最終話 菌滅の薩摩
対策本部の休憩室で、佐竹はうとうとしていた。
連日の多忙故に自宅に帰れなくなった佐竹の体には、疲労が溜まりきっていた。頼りない風貌の細身な中年男は、目の下に隈を浮かべながらスマホを起動した。
スマホのホーム画面の家族写真、そこに写る同い年の妻と、七歳の娘、三歳の息子の姿を見ていると、無性に彼らと会いたくなった。数日顔を合わせていないだけで、十年以上離れ離れであったような気さえしてくる。古代の中国人が詩に詠んだ「一日に三つの秋が過ぎていく」というような思いは、きっとこのようなものなのであろう。
国家に奉仕する身であっても、自分には国とは別に守るべき家族がある。けれども、今はまだ後ろを振り返って妻子を抱擁する時ではない。そう思って、佐竹は自らを厳しく引き締めた。
「今日も帰れない」
妻にそう伝えるために、佐竹はメッセージアプリを開いた。アプリ画面の下の方にはスマホゲームの広告が載っていて、人型のロボットが敵と思われる球体の機械にビームを照射してバリアを破り、そのままビームを連射して打ち倒している様子が流れていた。
「……これだ!」
その時、佐竹の頭に閃きがもたらされた。
***
「まず塩水作戦で納豆を崩し、核となる隕石を露出させます。その上で何か……大きな音を立てる物を投げ込んで、隕石に付着したMN-1を残らず殲滅するのです」
それが、佐竹の新しい提案であった。外側が納豆のネバネバで守られているのなら、そのバリアを取り除いた上で中心部分に攻撃を仕掛ければよい。そういうことであった。
今度こそ、望みはある。再び塩水の準備を進めるように、ANTは自衛隊に働きかけた。
***
納豆が鹿児島中央駅へ到着したのと同じころ、鹿児島県の種子島では、ロケット打ち上げの準備が進められていた。打ち上げられるのは、宇宙ステーションへ補給物資を届けるための無人補給機である。世界最大級の補給能力を持つこの補給機は、近日中にも打ち上げられる予定であった。
巨大納豆はJR指宿枕崎線に沿うように、南へ南へと進んでいた。彼らはなぜか、在来線を利用することがなかった。都内にいた頃は新幹線を乗っ取るまで線路を利用するという発想がなく、鹿児島の指宿枕崎線は単線単車両である故に巨大納豆を運べないという理由によるのかも知れない。
再び集められた塩水を陸上自衛隊が装備した頃、納豆はすでに指宿市内に入っていた。温泉地を舞台とした攻防が、まさに始まろうとしていたのだった。
陸上自衛隊の部隊は、指宿駅の駅前広場を背に陣取った。迷彩服に身を包んだ彼らの目は、ここより先へは行かせないという決意を言外に示していた。
彼らの顔つきは険しいものであったが、決して悲壮なものではなかった。寧ろ希望に満ちているような、そんな様子を思わせる表情であった。今度こそ、あのお騒がせな巨大納豆を地上から消し去る。そうした確固たる意志と自信が彼らにはあった。
目の前にそびえ立つ、山のように大きな納豆。それは相も変わらずナメクジのように、糸を引きながら指宿駅に近づいてくる。それが放水の射程に収まる距離まで近づいてきた時、放水の指示が下された。
「今日がお前の最後の日だぜ、納豆さんよ」
一人の隊員は、ホースを握りながらそう吐き捨てた。タンクに接続されたホースからは、前と同じように熱した塩水が放たれる。
複数箇所から塩水の集中砲火を浴びた納豆は、徐々に崩れ出した。その様子はまるでじょうろの水をかけられた砂の城のようであった。
そうして放水を続けていくうちに、ようやく納豆の中央部から、黒い石が姿を現した。あれこそがこの巨大納豆の核となっている隕石であり、宇宙生命体の根城であった。MN-1はここから納豆菌に干渉して納豆を操り、自らの盾と移動手段を兼ねる要塞を作り上げたのである。これを死滅させない限り、巨大納豆は無力化できない。
放水を終えた隊員たちがその場を離れていくのに逆行して、一機の多目的ヘリ「ブラックホーク」が飛来した。隕石の真上でホバリングし高度を下げるブラックホークの、そのドアから、一人の隊員が姿を現した。その手には
「地球人からのプレゼントだ。ありがたく受け取りな!」
隊員は安全ピンを引き抜いたスタングレネードを放り投げると、素早くヘリの中に引っ込んだ。
爆音、そして閃光。その二つが、隕石に着弾したスタングレネードから放たれた。
結果はどうなったのか……光を音をやり過ごしたヘリ隊員が、恐る恐る地上の様子を覗いた。
地面に散乱する大きな大豆は、徐々にしぼんでいた。再度合体する様子はない。恐らく、MN-1による納豆菌への干渉がなくなったことで、元の納豆に戻っているのだ。もう、巨大化はしないであろう。これは、隕石に巣くうMN-1を死滅させた、と解釈してよさそうな結果だ。
ヘリ隊員たちと、スタングレネードの影響を受けないように離れた場所にいた隊員たちは、今度こそ勝利の歓声を上げた。
***
ANTの対策本部でも、作戦の成功を喜びあっていた。リーダーの佐竹も、ほっとした様子で椅子に座り込んでいた。
「……あの宇宙生命体、何がしたかったんでしょうね」
同じく官房から出向してきていた副リーダーの牧瀬という男が、佐竹に話しかけてきた。佐竹は彼と既知の間柄であり、佐竹にとってこの場では一番気の置けない相手であった。
「多分……宇宙に帰りたかったのかも知れないな」
「帰りたかった……ですか」
「種子島の宇宙センターを目指してたんじゃないかなって思うんだよ。あの進み方だと」
「ああ、確かロケットの打ち上げ予定があるんでしたね。それに乗って帰るつもりだったとか……?」
「違うかも知れんがな」
あの作戦の後、現場から生きたMN-1は採取されず、死骸しか発見されなかった。隕石に乗ってはるばるやってきた者たちが現地人の攻撃によって全滅の憂き目にあったかと思うと、佐竹は複雑な想いであった。けれども、今更そんなことを考えても仕方のないことである。
「もう暫く納豆食う気がしないな」
仕事は終わった。これで、久しぶりに家族と会える。佐竹はくるくると落ちていく夕陽をビルの窓から眺めながら、今しがた自販機で買ったホット缶コーヒーのプルタブを開けた。
アタック・オブ・ザ・ジャイアント・納豆 ネバネバのネバーランド 武州人也 @hagachi-hm
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