【5】

 学校の先生は、高校3年生の僕らによく「ここからは全て『最後の』がつく」と話をする。最後の球技大会、最後の夏休み、最後の文化祭、最後の運動会、高校生活最後の日、卒業式まで。全部、最後なんだって。

 だから僕たちは夏休みの間、思いつく限りの「最後」をやった。

 何せ、僕らにとっての最後は、「最期」なわけだから。




 ある日の真夜中だった。僕は父さんのCB400を借りた。


「お前、乗れるのか?」


 そう父さんが聞いた。僕は頷いた。時々、勝手に持ち出して転がしていたから。


「……だよな、乗れるよな」


 そう父さんが頷いた。


「もう、高校3年生なんだもんな」


 そう、確かめるように呟いて。

 深夜のリビングには父さんと僕しかいない。母さんは上で寝ている。


「つまり、今日お前がいる場所は、ここじゃないってこと、なんだよな?」


 そう、父さんが僕に訊く。少し震えていたけれど、穏やかな声だった。

 「その日」が今日だって、ずっと前から父さんは知っている。母さんには「近い」とは言っていたけど、具体的な日付は教えていない。父さんも、僕も、上手く隠したと思う。もし知ってしまったら、僕が死ぬその日まで、あるいは僕の死を受け入れるその日まで、母さんはまともに生きていけないだろうから。


「ごめん」

「……ああ、いいよ。お前がそう決めたんなら」


 そう父さんは、僕の最期の我儘を認めてくれた。


「……前に」

「うん?」

「前に、死んだら墓に入れないでほしい、って言ったことがあったよね?」

「ああ」

「あれ、撤回する」


 そう言うと、父さんは目を見張った。僕は続ける。


「無理かもしれないけど、いや、多分無理なんだけど。全然、そういう関係じゃないし、縁もゆかりもないし。でも」


 僕は父さんに背を向けて言った。


「死んだら、同じ墓に入ろうって約束した子がいるんだ」

「……そうか」


 大きく、ゆっくりと、深呼吸するみたいに父さんは言った。


「それにしても、同じ墓って18歳の約束か? 重すぎるだろ」


 そう父さんは、無理をしたように笑う。


「だよね」


 そう言って僕もまた、小さく笑って。


「いってくる」


 家を出た。




 待ち合わせた公園まで、君を迎えに行った。君が僕の姿を見つける。


「無免許運転だ」


 そう君が笑う。


「これで途中で捕まったら、ほんとに笑えるよな」


 そう返す。


 君には僕のコートを貸した。僕は父さんのライダースジャケットを着ている。

 最期は、海に行きたいと君が言った。だから僕はCB400を走らせる。

 奔らせる。

 ギアを上げる。夜を泳ぐ車の群れを、縫うように駆ける。

 ぎゅっと腕を回した、君の体の温度を感じる。


 そこに君がいる。


 スロットルを開ける。速度を上げる。ヘッドライトが闇を裂く。

 空気が、風景が弾けて消えていく。世界の破片がヘルメットを通り過ぎていく。

 どこまでも、どこまでも行ける。

 星が瞬いている。宇宙の向こうの、その先の、因果の向こう側の果てを、僕たちは思う。




 太陽が今にも昇ろうとしていた。僕たちは並んでそれを見ていた。

 夜明けを迎えようとする海岸には、誰もいなかった。

 僕たちだけだった。僕たち、二人だけのものだった。


「ずーっと昔ね、死んだ旦那さんのために、世界で一番美しいお墓を作った奥さんがいたんだって」


 海が次第に、オレンジに染まっていく。君の瞳がそれを映している。

 綺麗だと、僕は思う。


「それで?」

「奥さんはさ、旦那さんの遺灰をワインに混ぜて飲んで、死んじゃったらしいよ」

「気色悪いなあ……最期の最期にする話がそれかよ」

「私も、君の灰を混ぜてお酒つくるね。灰ハイにしようかな」

「未成年だろ」

「無免許でここまで来たくせに」


 僕ら、顔を見合わせて、心から笑った。


「ここが、世界で一番綺麗な、私たちのお墓」

「墓なんてないよ」

「ある」


 そう、強く、強く君が言う。


「あるよ、ここに」


 そう君が前を向く。つられて、僕も同じように海を見つめた。


 朝日って、こんなにも、美しかったのか。


 それは全てを焼き尽くす、穢れのない炎の色だった。網膜に焼き付いた、永遠の紅蓮だった。僕らを燃やし、溶かし、一つにする。


 一つにしてくれる。


 その輝きが、紛れもない、僕らの、僕たち二人だけの墓標だ。

 最期に君が何か言った気がした。けれど、僕はその言葉を覚えてはいない。


 そうして、僕らの少年期は幕を閉じる。

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【短編】ジュブナイル・シンドローム 阿部藍樹 @aiki-abe

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