8-25 枷と災厄
ヴィットラアー伯爵との謁見を終えたエルヴィンだったが、当然、建物から出た瞬間に発する言葉は決まっていた。
「かなり不味い……」
分断された指揮系統、足の引っ張り合いの臭い、敵に相対しているとは思えない内の問題に、戦慄しないというのが無理な話だ。
「すまない、エルヴィン……私が譲歩さえすれば解決する問題なのは
「
状況は極めて悪い。残された時間も少なく、事実状の敵の勢力圏内で、足手纏いの村人を抱えながら、敵と接敵し、部隊内は分裂状態。そもそもが戦える状態ではなく、逃げるべきなのだが、敵がそれを許すとも思えない。上手く隙を作り出すしかないだろう。しかも、迅速に。
「状況は取り敢えず
「君が最高位だしな」
「なら、まずは村人を逃がすべきです。王国軍も逃げる住民を虐殺する様な真似はしないでしょう。ただ……当然、
「住民を盾に逃げよう、とアシェベック隊長が考えているからな。軍人の風上にも置けん……」
ギリリと奥歯を鳴らし、拳を握り締めるエリーゼに、エルヴィンは、「彼女らしい真っ直ぐさだ」と思いながらも少し気持ちを落ち着かさせた。
「まぁ、何ならヴィットラアー伯爵とアシェベック隊長だけを住民に紛らせて逃すのもアリですが」
「程の良い厄介払いのつもりだろうが、残念ながら無理だろうな。逃がした住民は当然、王国軍に検査されるだろう。貴族をミスミス見逃す訳はないし、アシェベック隊長もそれに気付いている」
「中途半端に頭が回りますね……面倒だ」
頭が良いなら良いで当然、有益な策などを
「さて、困りましたね……せめて敵が少ないと有難いけど……」
「まぁ、無理だろうな」という補足を付け加えた後、丁度エリーゼが放った偵察兵が帰還し、報告される。
「中尉、敵情を報告します。敵の数、およそ……四〇〇〇。
開いた口が塞げそうにない。予想していたとはいえ、まさかこれ程とは流石に思わない。
ウルマス山を頑張れば完全包囲出来てしまう戦力だった。
「エルヴィン、予想してたか……?」
「薄々は。別働隊に一個大隊を平然と派遣した程ですし、少し多めの連隊とは予想してましたが、旅団とは流石に……」
幸いにして山という地理的優位が働いているが、おそらく相手が本腰を上げれば、今の味方では、紙切れの様に吹き飛ばされるだろう。
内に問題を抱え、外からも脅威が迫り来る。足に枷が嵌められながら、狼の群れが迫り来る厄災に見舞われている気分だ。
「これは早く味方の問題を解決しておかないと、簡単な衝撃で脆く崩れますよ」
当分は正規軍のみで王国軍の攻撃をいなしつつ、戦力を把握されない様に立ち回る。兵力比が
「当分は持ち堪えるのに支障は無い。更なる問題として、そろそろ……」
エルヴィンの予想は当たったらしく、アンナが通信兵からの報告を携え、彼の下へ駆け寄った。
「エルヴィン、フュルト大尉から通信です。グーラス市街地に於いても王国軍との交戦が開始された様です。幸い、市街地という地形が功を奏し、相手に積極性はなく、数日は退路を確保し続けられるとの事ですが」
「そうか……どの道、急いで脱出しなければね」
持って十日、二日消費し後八日。海岸まで戻る時間も合わせて残り五日。少な過ぎるが、この五日間の間に指揮系統を統一し、相手に強烈な一撃を当てて怯ませ、撤退する。本当は今こそ好機なのだが、指揮系統が分断されている中退いても、途中でジリ貧になるだけだ。
本当、何でこう自分は窮地に陥ってしまうのかと嘆きたくなるが、悲観しても仕方がない。まずは対策を考えるべきだろう。
「差し詰めは兵士達に休養かな? こっちは長旅で疲れているし、明日に敵も動き出すでしょうからね」
エルヴィンの考えにエリーゼも同意し、敵への警戒はさせながら、取り敢えずは緊張感の糸を自分達も兵士達も緩ませられた。
「エルヴィン、実は先程から気になっていたのだが……聞いても良いか?」
「別に構いませんが……」
「隣の
ちゃん付けされるのが珍しいらしく、少し恥ずかし気に長耳をピクリッとさせたアンナだったが、直ぐに軍歴を上とする相手への礼儀として、姿勢を正す。
「アンナ・フェルデン中尉です。エルヴィンの……フライブルク大佐の副官件男爵の従者を務めております!」
「いや、そう堅苦しくしなくて良い。どうやら階級は同じな様だからな。名もエリーゼと呼んでくれ」
エリーゼに促されたアンナは、無駄に入っていた力を抜くと、柔らかな笑みを向ける。
「では、御言葉に甘えさせて頂きます。それと、私の事もアンナと気安くお呼び下さい」
「わかった。そう呼ばせて貰うよ」
エリーゼも優しい笑みで返し、友人を同じとする二人の女性は、親近感と共に和やかな出会いを果たす事が出来た。
「そういえば、アンナはルートとも友達なのだろう?」
「ルート……ルートヴィッヒの事ですか。ええ、不本意ながら……」
「散々な言い草だが、気持ちは
「はい、エルヴィン以上に……」
何気に横へと香辛料を飛ばすアンナに、エルヴィンは一瞬渋いを顔をする。
「ルートとの付き合いはやっぱり大変か?」
「毎日違う女と寝る、仕事はサボる、遅刻する、市民と軍内からは苦情が殺到……挙げ句の果てに領主の妹であるテレジア様にまで手を出そうとする。もう、思い出すだけで頭が痛いですよ……」
「おや? 君は誘われなかったのか……? 彼の事だ、
「いえ……出会い頭に私の身体を見て、フラット、と言って来ましたので殴って以来、アレとは犬猿の仲です」
「なるほど、確かにそんな子と寝ようとは、流石のルートも思わないか……」
それでもアンナがルートヴィッヒとの付き合いを止めないのは、エルヴィンとの関係があるのは勿論だが、彼の美点も把握しているからだろう。何だかんだ言いつつ、信用と信頼はしていそうだ。定期的に貰っているルートヴィッヒからの手紙でもそうだったが、結局は互いに友とは認め合っているらしい。ちょっと面白い関係性だ。
エリーゼは、もう少しアンナという少女について知りたい所だったが、どうやらそうも言っていられない。
「君、どうした? 具合でも悪いのか……?」
「大丈夫です、エリーゼさん」
「本当に大丈夫かい? 山に入る前も気分が悪そうだったけど……」
心配そうにエルヴィンも視線を向けて来たので、アンナは安心させる様に笑みを浮かべる。
「大丈夫ですよ、エルヴィン。前にも言いましたが、胸がザワザワするだけですから」
「ザワザワ……やっぱり、アレに関してかな?」
「多分、そうです……」
アレ、アンナが使える⦅精霊魔法⦆を指すが、エルヴィンはエリーゼにこの事については教えていない。信用も信頼も出来る相手だが、不必要に教え広め、認知させる危険を犯す訳にもいかないからだ。
「アンナ、その胸の
「何度かあります。⦅魔獣の森⦆で魔獣が近くに居た時とか、フェンリルに追い掛けられる時にも、こんな気分でした。……そういえば、《武神》と接触する直前も同じ気分だったと思います。本当にただの軽い体調不良だと思っていたのですが……強さに波がありますから」
「波? 今日はいつぐらいの高さだい……?」
「《武神》と戦いになった時、ぐらいだと思います」
結局、アンナの胸の
少なくとも味方ではない。味方なら警告する必要も無い。実際、ガンリュウ中佐に反応していないのが何よりの証拠だ。
なら、考えられるのはただ一つ。王国軍に《武神》並みの危険な存在が居るということだ。
化け物級の魔術師か? 凄腕の魔導師か? それとも、危険な策略家か?
もし、最後のが当て嵌まるなら、前世の記憶を持つエルヴィンには心当たりがある。
大きな違いはあるが、ド・ゴールが居た、ロンメルが居た、なら前世のイギリスに当たる王国には
そして、その人物をエルヴィンは無視出来ない。
何故ならその人物こそ、ロンメル将軍に手痛い敗北を喫しさせた、比類無き名将であったのだから。
異なる世界の近代戦争記 我滝基博 @h101009
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