第百三十六話 従前と今後
クレインはアレスと打ち合わせをした後、マリウスとトレックを応接室に呼び寄せた。
この二人には言わずもがな、ある程度の状況を共有済みだ。
前々からアレスとも協力関係にあり、今回は共に対策を考えると伝えただけで、話を始められた。
「まずは東伯に対し、問責の上で裁きを行う」
開口一番。アレスの発案に、クレインは意外そうな顔をした。
今までにも行っていたことであり、一見して何の変哲もない手続きだからだ。
「相手の出方を待っているだけで、裁判の用意ならもう終わっているぞ?」
クレインが裁判を提起しても、捕虜の返還交渉を持ちかけても、全て無視されたという経緯がある。
結果を知っているからこそ
「それは家同士の法廷闘争だろう。もっと広く、大々的に責任を問うつもりだ」
「今回の騒動について、王家の名で裁くのか」
「そうだ。馬鹿正直に登城するはずがなく、仲裁にも意味は無いだろう。……だが、それでいい」
ヴァナルガンド伯爵に対して王都への出頭命令を下し、制裁の名目も整えておく。
これがアレスの考える第一義だった。
そのためまずは、「アースガルド家への正式な謝罪をした上で、戦費の弁済をすれば許す」という、寛大な内容を通達する。
「法務官からの警告とでは、具体的にどこが変わるんだ?」
「明確な
この呼び出しは確実に無視されるだろう。しかしアレスは、その
要するにこれは、翌年以降の戦いを見越した布石だ。
「マリウスはどう思う?」
「抗命による大義名分を作っておけば、国軍の士気を上げられるかと存じます」
「向こうが動かない前提なら、やるだけ得か」
次に戦うとすれば、その時は王国軍対、反乱軍の戦いになる。
しかし唐突に参集命令が下れば、無駄な混乱と
だからこそ公式なやり取りでの、前置きが欲しかった。
事前に不穏な噂が流れていれば、スムーズに戦時体制へ移行できると踏んだからこその――無視される前提の誘い。つまりは茶番ということだ。
「スルーズ商会には、その
「承知いたしました。恐らく、ある程度の操作も難しくはありません」
「左様なら、全面的に任せてもよかろう」
東部では強固な情報統制が敷かれており、交易路も封鎖中であるため、中央部とのやり取りは皆無に等しい。
この環境を逆手に取れば、トレックが手を加えて、都合がいい情報を流すことも容易だ。
だからこそ、やり得だとした上で、アレスはこの問責が発動する時期も見ていた。
「今から準備を始めて、呼び出しを行った頃には……暗殺者でも
「でもそれだと、王家のメンツが丸潰れにならないか?」
「むしろ好都合だ」
王家からの仲裁に堂々と背いたとなれば、中央の手勢がどんな策を講じようとも、抗命による罰は避けられない。
王都に滞在している東側の人材を、処理する名目にもなるだろう。
ヘイムダルを含む裏切り者を処刑することで、体制側の団結を促すことさえできる。
「向こうからすれば、駒がいくらか減った程度の被害だろう。だがこちらには、正当性による士気の向上と、
アースガルド家の戦力向上ではなく、友軍を機能させるための措置だ。
誰が味方で、誰が敵かを宣言しておくだけでも旨みがあった。
「つまりは、それが今回の戦いにおける利だ」
ここまでが戦後処理の着地点であり、ここからが暗殺への対処も含めた、今後の話となる。
一呼吸を置いたアレスは、改めて概要を告げた。
「と、した上で、仕掛けるぞ。こちらの
「ああ。それは俺も思っていた」
アクリュースが時間に干渉できないことは、半ば確定した。
ならばここからは、
簡単に前置いたアレスは、面々に向けて具体的な作戦を開示する。
「東部の貴族家に対し、積極的に暗殺者を送り込むぞ」
暗殺や闇討ちといった戦法は、これまでは選択肢に挙がらなかった。
その理由は様々あるが、大きな懸念点は二つだ。
まず、汚い手を使うと、相手に子爵領を滅ぼす大義名分を与えてしまうこと。
そして大々的な暗闘を仕掛ければ、アクリュースを刺激して、時渡りの術を早期に使用されるリスクがあったことだ。
「いずれは全面戦争だから、今さら争いを避ける意味は無いよな」
「そうなる」
これから始まるのは総力戦の準備だ。
そして今となっては、時間を戻されるリスクも小さい。
向こうが先手を打ったので、領内に潜む間者の対処が優先されていただけだ。
しかしそれでも実行までに、いくらかの課題が残っていた。
「向こうが長期で計画を立てている以上、王宮からの
問題のうちの一つは、相手が既に強固な
諜報の成功率が極端に低く、情報収集すら
「完全に近い情報封鎖が実行済みなことを踏まえても、要人の暗殺が易々と成功するはずがない」
「確かにヴァナルガンド伯爵家と、ヘルヘイム侯爵家の近辺は難しいだろうな」
その点はアレスも同意した。
しかし彼は口の端を歪めて、笑みを浮かべながら返す。
「……だが、全ての家が、常に万全の備えをしているはずがあるまい」
全ての人間が完璧であるなど、土台あり得ないのだ。
警戒レベルには個人差があり、領地によって防御力も違う。
「だから警備が薄いところを狙って、寄子を消していくぞ。特に、小さな家は狙い目だな」
諜報専門の人材を囲う家は少なく、組織だった裏方の体制がある家など希だ。
そもそも戦後処理に追われていたアースガルド家が、この時期にすぐさま、暗殺のため間者を送り込んでくる――などと思う家は、間違いなく少数派だった。
「そういう意味でも、仕込むなら今が好機か」
「ああ。油断している間に、叩けるだけ叩くぞ」
東伯を中心とした連合に、逆侵攻を掛けた時点であり得なかった。
この上、更に踏み込んで攻撃を仕掛け、喧嘩を売るのは暴挙の域になる。
常識の範囲外であるため、普通はまず考えない。
だからこそ、やる。
相手側とて戦後処理の真っ只中、または直後なのだから、潜り込ませるには最適な時期だった。
「まずは裁判を待つのが自然だし、実際に王都のレスターを経由して、手続きは進めていたからな」
「それも、いい目隠しになるだろうよ」
戦いを仕掛けた真の目的が割れている……などと思わないどころか、東伯派閥の人間ですら、反乱の計画を知らない者はいる。
法廷で争えば、アースガルド家の勝訴は確実な状況にも見えている。
そのため真っ当ではないルートでの、過剰な反撃に備えている家は多くないという見立てもあった。
「寄子の当主を5人は消していきたい。できれば、音に聞こえた武闘派からだ」
「それくらいが、いいところではあるか」
不穏な動きをすれば反撃するという、メッセージ性の強い攻撃にもなる。
これが原因で、更なる謀略を誘発する恐れはあるが、そこはもうクレインとて覚悟の上だ。
「諜報部は当面の間、これを主任務にしてくれ」
「……お任せください」
暗殺を仕掛けられたら、対策をして叩き潰す。
それをひたすら繰り返せば、攻撃だけに全てを振れる。
そんな回帰能力を知らない、マリウスからすれば不安が残る作戦だが、博打を打たなければ勝てないとは彼も思っている。
「大変そうですねぇ……」
トレックとて同様の考えだが、ひとまずは静観の構えだ。
二人からの強い反対は無かったため、クレインは話を先に進める。
「暗殺が成功した場合はどうしたらいいと思う?」
「どう、とは?」
「下手に新任を送り込んでも、潰されそうな気がするけど」
領主の座が空位になれば、後任を指名せねばならない。
しかしここに至れば国王も、中央貴族から新任を立てるだろうという見通しがあった。
後継者が治めるのが常だが――何も反乱軍の勢力を、維持させることはないからだ。
アレスとてその認識であるため、何気なく言う。
「無能な
「……それで?」
「在庫処分でもすればいい。陛下にも、その旨を上奏しておこう」
面倒事を起こしそうな味方は、決戦前に排除しておきたい。
しかし理不尽な処罰をすれば、不平と不満を噴出させかねない。
この点で、権力闘争ばかりする厄介者など、宮中にはいくらでもいるのだ。
そういった人間に、権力を
なるほど確かに、理に適ったことではある。
しかしその発言が外部に漏れれば、信用失墜もいいところだと、クレインは冗談めかして笑う。
「誰が聞いているか分からないから、
「……貴様も大概、性格が悪いな」
クレインの過去を大筋で把握しているアレスは、この注意が自分への意趣返しとはすぐに分かった。
迂闊な発言を繰り返し、殺されてきた本人が言うことなので、説得力が違う。
「この程度は可愛いものだろ? ……これから山ほど、あくどい手を使うことだし」
顔も名前も知らない人間を、暗殺する計画を立てている席だ。
発言のタチが悪いなどと、今さらでしかなかった。
「でも、まあ。妻には聞かせられないな、これは」
「
一方的に嫌がらせを受けたり、攻め滅ぼされようとしたり、暗殺を仕掛けられたりしている環境では、幸せな結婚生活など望めない。
既にどうしようもないほど対立しているのだから、敵からの感情が悪化するなど誤差の範囲内だ。
守りたければ戦うしかなく、戦いとなれば、綺麗な手段だけを選んではいられない。
一々もっともだと思いながら、クレインは頷いた。
「そうだな。悪人と呼ばれようが、卑怯者と呼ばれようが構わない。使える手段は全部使っていこう」
「くく、そうこなくてはな。王城を焼いた甲斐も、あったというものだ」
禁術と機密を残らず燃やしたため、東側の手札は大幅に減った。
それは確実だが、彼らには別な懸念もあったことを、ふと思い出す。
「……ええと、そう言えばその件、陛下にはどう申し開きをしようか」
「……分からぬ。まあ、アクリュースの動向を察していたのなら、苛烈な処罰はないはずだが」
最悪の場合はアレスが処断されるか、それとも
万が一の時にはクレインが弁護に入り、あの手この手で救うしかない。
一介の地方貴族ができることではないが、今やアースガルド家は東方戦線の主軸であり、戦略資源を抱える要所でもあり、名家出身の家臣を大勢抱えている。
「それに、父上はクレインのことを気に入っていたからな。悪いようにはするまい」
「一度
これから巨大経済圏を築く予定でもあるので、クレインとて意見を言える立場にはなる。
そうでなくとも、アレスには勝算があった。
「先日倒した小領主たちのような者が、全国的に増えている……とすれば、有能な地方領主の貴重性が分かるはずだ」
「自分で言うのも何だけど、まあ……察するよ」
義務はそこそこで済ませ、最大限に権利を主張するような――内政能力に乏しい――居丈高な領主が増えている。
それは王家の悩みの種であるため、彼らの対極にいるクレインは登城せずとも、常に好感触を得られていたということだ。
「人材不足は深刻だからな。最後には若手筆頭、希望の星くらいで見ていた」
「そこまで買うことだったかな……」
世情を鑑みれば、王家と協調路線を取れる、有望な地方領主という存在は貴重だ。
しかしクレインが気に入られたのは、出会った時期が何よりも大きい。
「謁見の時期を考えてみろ。陛下の弟妹を始めとして、親戚が一斉に殺された直後の話だぞ」
経済危機や不作、地方の動乱、外交問題。あらゆる分野に火種が
「国難が
「……確かにそれなら、好意も抱いていただけるか」
有力な味方は宰相以下、王家に忠誠が篤い一部の人間のみ。
地方領主で言えば、明確に信頼できるのはラグナ侯爵くらいのものだ。
東方面は完全に諦めていたところに現れたのだから、国王からクレインへの好感度は初手から高い。
――この状況を見たクレインは、ふと思う。
「もしかして、親子二代で……」
依存されていたりしないだろうな。
そんな不安が突然、虚空から湧き出てきた。
しかし国王は洗脳や、精神崩壊にまでは至っていない。
アレスまで殺害された際には
だから考えを振り払い、現実的な問題を考えていく。
「まあいいや。各家の動向を調べてからになるけど、標的は絞っていこうか」
「よかろう」
その後は数十分ほど、優先的に的を狙う相手を選定していった。
クレインとて事前に暗殺を考案していたので、ここは順調に進む。
「宛てが外れた場合は、
「それが良さそうか」
死んでやり直せ、という意味であることは分かった。
しかしこの作戦であれば、死の価値も大きい。
仮に工作員や暗殺者を送り込んできた寄子がいれば、当主を消すと同時に活動継続が難しくなり、新規の流入も抑えられるからだ。
仮に暗殺までいけずとも、領地の守りと警戒に人材を割かせれば、攻撃の手は確実に緩む。
攻撃は最大の防御という考えは、クレインの中でも腑に落ちた。
「ともあれ、実行部隊からの話も聞きたいところだな」
「そうだな。トレックとマリウスも、
足下の清掃も必要ではあるが、まずは敵の勢いを削ぐ。
そう方針を定めて、彼らは作戦を具体化させていった。
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次回は6/22(土)に更新予定です。
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