アンコウ

暗井 明之晋

本当に気をつけるのは

 ある日の昼下がり、私は生徒として通っていた学校の教員からの紹介で、その日カウンセリングの仕事をしていた。人の悩みや苦しさを解決、改善させる相談のはずだったのだが、その日来た男性のせいで私は未だにその日の内容に悩まされている。

 男性は36歳、独身で現在会社の経営をしている。つまり社長というわけで、カウンセリングに来るような人物とは思えないほど明るく、知性のある男性だった。会社も莫大ではないにせよ、老後の貯蓄は終わり、現在の生活には困らないほどの富はありそうだったが、そういった人にはその人なりの苦悩があるのだろう。そのおかげで私もご飯が食べていけるのだと思い相談に当たった。

 13時に美術館の中のカフェでお互い顔を合わせ、相談が始まったのだが、男性は然りに私のことを褒め、時に労り、年下の私に相談する自らを卑下しては、なかなか本題に入っていかないように思えた。そして1時間ほどが過ぎただろうか、あろうことか私は完全に彼に対し飽きていた。今思えばとんでもないことだと思うが、それは相手にとって好都合だったらしく、男性は急に

「飽きて来ましたか。いえ構いません。それぐらいの気持ちになって聞いていただいた方が良いと思って長話をしていましたから。」

と前置きをし、男性の話は始まった。

 2006年、大学4年生であった男性は就職活動がうまくいかず、周りにもそんな人間が多かったため会社を起こすことにした。会社の内容はコンサルティング。小さくも赤字にはならないよう、男性は上手く経営をしていた。そのためあってか翌年には社員はいつのまにか40人に増えて事業も拡大の兆しが見えていた。そこで男性は新たに子会社を作り、振り分け、それに伴い社屋を建てるため銀行から多額の融資を受けていた。

 そんな中、銀行から男性にこんな話が来た。

「これから先まだ事業拡大されそうですね。いや、この間建てる土地の値段と立地が釣り合わないと仰ってたので、少し見繕ったんですよ。なんせ御社とは我々も長く付き合って行きたいですから。」

男性は土地の購入を勧められた。うますぎる。そんないい話があるわけないと、男性は結構と口から出したかったが、成功を予想した際の欲に男性は負けてしまった。

 男性の予想とは裏腹に事業は成功が続いた。しかしある日、子会社のうち1社が会社の金を持ち逃げし、もう1社もそれによる皺寄せや脱税が発覚し倒産。徐々に会社にも暗雲が立ち込めて来ていた。時期は2008年の春だった。

 しかし、男性が起こした会社もとうとう苦しくなって来ていた。実際、夏のボーナスを迎える頃には社員の数は15名もいなかった。そんな中2008年9月会社にも男性にとっても最大の向かい風が吹く。リーマンショックだ。

 始め、男性は何が起こったか分からず、ただボーッとテレビを眺めてることしか出来なかった。完全にパニックになり、手を回した時にはもうすでに遅かった。あっという間に株価は下がっていきクライアントからの入金はなく、銀行からの連絡は途絶えた。1ヶ月前に売っていた土地は二束三文、男性の生活費、挙句、残った社員の給料すら払えなかった。男性は怖くなり遂に逃げだした。

 そこまで話すと男性はアイスコーヒーを飲み干して、私の目を見た後、アイスコーヒーを注文し、また話し始めた。

 男性はひたすら逃げた。途中車のガソリンが無くなり車を乗り捨てて逃げた。そして不思議な事に、住所も知らず、行き方も分からない、ただぼんやりと知っているだけの場所なのに、男性はそこに吸い寄せられた。そう樹海である。

 樹海に着いた頃には、男性は疲労困憊。辺りは薄く暗くなって来ていた。季節も冬に差し掛かっていたためか少し寒かった。男性はこのタイミングで樹海に来れたということは、もう自分に楽になれということだと思い、闇の中を歩き始めた。

 しばらく歩いていると比較的新しめなリュックが置いてあった。中を確認すると錠剤が中でビンから散乱しており、散らばった錠剤の奥には新品のトラロープが束ねてあった。男性はその時ありがたく思いそのロープを引っ張り出した。引っ張り出したロープを首にかけ、近くの木に登り、木の幹から枝へなる太い部分に回しては縛り、回しては縛り、切れず、解けぬようしっかりと結んだ。そして枝の上に立ち、あとは下に落ちるだけだった。そう落ちるだけなのだが、なかなか落ちることができない。男性はここにきて自分の生きることへの執着に呆れと腹立たしさ、同時に安心を感じた。だが、今更戻っても社員に顔を向けられず、金も払えない。男性はそのまま木の上で固まってしまったその時、空腹感からくる足のもたれで男性は枝を踏み外した。男性はこんなもんかと思いながらも、さっきまでの感覚とは別の安心感を感じながら首が絞まるのを待った。

 だがいつになっても、男性の目の前は樹海のままだった。何かおかしいと思いながら辺りを見ると自分の足の下に男性がいた。男性はスーツ姿でメガネをかけていた。そのスーツの男は四つん這いで、こちらを見上げ男性に

「ちょっと死ぬの待ってもらえませんか?」

と言い始めた。男性は我にかえり、とりあえずロープをほどき、スーツの男の元へ降りた。

 スーツの男は田中。偽名くさいがこの際どうでもよかった。田中も同じく経営に失敗し樹海に来たがなかなか決心がつかず、首を吊るのは怖いから錠剤を大量に服用したが死ねず、仕方なく持ってきたロープで首を吊ろうと戻ってきたら、男性がそのロープを使って死のうとしていた男性をつい助けてしまった。というわけである。

「なんで助けたんですか?」

男性が聞くと田中は笑顔で

「いや、アナタはやり残した顔をしていたから、つい助けてしまったんです。」

男性は特にやり残したことは無かったが、田中は手元の鞄を指差しこうつづけた、

「実は、私の手元に今200万円ほどあるんです。だからどうですか。最後に私と一緒に派手に使って死にませんか?」

男性はその考えにしばらく熟考したが、思えば今まで自分に対して何もしていなかったことをふと思い出していた。そこに更に田中は

「きっと派手に遊べばどうでも良くなりますよ。」

と付け加えた、男性は

「そこまでいうのなら、厚かましいですが。」

とその話に乗ることにした。

 2人は道に出ると、タクシーを捕まえ近くのホテルへ向かった。ホテルに入るなり田中はフロントで、空いてる部屋を聞いていた。男性はソファーに座りながら天井を見上げ、先程までのことが嘘ではないかと思っては、田中に視線を移すということを繰り返していた。しばらくすると田中は後ろに女性を連れて寄って来た。

「どうやらスイートしか空いてないみたいですが、お金はあるのでそこにしました。案内を。」

そう言うと、女性に部屋に案内された。

 部屋は最上階にあり、応接室までついていた。部屋に入りはしたものの、男性は何をすれば良いか分からず、応接のソファーに座っていたが、先程廊下の途中で勧められた温泉に入りに行くことにした。そのあと2階にある和食会席のレストランで食事をし部屋に戻ると。9時を回っていた。ルームサービスで山梨のワインを飲みながら田中と話をした。2人とも同じ経営者で、コケた理由も同じだったため自然と会話は弾んだ。いつしか完全に酔いが回り、男性は布団に移り泥のように眠った。

 次の日の朝、温泉に入り、朝食を取り、ホテルを出た後、2人は昨日と同じくタクシーで樹海へと向かっていた。男性はなぜか分からないがとても清々しかった。

 樹海に着くと、お互い知り合った場所に行った。田中が急にこんなことを言い出した。

「僕、今から死ぬんですけど、死ぬ姿見られたくないからお互い背を向けて死にませんか?」

男性はそれを承諾し、首と木にロープをかけて近くの切り株に乗った。田中は売店で買った洗剤を開けていた。そして遂に

「では、ありがとうございました。お陰で楽しい時間を過ごせました。」

背中の方から田中の声が聞こえる。

「1人で死ぬのが怖かったですが、今はもう大丈夫です。だから、だから、」

そこで急に男性は苦しさを覚え背後を見ると、田中が木にかけてたロープを引っ張りだしていた。そしてこっちを見ながら一言、

「しっかり見送りますので、どうぞ安らかに。」

そう言いながら田中はグググっとロープを更に引っ張り始めた。しかし男性はロープと首の間に指を入れ、咄嗟に緩ませ抜け出し、鞄を持って走り逃げた。

 だが田中も追ってくる。その手にはロープを握りしめながら追ってくる。なんとか道に出た男性はタクシーを捕まえ、駅まで逃げた。タクシーに揺られてる途中、鞄を開けてみた。中には札束が一つ入っていた。少し落ち着いた時、タクシーの運転手が

「お客さん、なんでリクルート鞄なんて持ってるんですか?面接にしては軽装でしょう。」

と尋ねて来た。男性はしどろもどろになりながら、自殺しに来たが死ねなかったと正直に話した。運転手はそれを聞くと

「なんだぁ、殺人鬼じゃないのか。あー良かった。え?いやねあの樹海には自殺者を狙った犯罪者が多くてね。最近多かったんだよ。まぁお客さんも死ななかったなら頑張ってやってみなよ。はいよ駅着いたよ。あーお代は…まぁ特別だぞ行ってくれ。」

そう言って男性は降ろされ、電車に揺られ電車内で寝てしまった。起きた頃には見たことある景色に包まれていた。

 そこで話し終えると男性はまたアイスコーヒーを飲み干していた。だが今度は頼むことなく、こうつづけた。

「それでそのお金をもとにして今の会社を建てたんです。でね、実は街中で田中を見たことがあるんですよ。」

私は一気に身構えてしまった。

「田中はあの樹海の時の姿のままでした。スーツを着てメガネをかけて、何より違ったのは、田中は、女の子の手を引いて歩いてたんです。小さい幼稚園生くらいの女の子ですよ。」

そう言うと男性は鼻の汗を拭い

「私はそれを見て怖くなったんですが、この恐怖はなんでしょうか。」

真剣な眼差しで男性は私を見つめていた。

 私はそれに対し、答えを出すことができなかった

 そのあと男性はひとしきり話したあと、店の会計を私の分も払い、報酬といい茶封筒を立てて置いて帰った。私も10分後外に出ると西日がかなり傾いていた。

 きっと今も田中と呼ばれてる男は誰かを樹海に導いているのかもしれない。

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アンコウ 暗井 明之晋 @Beyond

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