8-24 フーゴー・ヴィットラアー

 ウルスマ山の頂を囲む様に存在する村。そのままウルスマ村と呼ばれる集落に到着したエルヴィン達だったが、まず目を疑ったのは、住人が避難されぬままであった事である。



「先輩、村人を避難させなかったんですか? 貴女らしくもない……」


「私も避難させたかったのだがな。ヴィットラアー軍の指揮官に猛反対されたのだ。「逃がした村人共から我々の存在がバレてしまうではないか!」とな」


「何とまぁ……確かに理屈としてはわかりますが、それ以前の問題でしょうに……」


「そんな彼方あちらの考えなど無視して逃すべきだったのはわかっている。だが……そうもいかなかった」


「普通なら、皇帝の指揮下たる正規軍の指揮権が優先されるにもかかわらず、ヴィットラアー軍が従わない理由と何か関係があるのでしょう?」


「ああ……。着いたぞ、あそこだ」



 雪化粧された山頂へ少し登った所にある一番大きな家へ、仲間達を残し、エリーゼに連れられて向かったエルヴィンは、到着し扉が開かれ、中の光景を認識した事で、驚愕する羽目になる。


 薪ストーブが焚かれる中、豪奢な軍服を見に纏った壮年男性が、ヴィットラアー軍の指揮官らしき男の隣に座っていたのだ。



「エルヴィン、紹介しよう。右に立っているのがヴィットラアー軍第一部隊隊長ロタール・アシェベック、そして……左に座っている御方がフーゴー・だ」



 これには、エルヴィンも唖然とせずには居られない。リーズスティーンツ地方を治める領主にして、ヴィットラアー軍の最高司令官、ヴィットラアー伯爵本人が眼前に存在していたのだから。



「シュトラスブルク中尉、其方そちらは何処の誰だ?」



 そう問いかけたのは、伯爵の隣に立つアシェベック隊長だった。



「アシェベック隊長、此方こちらは援軍を率い、我々を助けに来てくれた、フライブルク大佐です」


「第十一独立遊撃大隊隊長エルヴィン・フライブルクです! 第三三二砲兵大隊を加え、およそ一個大隊分の兵力を率い、参上致しました!」



 ヴィットラアー伯爵への敬意も含め、敬礼を向けたエルヴィンだったが、伯爵の方は先程から無反応。代わりにアシェベック隊長の方が不快気に舌打ちした。



「たった一個大隊だと……? 舐めているのか貴様‼︎ 此処ここには伯爵閣下が在わすのだぞ? それを蔑ろにするというのかっ!」


「とは申しましても、私の麾下きかの兵力はこれだけですし、何分、急な援軍要請でしたので、本隊へ追加兵力を頼む余裕もありませんでした」


「口答えするな! 早く近くの奴等でも良い、兵を掻き集めて此処ここに呼び寄せろ‼︎」


「やってはみますが……援軍要請をしても、おそらく兵を寄越せる余裕自体無いものと思いますよ」


「ああ言えばこういう、飛んだ役立たずが来てしまったものだなっ‼︎」


「アシェベック隊長‼︎」



 憤りに眉をしかめたエリーゼが、二人の会話に割って入り、アシェベック隊長を睨み付ける。



「敵中深くにもかかわらず駆け付けてくれた味方へ対し何たる無礼かっ! ヴィットラアー軍の品位はそこまで下がったのですか!」


「黙れ‼︎ たかが中尉ごときが指図するなっ! 俺は軍の全権を預かる身なのだぞ! 貴様ごときが意見して良い相手ではない‼︎」


「貴官が持つのはヴィットラアー軍の指揮官のみであって、正規軍の指揮権ではない筈です! 私が貴官に従う義務は微塵も無い‼︎」



 威風堂々たる立ち振る舞いで意見するエリーゼに、アシェベック隊長は更に不快に舌打ちし、視線を鋭く尖らせる。



「大層な言葉を吐くが、先程襲って来た敵はどうしたのだ? 勿論、壊滅させたのだろうな……?」


退かせはしたが壊滅はさせてはいません」


「壊滅させていない⁈ 敵を倒せもしない無能が、よく我々に図々しい対応が出来るものだな‼︎」


「戦いもせず、後方でノオノオと見ていただけの貴官等に言われる筋合いは無い!」


「貴様等が我が指揮下に入らぬからだろうがっ‼︎」


「伯爵閣下直々の要請ならともかく、一部隊指揮官の指図で指揮下に入るなど出来ません! 我等正規軍は皇帝陛下の軍隊! 軽々しく地方軍に指揮権を渡せるものではない‼︎」



 一歩も譲らぬ両者。明らかなる平行線状態だが、これから脱却出来る方法は当然にある。


 そのキーマンこそヴィットラアー伯爵なのだが、先程から椅子に座ったままピクリッとも動かず、冷や汗を流し、拳を握り締めつつ、目を泳がせ続けている。



「アシェベック隊長はこう仰られているが、伯爵閣下は如何どうお考えなのでしょうか⁈」



 エリーゼに突然、意見を求められたヴィットラアー伯爵は、ピクリッと反応すると、何処か怯える様に二人を見回し、現実から逃げる様に目を逸らす。



「き、君達の判断に任せる……私は口を挟まぬ……話し合って、決めてくれ…………」



 この時、この反応で、エルヴィンは即座に理解する。


(伯爵が責任を放棄し、更に明確な権利譲渡をしていない所為で、纏まる筈のものが纏まらないのか……これは不味い)


 この場の最大権威は当然、ヴィットラアー伯爵が持っているが、権威があるからといって、無条件な権力が備わっている訳ではない。指揮系統が別の正規軍に対し、要請は出来れど、命令は出来ない。


 しかし、要請を行う事によって権威は生きる。 正規軍も生きた権威には逆らい辛く、従うという選択肢を取らねばならなくなる。


 つまり、ヴィットラアー伯爵の一声で簡単に解決するのだが、彼に動く気配自体が全く無い。


 アシェベック隊長が代わりに動いている様だが、あくまで権威はヴィットラアー伯爵に帰するものであり、隊長自身には抵触せず、結局はただの一隊長の意見でしかない。


 なら、皇帝麾下きかの正規軍の意見が優先される訳だが、一現場指揮官でしかない以上、やはり伯爵の権威が無視出来ず、迂闊に伯爵麾下きかのヴィットラアー軍を指揮下に加える事も出来ない。


 結果、指揮権が二分されたままという事態が生まれていたのだ。


(勿論、どちらかが譲歩さえすれば良いのだが……無理だろうな。アシェベック隊長は見たところ傲慢という形容詞が似合ってしまう人物だ。簡単に指揮権は渡さないだろうし、だからこそ先輩も指揮権を渡せない。アシェベック隊長を信用や信頼など出来ないし、正規軍を使い潰してやろうという魂胆が見え透いているからだ)


 ある意味においてはヴィットラアー伯爵のハッキリしない態度は望ましかったのかもしれない。アシェベック隊長に指揮権を委ねるなどエルヴィンでも危機感を覚えたし、伯爵が自軍を正規軍に委ねるなど考えられない。自分の所有物を他者に貸すなど抵抗があって当然だ。特に、権力者ともなれば。


 アシェベック隊長とエリーゼの対立、優柔不断なヴィットラアー伯爵など、内に潜む多数の問題点に、エルヴィンは悩まされる羽目になりそうだった。

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