地球名物蜂蜜ピザ店
六
地球名物蜂蜜ピザ店
その店に初めて入ったのは、惑星二五三三三七八――通称キャプセラ上空のワープゲートの初回メンテナンスを終えた日だった。一ヶ月前に別のワープゲートが誤作動して大規模な事故を起こしたことで、同型番のワープゲートの一斉調査が行われることになったのである。ワープゲート専門のエンジニアはそう多くなく、駆け出しの私もかり出されたという訳だ。二週間に及ぶ調査の結果、ひとつふたつネジを締め直す程度で問題なし、ただし念のためキャプセラ時間で半年おきにメンテナンスが行われることになった。
この二週間ろくなものを食べていなかったので、帰る前にキャプセラに降りて食事をしようと考えた。キャプセラはその頃最も新しいワープターミナルのひとつで、開拓されて間が無かったので、繁華街もまだ店の密度が低くどことなくさみしげだった。その中で、「惑星テラ名物 スシのヤマザキ」と大書された店が目に入った。惑星テラには子供のころ観光で行ったことがあったが、スシというのは知らない。同郷の者の中にはよその惑星、よその人種の食べ物など口に入れる気がしないというやつらも少なくないが、私は見知らぬ異星人の食べ物を試してみるのが大好きだ。見知らぬ料理は大歓迎。まあもちろん、シュックス星人の主食というのを食べたときは後悔したが、大きな失敗はそれくらいだ。
いらっしゃい、と明るい声で私を迎え入れたのはおそらく男のテラ人で(テラ人の性別は私にとっては分かりづらい)それより一回り小さなテラ人が私をカウンターに案内した。カウンターの中から「何にしましょう」と問われたので、「スシというのは初めてなので、おまかせでお願いします」と言うと、男はとても嬉しそうに「それは嬉しいね、ありがとうございます」と言って、一品一品丁寧に説明してくれた。
ヤマザキというのがその男の名前で(やはり男だった)一回り小さいほうは娘だという。ヤマザキは愛想良く、キャプセラにワープゲートができたのを機に商売を始めようと移住してきたこと、この間の事故で利用者が減っていて不安だがそれなりにやれていること、米は地球から輸入していることなどを話してくれた。私がワープゲートの技術者だと知るとほぼ拝まんばかりにありがたがり、卵焼きをサービスしてくれた。娘はエミィですと名乗った後はほぼ無表情で、淡々と料理を作っては出してくれる。
スシは美味しかった。米という穀物を炊いたものを丸めたり星形に固めたりして、その上に魚や肉や塩漬けの果物を乗せたものがスシと呼ばれるらしい。惑星ミギギのニチチに似ていると思ったがそれは心にしまっておく。スシとは別のテラ料理もいろいろと出してくれて、ミソシルという汁物がとても気に入ったので頼んでもう一杯出してもらった。
「お客さんは地球には行ったことがありますか?」とヤマザキは聞いた。地球というのはテラ人がテラのことを呼ぶ名前だ。
「ええ、一度だけ。水が多くて、良いところですね」
「そうでしょう。私はね、地球の味を宇宙に広めたいと思ってるんですよ。まあ手に入る材料が違うんで地球のものと同じとは行きませんが、こうしてスシってもんを知ってもらって、いずれ地球に行ったときに本物の寿司を食べてもらえたら……なんてね、思ってるんです」
「ははあ。いつかまた地球に行くことがあれば試してみますよ」
「ぜひ、お願いしますよ」
「ところで地球と言えば、蜂蜜――」と言いかけたところで、エミィがはっとこちらを見た。「――ピザが――」と続けると、ヤマザキは突然眉間にしわを寄せて私を睨んだ。念のために付け加えると、テラ人のこの表情はミシカ人と違って怒りや不快を表すものだ。
やや焦りながら「……有名では?」と尋ねる。あれは別の星の食べ物だったろうか? いや、たしかに地球に行ったときに食べたはずだ。母も私も気に入って滞在中二回ほど食べたのだ。
「蜂蜜ピザね。確かに有名ですよ」とヤマザキは暗い口調で言った。「テラ人以外にとっては地球と言ったら蜂蜜ピザ、それはそうなんです。でもねえ、私の故郷は違うんですよ」
「え、そうなんですか。地球全土で愛されているものかと」
「いや私だってねえ、蜂蜜ピザは好きですよ。でもあれは地球の中でも一部の国のものであって、私の生まれた国の名物ではないんです。いや分かってますよ、宇宙からしたら日本もイタリアもスウェーデンもアルゼンチンもみんな同じ惑星テラでしょうね、でも俺の! ふるさとは! 日本なんですよ! 地球ってひとまとまりにしちゃあ失われるものがあるんです。だからねえ、俺はねえ、テラっつったら寿司! 寿司っつったら日本! これを目指してる訳です!」
どんどん声が大きくなるのにたじろいでいると、常連らしきファッレ星人がヤマザキを呼んで手招きした。こちらに目配せしたところを見ると、私が困っているのを察して助けてくれたのだろう。エミィがやってきて緑色のお茶を手渡しながら、「ごめんなさいね。お父さん、蜂蜜ピザのことになるとちょっとおかしいんです」と初めて私に笑いかけた。いえいえ大丈夫ですよ、と答えながら、ふむ確かにヤマザキの言うことも一理あるな、と考えていた。私の出身はミシカでも北大陸の方で、何をするにも楽天的な南大陸の人たちとはやっぱり少し違う、と思っている。ひとまとめにしたときに失われるものは、まあ宇宙規模ではたいしたことはないにせよ、やっぱりないわけではないのだ。
以降、キャプセラのメンテナンスのたびにその店を訪れるようになった。ワープゲートの事故は起こらず、悪評も忘れられ、キャプセラは来るたびに賑やかになっていくようだった。ヤマザキの店も繁盛しているようで、一度などは満員で入れなかった。店を出て別の店を探す私をエミィが後ろから追いかけてきて、ミソシルの入ったタンブラーを渡してくれた。
そうして何度目かに訪れたある日、ヤマザキの元気がないのでどうしたのか尋ねると、エミィがチラシを見せてきた。「惑星テラ名物 餃子のカリモヴァ」と書いてある。エミィの説明によると、ギョウザというのは一言で言えばガッタに似た料理らしい。知らない名物がいろいろあるものだ。「キャプセラ唯一の惑星テラ名物っつって売り出してたのによう、かぶっちまう」とヤマザキは悲観的だ。いや別に私はテラのものだから食べにきたわけじゃないですよ、大将の人柄あってのこの店で……と慰めてみたが、エミィは「お世辞は大丈夫ですから」と冷静だ。
ヤマザキははたと思いついた顔をして、「ちょっと偵察してきてくれませんか」と言う。「店主がどんなやつで、どんな料理を出してるか見てきてくれるだけでいいんです。頼まれてくれませんか」
いや、偵察なんて……と私が断る前に、エミィが「あたしも行く」と身を乗り出してきた。「おまえが?」とヤマザキは意外そうだ。
「そうね、夜は店があるからランチに行ってくるわ。あたしの奢りにしますから、付き合ってくださらない? それならいいでしょう?」
思いもかけない積極性にあれよあれよと話はまとまり、次の日の昼、私はエミィとその店の前に立っていた。初めて見るエミィの私服は宇宙的流行に丁寧に沿っており、それでようやく私はエミィが思ったより若いのに気がついた。まだ子供と言ってもいいくらいだ。
テーブルと椅子の数はごく少なく、カウンターが道のほうにせり出して、テイクアウトや食べ歩きがメインであるらしい。メニューに並ぶ文字を見たが何が何だか分からず、エミィの言うまま注文する。店主らしきテラ人が丸っこい体を揺らしてまずなにかスープに入った半透明の食べ物をテーブルに置き、ふとエミィの顔に目を向ける。エミィは帽子を深くかぶり直したが、店主はにやりと笑って「あんた、寿司屋の子だろう」と言う。
「あは……ばれました?」
「地球の味が恋しくなったのかい? 寿司じゃローカルすぎるもんね」
いや、とエミィは言葉を濁した。私は「ギョウザというのもテラの名物なのですか」と尋ねた。
「ああ、そうなんだよ。テラじゅうにあらゆる形、味、中身の餃子がある。地球人共通の故郷の味、共通のソウルフードと言ってもいいね」と店主は言い、眉をキッと釣り上げて「蜂蜜ピザなんてローカルなもん、地球代表みたいな顔にさせとけないってえの!」と付け足した。
蜂蜜ピザ、と繰り返す私に店主はうなずき、「これはサモサ」と言いながら皿を差し出す。エミィはそれに手を伸ばしながら、「それで地球のあらゆる種類の餃子を出していると」と納得したような声を出す。「でもペリメニやサモサはともかく、ドルマって……餃子?」
「肉が包んでありゃあだいたい餃子よ」
「それなら宇宙じゅうに……」
私の声はカウンターを叩く大きな音に遮られた。驚いて見ると、いつ現れたのか、ヤマザキが顔を赤くして店主をにらみつけていた。お父さん、というエミィの呆れた声を無視して、「おうおう、共通の故郷の味たあ言ってくれるじゃねえか」と啖呵を切る。結局来るなら私を派遣することもなかろうに。
「なんだい、あんた日本人だろう? 小籠包もあるよ」
「小籠包は中国だっ! だいたいな、地球にも餃子がない国だってあるだろうが、オーストラリアや南米のことは無視かあ!?」
「地球のどこでも餃子は食える。寿司なんてローカルなもんと違ってね」
「それなら蜂蜜ピザだって同じだろうが」
「蜂蜜ピザと一緒にするな! ローカル度合いで言ったら寿司も蜂蜜ピザも変わらんよ!」
「だからって餃子がでかい顔していいことにはならんがな!」
「何だとこの」
「やんのかこら」
エミィと私はさくさくとサモサをかじった。何の肉か分からないが、刺激的な味付けが大変美味だった。スイギョウザのほうには小さなゆで卵がくるまれていて、それも気に入った。
翌年キャプセラにやってくるとヤマザキとカリモヴァは結婚していた。店は合併して、「惑星テラ名物 餃子と寿司の店 ヤマザキ・カリモヴァ」になっていた。二人が身を寄せ合って幸せそうに話すところによれば、ギョウザとスシのどちらを前にするか、たいそうもめたということだ。
キャプセラのメンテナンスは二年に一度でよいということになったころ、惑星テラにバカンスに訪れた。端末の指示に従って、宇宙港から直接その店に向かう。テラらしい、高層ビルとアスファルトのクラシックな町並みを歩いて、「蜂蜜ピザ 笑美」という看板を見つけ出す。店頭に並べられた花の間から中を覗きこむと、エミィが私に気づいて手を振った。
エミィは「RESERVED」の札が置かれたテーブルに私を案内し、自分もエプロンを脱いでその席につく。「開店おめでとう」と用意してきた花冠を差し出すと、「ありがとう」とにっこり笑った。「でもテラでの開店祝いの花輪って、そういう意味じゃないんですよ」
「でも驚いた、エミィがヤマザキのところを飛び出して作った蜂蜜ピザ屋が、いまじゃ大企業だなんて」
「お父さんもずいぶん丸くなって、たまには顔見せに帰ってこいなんて言うんですよ。勘当ってことになってたのに」
エミィはまずキャプセラの宇宙港で「テラ人が作る本格蜂蜜ピザの店」をオープンし、大繁盛させた。ヤマザキの嘆きはずいぶんなもので、どんなに慰めても手がつけられなかったが、エミィはそしらぬ顔で二号店を、三号店を出し、別の惑星に移ってまた店を出した。流行に沿った外観の店を次々と作っては話題になり、数年のうちについには知らぬもののない有名店となった。「あんなもの蜂蜜ピザとは言えない」と言うテラ人もいないことはなかったが、なにぶんテラ人の数は少なく、エミィの蜂蜜ピザはおいしかった。「テラ人が作る本格」はそっと店名から外し、味とバリエーションで勝負の姿勢に転換。そして今年、ついに地球一号店を出すことになったのだった。
「凱旋に」と私たちは乾杯する。蜂蜜ピザには葡萄酒ということになっているらしい。
蜂蜜ピザがロボットアームでしずしずと運ばれてきて、私の前に置かれる。チーズと蜂蜜を塗り重ねた生地をくるくると巻き、チョコレートのリボンで結んだ姿は、たしかに昔テラで食べた蜂蜜ピザとはだいぶ異なっている。
「私、地球で育ったのって四歳までで、ぜんぜん覚えてないんです。お父さんの仕事についてあっちの星、こっちの星。お父さん、地球の食べ物が恋しかったんでしょうね、ぶつぶつ言いながら、いろんな星で蜂蜜ピザを食べました」
ナイフで一口大に切って食べる。重なった生地のもちもちとした食感、しょっぱさと甘さのバランス。美味しい、本当に、と言うと、エミィは「そうでしょう?」とやや自慢するように顎を上げた。この動作はミシカ人と同じだ。
「だから私の故郷は、地球ではなくて旅の中にあります。私のふるさとの味は蜂蜜ピザなんです」
そう語るエミィはキャプセラにいるときより、明るく自信のある女性に見えた。そういえばエミィというのはヤマザキの国の言葉で、笑顔の美しい人、という意味だということだった。
私は蜂蜜ピザを食べ終えると、エミィにお礼を言って別れた。お代はどう言いつのっても受け取ってもらえず、代わりにテラのおすすめの飲食店のリストを渡された。
いずれこの店が地球に根付いて、この蜂蜜ピザこそが蜂蜜ピザだということになって、誰かの故郷の味になるのだろう。
今日の宿に向かいながらリストを見ると、「本物の寿司」「本物の餃子」「本物の蜂蜜ピザ」の文字が並んでいた。私は微笑んで、「べつに本物じゃなくてもいいのにな」と呟いた。しかし、寿司や餃子がヤマザキたちのものとどれくらい離れているか確かめに行くのもいいだろう。見知らぬ料理は大歓迎だ。
地球名物蜂蜜ピザ店 六 @69rikka
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