第197話 エピローグ



 享保5年8月15日(1720年9月17日)未の刻。

 涼馬夫妻は信濃国高遠へ帰郷した。


 まず筆頭家老・星野縫殿助に一連の探索結果を報告すると絵島囲み屋敷へ飛ぶ。

 相変わらず地味なすず色の単衣を纏った絵島は蓮華寺の和尚と碁盤を囲んでいた。


 妻の清麿をあらためて紹介した涼馬は、江戸で探索した事柄をつぶさに報告する。

 黙然と聴いていた絵島は心からの礼を述べつつ、東方に向かって静かに合掌した。


 母の彌栄が待つ屋敷へもどり、兄・徹之助の仇討の成就を報告した涼馬と清麿は、名前はそのまま、男女を入れ替えた。ヾ(@⌒ー⌒@)ノ



      *



 その翌年。

 清麿と、涼馬こと小梢夫婦に、珠の如き男子が授かった。


 赤子には亡き徹之助の名が受け継がれ、少し年老いた女中・梅は、涼馬お坊ちゃまこと小梢お嬢ちゃまが出産した徹之助お坊ちゃまを、舐めるが如く溺愛した。(*'▽')


 享保7年、内藤伊賀守頼卿は、江戸城の野木多宮家老に絵島の赦免嘆願書を提出。


 翌8年、江戸城月番老中・安藤対馬守信友から上屋敷の伊賀守に、絵島の高遠城内での起居を許可すると達しがあり、絵島は囲み屋敷の周囲に出られるようになった。

 さらにのちには、高遠城内において侍女たちのしつけの指導も行うようになった。


 同9年、伊賀守は御公儀から要職・奏者番を命じられた。

 同10年5月、千駄ヶ谷に隠棲中の新井白石が没した。享年69。


 同20年2月、奥方に「病気がちで如何ほどの仕置きもできずに申し訳なかった。内藤家の繁栄と存続を彼岸から見守っている」と遺言し伊賀守が没した。享年39。


 寛保元年(1741)2月、江戸で天英院が没した。享年76。


 同年4月10日、高遠で絵島が没した。享年61。遺骸は手厚く蓮華寺に葬られ、碁打ちで親交を結んだ同寺の和尚から「信敬院妙立日如大姉」の法名が贈られた。


 同3年1月、前年に赦免されて江戸へ戻っていた生島新五郎が没した。享年73。

 延享2年(1745)、八代将軍紀州卿から九代惇信院に仕置きが移管された。

 宝暦2年(1752)10月、月光院が没した。享年68。


 同年、30歳になった徹之助は、高遠城弓衆棟梁を拝命した。

 幼馴染の妻・琴絵は二人目の子を懐妊中。


 清麿はお抱え絵師としてますます才筆を揮い、小梢は、老母・彌栄を世話しながら梅を援けて家事に勤しむ傍ら、近所の子らに剣術、槍術、弓術、柔術を教えている。


 主なき絵島囲み屋敷はかつての花畑衆が交代で管理して、無人の館を守っている。

                                  【完】




🌟毎回、お心の籠った応援コメントや💚を賜りました、遥彼方さま、碧月葉さま、倉沢トモエさまをはじめとするみなさま方、無駄に長くなった(笑)拙作を根気強くご高覧賜りまして本当にありがとうございました。ここに心より感謝申し上げます。



*参考文献

 歴史の謎を探る会編『江戸の商い 朝から晩まで』(夢文庫 2008年)

 佐々悦久編著『大江戸古地図散歩』(新人物文庫 2011年)

 菊地ひと美著『花の大江戸風俗案内』(新潮文庫 2013年)

 ほかにインターネットを参考にさせていただきました。



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絵島の守りびと🌸花畑衆 上月くるを @kurutan

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