える。


「短期的に見れば、それで倒せた方がいいだろうな」

「中長期で見ても、こちらが豊かになっていく分だけ有利を取れそうですが……」

「それが、そうでもないんだ」


 領地の力は着々と伸びているのだから、兵力も右肩上がりに上昇していく。


 人の数にはいずれ頭打ちがくるとしても、砦の増築や物資の備蓄などで、待てば待つほど有利になる面はあるのだ。


 だがこれは政治が絡まない、各種の数字・・に限った話となる。


「ここも価値観の違いなんだが。仮に暗殺が成功してしまうと、逆に厄介なことになる」

「ええと、どういうことです?」


 王国人は組織的で、文明的な定住民族という位置づけになる。


 しかし東部では王国の価値観と、遊牧民の価値観が半々――否、思想に限って言えば遊牧民の性質が圧倒的に強い。

 その評価を、アレスは一言で下す。


「王宮の者どもに言わせれば、東部の人間は蛮族の一員ということだ」


 加えて、戦乱と動乱が常に逆巻いている地域でもあるので、将校から末端の武人まで押しべて、武人的な性格が育まれている。


 このとき、闇討ちで大将首を挙げた場合に何が起きるか。

 手元の作戦案を追記修正しながら、紙上に視線を置いたままアレスは呟いた。


「始まるのは、終わりのない弔い合戦・・・・……というやつだな」

「ふむ、言われてみれば確かに」


 専門が商業とは言え、トレックにも政治や民族の問題は、ある程度分かる。


 あくまでステレオタイプな考えだが、敵は身内を大事にする、主君への忠義に篤く、精強な兵士たちだ。


 今ですら命令一つで命を投げ捨てるのだから、暗殺で主君を討たれたとなれば、遺臣たちはいよいよ狂戦士になりかねない。


 対象は領主や将校のみならず、末端の兵士、平民や非戦闘員までの全てだ。

 少なくとも、全てを投げ打った報復に出てくることが予想される。


 こうなれば戦争で勝敗をつけて、戦いの内容を元に講和交渉を行うという――通常の後始末が困難な状況に陥るだろう。


 言ってしまえばヴァナルガンド伯爵家がどうこう、ではなく、東部の民族そのものが永遠の敵になる。

 東伯の求心力が高いからこそ、アレスらには顛末てんまつが想像できた。


「敵の首魁しゅかいを討ち、そこで終わりではない。その先に待つものは泥沼の戦いだ」

「そういうこと。どんな手でも使うとは言ったけど、際限は設けたい」

「……なるほど、納得いきました」


 そも、トレックは気になるから聞いてみたという程度であり、軍事や民族問題にまで首を突っ込もうとは思っていない。


 職掌分権しょくしょうぶんけんだ。自分は商人として、アースガルド家の家臣として、他の部署を円滑に回すことだけを考えればいい。

 そこで考えを止めつつ、トレックもやがて商会に戻っていった。


 そして、最後まで残ったアレスは、ちらとクレインに視線を送る。


「これでいいな?」

「ああ、意図を汲んでくれて助かる」

「いい。それ・・こそ話せぬだろう」


 マリウスやトレックには大局を語ったが、クレインが考案した戦略の根底には、個人的な思惑も孕んでいる。

 だから、そんなことだろうと思った、とでも言わんばかりにアレスは続けた。


「一領主と、地域の長では軽重けいちょうに差がある。それは確かだが、先ほどの理屈とは関係が無いからな」

「……詭弁きべんってやつか」

「話の趣旨をずらされたことなど、スルーズのも承知の上だろうよ」


 仮想敵。どころか不倶戴天ふぐたいてんの敵を、順番に暗殺していく計画。その戦法を採った場合は、東部の貴族が連続して不審死を遂げることになるだろう。


 トレックが情報を操作した上で、国王や宰相との連携が取れれば、王宮の近辺で大きな問題には発展しない。


 だが、これはあくまで、王家からのお咎めを受けないという話であり――主に東部に住まう人々の――感情面が考慮されていない。


 貴族だけが次々と命を落とすのなら、伝染病などあり得ないだろう。

 誰かに殺されたと考えるのが自然だ。


 そして東部の民衆や兵士、領主たちから疑惑の目が向くとすれば、どこか。

 当然のこと、直近で派手に揉めたアースガルド家になる。


「程度の差はあれど、暗殺という手段をえらんだ時点で、消えない紛争の火種は残るからな」

「……そうなると思う。それを解消するためにも、もう一度刃を交えるべきだ」


 要するに、卑怯な戦法だけでカタがついてしまうと、相手側の陣営は誰一人として納得しない。

 だがこの納得と理解こそが、彼らが敵陣営に求めているものだった。


 直接対決をして、武力によって正々堂々と下し、有利な条件で講話を結ぶこと。

 ――否、利益など無くともいい。少なくとも彼らは求めていない。


 目的は、ひとたび大戦が起きた後、再発を諦めさせることだ。

 恒久的こうきゅうてきで永続的な平和こそが、最終的な目的地になる。


「平和を勝ち取ることが目標なのに、新しい怨恨を生んでは意味がないからな」

「……という建前で、何が言いたい」


 ちくりと刺されたクレインは苦笑したものの、ここまでは全て本音と本心だ。

 トレックの負担を軽減すべく話を濁したが、事実は事実。


 しかしここに、クレインの個人的な考えが絡む。

 だからこそ浅瀬あさせで話を切り上げた、という見方もあった。


「戦いを好む武人気質の相手なら、直接対決で下した方が……その後の展開を作りやすいという考えはもちろんあるんだ」

「それで?」


 促されたクレインは、これまでの出来事全てを大枠で振り返る。


 次から次へと、際限なく謀略と暴力が飛んでくる環境では、安寧を望めないのは間違いない。

 しかしその前には、平和を奪われたという大前提があった。


 ここに、思うところが、無いはずがない。

 始まりの日を思い返せば、一段落を付けるための決着が必要だった。


「ここまで積み上がった因縁を、当事者の俺が解決したいと思うこと……」


 いつも先制攻撃を仕掛けられてきた。その対処で、手いっぱいになってきた。

 要するに、やられっぱなしだったのだ。


 だからクレインは思う。

 始め方も、進め方も向こうが選ぶのなら、終わり方はこちらで選ばせてもらおうと。


「最後だけは正々堂々、戦場で東伯を討ちたいと考えるのは、為政者いせいしゃとして我がままが過ぎるかな?」


 国王や、他領地からの力はもちろん借りる。勢力や組織としての力が違いすぎるので、単独での勝利など最初から考えられなかった。


 しかしその戦場と、どのように解決するかという――終わりの姿。


 そのすべてを描くのが、自分でありたい。

 それこそがクレインの望みだ。


 となれば、「暗殺者に命令して倒した」という結末では、もはや物足りない。


 謀略と政治に力を入れて、敵からの恨みをかわしてすかし、危うい平和を維持していく日々を続けるよりも、すべてを解決して精算し、納得の上で敵に諦めさせる。


 要するに、自らの手で完全な決着をつけたいという考えも、彼の中にはあった。


「まあ、予想はしていたことだ」

「笑うか?」

「いや、それでいい」


 アレスとしては、敵が納得して引き下がる最後ならば、どのような形であれ歓迎できる。

 これは彼個人としても、第一王子という立場からしてもだ。


「強き禍根を残し、永遠に攻め込まれ、狙われ続けるよりは……ただ一度の大戦で済ませた方が早いのも事実だ」

「自分で言うのも何だけど、その前段階・・・・・は大丈夫かな?」

「確かに、暗殺だけで終われば問題だな」


 ヴァナルガンド伯爵とは戦場で決着をつけるとした上で、もちろん暗殺はする。

 現状でも、未来でもまだ戦力差がありそうに見えているからだ。


 この点で、アレスは何でもないように手を振る。不完全燃焼を起こさせなければ問題はないと。


「だが、それは奴らが始めたことだ。武略……という形で、臣下まで承知していることだろう」


 手を出したなら、反撃があることは当然だ。

 それが多少、過剰なくらいであれば、「敵もさるもの」で済む。


「つまり、俺たちから戦いの場を奪うな……と考える人間が、多数派ってことだよな?」

「そうだ。面倒なことにな」


 水面下の戦いで戦力を削り合うのは、戦いに身を置く者として当然の考えだ。

 むしろ、平時に無策で、何もしていない方が怠慢と捉えられる。


 戦争をせずに終われば厄介なことになるが、生憎と戦争は確定路線だ。

 そのためクレインにも、アレスにも、暗殺の手を緩める気は無かった。


「案じずとも、お前の個人的な望みと、大局のために取る行動は合致する。だからこそ、仕込みに妥協は許さんぞ」

「分かっているよ、徹底的にいこう。……不穏分子と見られるくらいに」


 独断に近い暗殺者の派遣について、宰相辺りからは警戒されかねない。

 だがそれは、逆に言えば、田舎者と侮られなくなるということだ。


 強烈な不信を招かない程度であれば、不気味で謎めいた印象があってもいい。


 と、そこまで考えてクレインは思う。東部の貴族を殺して回り、国中に無差別な混乱をばら撒くのだから――敵が反乱軍なら――こちらはまるでテロリストだと。


「いや、王城を放火したんだから、既に立派な反乱分子か?」

「最終的に、国が存続すればそれでよかろう」


 中央政権たる王宮に対して、既に敵陣営よりも甚大な被害を与えているが、それはもちろん先行投資だ。


 だから悪びれもせずに、堂々と語ったアレスは、この話をこう締めくくる。


「何が正解だったかなど、後世の歴史家にでも判断させればいい」


 今を生きる我々は、できる限り、思いつく限りで最善を尽くす。

 その意見に同意しながら、クレインも再び計画案に向かい合った。



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 次回は7月6日(土)に更新予定です。

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弱小領地の生存戦略! ~俺の領地が何度繰り返しても滅亡するんだけど。これ、どうしたら助かりますか?~ 山下郁弥/征夷冬将軍ヤマシタ @yamashita01

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