第115話 侍男?
長い階段を登り切り、金百合の間のある七階まで戻ってきた。
このフロアに部屋は四つあるのだが、いま利用しているのは俺だけである。
だから、普段はひっそりと静まり返っている。
ところが、今日は角の向こうからくぐもった男女の会話が聞こえてきた。
なんだろう?
足音を忍ばせて覗いてみると、男の方は部屋付きメイドのレン君、女の方の名前は忘れてしまったけど客室係のチーフだった。
チーフは三十代中ごろの女性で、日本だとちょっと若いお局様って雰囲気の人だ。
業務連絡中?
いや、どう見たってそれは違う。
だって、レン君は右手の手首を壁に押さえつけられ、お尻をなでられていたからだ。
「やめてください、チーフ」
「いいじゃないか。私の気持ちは知っているだろう?」
レン君は身をよじって逃げようとするのだけど、力では女性にかなわないのだろう。
壁に押さえつけられたまま、いいように体をまさぐられている。
「君が入ってきたときからずっと見ていたんだ。なあ、頼むよ」
「やめてくださいって。大きな声を出しますよ」
「それで恥をかくのは君の方だぞ。少しだけ相手をしてくれればいいんだ」
「い……や……」
強引にキスしようとするのをレン君は顔を背けて拒否した。
まさかこんなところでセクハラに遭遇するとは思ってもみなかったぞ。
だが、これ以上の傍観はできないな。
「なにをしてるの!」
大きな声を出すと、客室係のチーフはパッとレン君から離れた。
「こ、これはサナダ様、おかえりなさいませ……」
チーフはもごもごと挨拶をしながら行ってしまった。
レン君は青い顔をしたまま、その場に直立不動のままだ。
「大丈夫だった? ひどいことをされていたみたいだけど」
「ご覧になっていたのですね……」
「とりあえず部屋に入ろう」
震えるレン君を伴って金百合の間に入った。
「ほら、座って」
落ち着かせるためにソファーに座らせると、レン君は顔に手をあてて泣き出してしまった。
「怖かったんだね。もう大丈夫だよ」
「うぅっ……。あの人、ずっと私に言い寄っていて。でも、直属の上司だから断りにくくて」
「権力をかさに迫ってきたわけだ。わかるよ」
ブラック企業にいた俺もパワハラの被害者だった。
「あの人、旦那さんもいるんですよ。それなのに、それなのに……」
既婚者のくせに部下を口説いたのか。
許せないヤカラだな。
「もう辞めたい……」
俺はレン君のためにタオルを持ってきた。
「涙を拭きなよ」
「すみません、クオート様。醜態をさらしました」
「そんなのはいいけど、本当にここを辞めるの?」
「お給料はいいので、辞めたくはありませんよ。でも、もう精神的に限界なんです」
レン君は辛そうに胃のあたりを押さえている。
「上に訴えることはできないの?」
「きっと黙殺されます。支配人は、それくらい我慢しろ、とまで言いますから。支配人だって私のことをいやらしい目で見るんです」
そんなセクハラがまかり通るなんて、異世界は逆昭和なの⁉
短い付き合いだけど、レン君はいい子である。
できればなんとかしてあげたい。
「いっそ、俺と一緒に帝都に行く?」
「それは、サナダ様が私を雇ってくれるということですか?」
「まあね。ただ、事情があって帝都には長くいられないんだ」
エマンスロックのことは長くても数か月以内でケリをつけたい。
「半年くらいの短期契約でいいのなら」
「ぜひ、お願いします!」
ずいぶんあっさりと飛びついてしまうんだなあ。
大丈夫だろうか?
「いいの?」
「次のお仕事は帝都で探しますよ。それにクオート様ならよさそうなお屋敷を紹介してくださいますよね?」
「うん、知り合いに相談してみるよ」
リーアンやじいちゃんに聞いてみればなんとかなるだろう。
「レン君のお給金はどれくらい?」
「週に2万レーメンをいただいております」
異世界ではけっこういい方だな。
「わかった。俺は短期で雇うから3万レーメン出すね」
「そんなに!」
「あと、衣食住の費用はこっちもちでいいよ。そのかわり、いろいろと教えてもらうと思うからよろしくね」
「誠心誠意お仕えしますので、よろしくお願いします」
レン君はさっそく辞表を出しにいった。
帝都の風習などに疎い俺だけど、レン君が一緒なら安心だな。
それに、社交界に入り込もうという紳士が従者を連れていないというのもおかしな話である。
これで少しは格好がついたというものだろう。
ところで、貴婦人のお付きは侍女と呼ぶのだが、貴公子のお付きはなんと呼べばいいのだろう。
まあ、なんでもいいか。
事の成り行きに満足しながら、俺は荷造りを開始した。
パンカレ温泉を出発した俺たちは一路帝都を目指した。
俺が作った新型の馬車は非常に快適で、アキオンじいちゃんは大喜びである。
「おじいさま、コーヒーはいかがですか? マジックボトルに作ってきましたよ」
「ここで飲むのかい?」
じいちゃんは心配そうに馬車の中を見回している。
「この馬車はゆれないから平気ですよ」
「うむ、それじゃあいただこうか」
「ミルクとお砂糖は?」
「砂糖をふたつ入れてもらおう」
馬車の中で甘いカフェオレを作っても、コーヒーは一滴もこぼれない。
アキオンじいちゃんは満面の笑みでカップを受け取った。
「ああ、美味しい。こんなに気が利く男の子は帝都じゅうを探したって見つからないだろうね」
「そんなこと……」
俺は照れたふりをしてみせるが、心の中では(いやいや旦那、これくらいできなきゃ宿屋の男将は務まりませんがな)とか思っている。
そんな俺の心中などわかるはずもなく、じいちゃんがとんでもないことを言いだした。
「これならどこに出しても恥ずかしくない婿になるだろう。帝都に着いたらすぐにお見合いの準備をしないといけないね」
「は?」
そんなのは余計なお世話である。
俺はまだまだ遊び……自由でいたい。
「おじい様、私に結婚は早すぎます」
「なにを言っているんだい? お前の父親が嫁いだのは十九歳のときだよ。それに比べたらちょっと遅いくらいじゃないか」
本当にグズグズしてはいられないな。
さっさとラメセーヌの杖を返却して帝都をずらからないと……。
でも、その前にちょっとくらい恋の火遊びをしたっていいよね?
次は年上が相手でもいいなあ……。
ベッタベタに甘やかしてくれる人なら最高だ。
俺はまだ見ぬ運命の人に思いを馳せながら車窓からの景色を眺めた。
ダンジョン島で宿屋をやろう! 創造魔法を貰った俺の細腕繁盛記 長野文三郎 @bunzaburou
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