梅の花の満開の下

 3月とはいえ早朝はまだ肌寒い。天気予報によると、曇り時々晴れ。

 優子は休暇を取り、手島君枝の墓所へと向かった。すみれの説教を思い出しながら車に乗り込む。


「少しは休んで、自分の為にもお金を使って。もう貰いすぎるくらい貰ってるから。その前に病院に絶対行くこと」


 子供扱いしすぎたかな、と今更ながら反省する。

 大腸ガンの手術は無事に終わった。どうやら一度死んだせいで腫瘍の活動も止まっていたらしい。医者は納得できないようだったが、それは優子に責任のないことだ。

 緩やかな左カーブを回る。太陽を薄く隠した雲が輝く。つい目を細めた。


「ご両親はお元気ですよって報告しないと」


 スマートフォンが鳴った。恐らく対策室からだ。


「運転中で、おまけに休暇中だっつーの」


 しばらく鳴っていた電話はやがて切れた。どうしても急ぐ用事ならまたかかってくることだろう。その時は車を留めて対応すればいい。


「一つ気になっているんだけどさ」

「なんだ」


 太蔵が興味なさそうに返事をする。


「私、いつまで生きるんだろう。私っていうか君枝さんの命だけど」

「答えるわけがないだろう」

「それもそうか」

「自分がいつ死ぬか、そんなに気にする必要があるのか」

「そりゃあ、少しは気にするよ。もしかしたら明日なのかな、50年後かな、とか。けど怯えてはいないけどね」


 首を捻った太蔵は、眉間に皺を寄せた。


「もしかしたら明日死ぬかもしらん。50年後かもしらん。しかし怯えていない」


 車が何かを踏んだようで、車内がガタンと揺れる。


「もしかしたら普通の人間は、だいたいそうじゃないのか」


 その声に答えることなく、優子は薄い笑いを浮かべながら車を走らせた。



 〜 〜 〜 〜 〜 〜



 次の山を越えれば君枝の墓所に到着する。両親が入所している特別養護老人ホームからそれほど離れていない。

 自動販売機でコーヒーを買い、対策室に電話を入れる。内勤の者はすぐに粗神に取り次いだ。地面の下から響くような、それでいて不快ではない声で粗神は尋ねる。


「今どちらですか」

「休みを利用して、山の方へ来てます。休みなので」

「そうですか、いいですね」

「まあ、あいにくの曇り空ですけど。休みなのに」


 優子は殊更に休みということを主張した。


「次の要救助者の情報を送りますね。目を通しておいてください」

「あ、いえ、休みなんですけど」


 一方的に切られた電話の後、メールが届いた。仏頂面で目を通す。


るいさん……か。住所は……。あれ、ここから近い。なになに、借金苦で自殺の恐れあり……」

「どう殺す。くびり殺すのがわしは好きだが、お前が望むなら感電死でもいい」

「なぜ」

「かっこいいからだ。急いでかっこよく殺してから墓に行ってもいいんじゃねえか」


 優子の手で見えない雑巾が絞られ、太蔵の頭が落花生のように押し潰された。



 〜 〜 〜 〜 〜 〜



 車に乗り込み、墓所へと進む。曇り空の向こうで陽が上がり暖かくなってきた。山道の所々に桃色の小さな花が咲いている。


「まだこの辺は梅が咲いてるんだね」


 返答はない。カーブを曲がると同時に雲が薄くなり、穏やかな陽光が道を照らした。その光の中に、一年の間に触れ合ってきた要救助者たちの顔が急に浮かんできた。あまりにも感傷的な幻覚に、つい照れ笑いをこぼす。


「あのさ、うまく言えないんだけど」

「なら黙ってろ」

「……世界って……私のいる世界って、色んな人の優しさとか記憶とか」


 駐車場がないので路肩に車を寄せ、エンジンを切った。


「仕事とか、願いとか、切なさとか、笑顔とか涙とか、そういったもので出来てるんだなって」

「ふん」


 墓所の入り口では視界を覆わんばかりの梅の花が咲き誇っている。その色彩に優子は思わず目を細めた。気持ちが軽くなり、言葉も自然と軽やかになる。周囲に誰もいないことを確認し、背後の太蔵を振り返らず一方的に通告した。


「ちょっと大声出してもいいかな」

「やめとけ」

「梅は咲いたぞー!」


 いさめる声を無視し、厳かな墓所に似合わない大声を上げる。


「桜はまだかー!」

「うるせえな」


 優子の背中を、雲間から漏れ出した光の柱が照らしていた。

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守銭奴と死神のスパゲティブルース 桑原賢五郎丸 @coffee_oic

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