サンタクロース条例

衞藤萬里

サンタクロース条例

 サンタクロースはいない。これは真実だ。

 ぼくはもう、とっくに気がついている。

 本当のことをいうと、ぼくも保育園のころは信じていた。ぼくは、りちてきできゃっかんてきに、生きることにしているから公平にそういえるんだ。

 だってそうだろう?クリスマスイブのごちそう、ぼくの大好きなからあげやちらし寿司、その日だけは特別にちょこっとだけ分けてくれるお父さんのお酒のつまみのチーズや塩辛、それに赤いいちごのケーキをおなかいっぱいに食べて、ふとんに入って、朝おきたら、まくらもとにプレゼントがおかれている。

 不思議だったけど、サンタさんならそんなことできて当然だよね。保育園のありさ先生もけいこ先生もそういっていたもん。

 大きくなって考えるとはずかしいはなしだけど、何しろそこは保育園児だ。大目にみてほしい。

 だけど、小学生になって何となくわかってきた。

 あれってさ、おとなたちがみんなで子どもたちにサンタさんがいるって信じてもらおうとしてるんじゃないかな?

 たぶん、少しでも子どもの時間を楽しんでもらおうって親心なんだと思う。

それはわかるよ、でも悪いけど、小学生のぼくたちからすれば、それはもうおとなのがわの空回りじゃないかなって思ってしまう。

 だって、クラスのみんなも気がつきはじめている。どこからともなく、そんな空気っていうかふんいきっていうか、とにかくそんなものが波のようにひたひたと、ぼくらにおしよせてきて、世の中の秘密をぼくたちに教えてくれる。サンタクロースはいないって。

 高学年のお兄ちゃんやお姉ちゃんがいるクラスメイトは、じまんげに話す。去年のクリスマスにお兄ちゃんたちが寝たふりをしていたら、お父さんが部屋に入ってきて、プレゼントをおいたって。みんな同じ話だ。都市伝説かよ、なんて逆につっこみたくなるけど、要するに、そこつなお父さんがいっぱいいるってことだろう。そういう小さなミスから、何もかもだいなしになるんだよ。蟻の一穴ってやつだ。

 それなのに保育園から仲のいいりょく君は、そんなことはない、サンタクロースは絶対にいるといっている。そんなはずはないのに。小学二年にもなって、まだそんな子どもみたいなこといっている。

 ぼく?ぼくは頭のわるいクラスメイトみたいに、大きいお兄ちゃんたちに教えてもらわなくても、考えればわかる。

 トナカイにひかせたソリで空を飛ぶ?

 煙突もなく、かぎがかかった部屋に、どうやって入ってくるんだ?

 どうやって子どもがほしいものがわかるんだ?

 世界中にどれぐらいいるかわからない子どもみんなに、プレゼントなんて贈れるはずないだろう?

 ほら、どう考えたっておかしいだろう?いるわけないよ。

 ぼくは、りちてきに生きるんだ。そんなこどもだましに、まどわされる歳じゃない。

 

 お父さんはとてもいそがしい人で、仕事から帰ってくるのは毎日十時や十一時をすぎているらしい。らしいというのは、そのじかん、ぼくはもう寝ているからだ。お母さんから教えてもらった。休みの日も家にいることは少なく、たとえ休みでも朝はおそくまで寝ている。お父さんは責任のある立場だから、すごくいそがしくて疲れているんだとお母さんがいっていた。

 その日はめずらしくお父さんが早く帰ってきて、お母さんと三人で夕ご飯を食べていた。お父さんは缶ビールをのんでいた。

 そこでりょく君のはなしになった。サンタクロースを信じているりょく君だ。

「……そうか?」

 お父さんはちょっと困ったような顔だった。

「お父さんもサンタクロースがいるっていうの?」

「いるよ」

 お父さんはきっぱりといった。

 あぁもう、そんなとき、おとなはずるいなって思う。だってしかたないじゃないか。ぼくは理解してしまったんだから。

 きっと自分たちの決めたルールに子どもたちがしたがわなくなると、子どもらしくないって思うんだろう。

「うそだぁ、本当はお父さんたちが、夜中にこっそりとおいてるんでしょ?」

「そんなことしていないよ」

 横からお母さんも、お父さんのえんごをする。

「お父さん、ぼくだっていつまでもそんなこと信じるほど、子どもじゃないよ。信じているやつの方がおかしいんだよ」

 お母さんが口をへの字にして、お父さんを見上げた。お父さんも眉の間にも、何本もたてのしわがあつまっていた。でもそのひょうじょうは、かくしていた秘密がばれたって感じじゃない。

「明日。お前に見せたいものがある」

 長い間だまっていたお父さんが、そういった。


 ……次の日も、めずらしくお父さんは早く帰ってきた。三人でご飯を食べてお母さんが後片付をすると、ぼくたちはテーブルに腰かけた。お父さんとお母さんがならんで、ぼくがその向かいだ。

 ふたりはむずかしい顔をしていて、ぼくは落ちつかない気分になった。

 お父さんは大きな封筒をテーブルの上においている。封筒はうすい。何だろう?

「ひとつ約束してくれるかな。今からお前に教えること、たとえどんなことがあっても、決して誰にも、絶対誰にもいわないって」

 あまり真剣な表情のお父さんで、ぼくはなぜか背中が震えてしまったけど、はっきりとうなずいた。もう後もどりできないような気がしたんだ。

「本気の本気の約束だ、守れるか?」

 念押しをするお父さん。ぼくはまた小さくうなずいた。お母さんが緊張した顔をしている。

 ぼくをじっと見ていたお父さんが「よし、わかった」といって、テーブルの上の封筒をゆっくりとあける。

 中に入っていたのは何枚かの書類だった。

 お父さんはぼくに読めるように、テーブルの上にならべる。

 手前の書類の一番上はほかの字とはちがって、ひときわ大きかった。

「サンタクロース……何て読むの?」

「『サンタクロース条例』って書いてる」

「……サンタクロース条例?」

「これはね、サンタクロースに関する法律なんだよ」

「ほう……りつ?」

「おとなの世界にはとてもたくさんのルールがある。その中には本当は絶対子どもに知られてはいけない大事なルールがあるんだよ」

 そして、むずかしいだろうって、お父さんは説明をしてくれた。


(この条例の目的)

第一条 この条例は、サンタクロースがよりよく活動することにより、世界中の子どもたちの心の豊かさの向上に資するとともに、他人への思いやりを醸成し、世界文化、世界平和の進歩に貢献することを目的とする。

(サンタクロースの活動の定義)

第二条 この条例でサンタクロースの活動とは、世界中の子どもたちに贈り物をすることとする。

(親及び保護者の責務)

第三条 親及び保護者はこの条例の目的を達成するために行う措置に誠実に協力しなければならない。

 2 親及び保護者はこの条例の目的を達成するために、サンタクロースと協定を結ばなければならない。

(贈り物の対象者)

第四条 この条例に定められた贈り物の対象者は、世界中の子どもたちとする。

2 贈り物を受け取ることは、侵すことのできない永久の権利として、子どもたちに与えられる。

3 子どもたちは人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、差別されない。

(恩恵を受ける期間)

第五条 サンタクロースの活動により恩恵を受ける期間は、子どもがおとなの心を持つまでとする。

(守秘義務)

第六条 親及び保護者並びにサンタクロースは、この条例の秘密を漏らしてはならない。子どもたちが恩恵を受ける期間後及びその職を退いた後も、また同様とする。

(その他)

第七条 この条例の施行に関し必要な事項は、親及び保護者並びにサンタクロースが別に定める。


「つまり、サンタクロースからプレゼントをもらうことによって、すてきな子ども時代を経験してもらい、心のやさしさをもってもらおうというのが、この法律だ」

 そしてもう一枚の書類を見せる。

 それには『サンタクロースの活動に関する協定書』と書かれていた。

 その書類の一番下には、お父さんとお母さんの名前がボールペンで書かれ、印鑑がおされていた。

 そしてその下には、万年筆だろうか、とてもきれいな流れるようなアルファベットでだれかのサインがあった。

「聖ニコラスって書いているんだよ。サンタクロースの本名だ。世界中の親が、みんなサンタクロースと協定を結んでいる」

「協定?」

「約束ってことだよ。子どもが産まれたとき、世界中のお父さんとお母さんはサンタクロースとこういった約束事をむすぶんだ」

「……うそ」

「本当だよ、ほら、ちゃんと協定書って書いてるだろう?お父さんたちは昔、サンタクロースと約束をしたんだよ。お前のところにサンタクロースが訪れますようにって」

 むずかしい漢字は、お父さんが説明してくれた。

 そこには「贈り物をとどける日時は、毎年12月24日の深夜(現地時間)とする」「配送についてはトナカイに曳かせたそりで、空を飛ぶものとする」「煙突を使用することを原則とするが、現場の状況においてはその限りではない」といったことが、こまごまと書かれているらしい。

「お父さんたちは子どもがほしいものを、毎年サンタクロースに伝える。そしてサンタクロースはきちんと贈り物をしてくれる。そのかわり、絶対に子どもに知られてはいけない。ばれたらとんでもないことがおきる」

 お父さんの顔はすごく真剣で、うそをいってるようには見えなかった。

 ぼくは急にこわくなった。

「……ばれたらとんでもないことがおきるって……?」

「このあたり一帯の子どもたち、プレゼントをもらえなくなるんだよ」

 ぼくは息をのんだ。

「ぼくのせいで……?」

「そう、でも大丈夫だ。お父さんたちがお前にこのことを教えたことは、絶対にないしょにするから。だからお前も絶対に絶対に誰にもいっちゃだめだからな、いいな?」

 ぼくは、震えながらうなずいた。お父さんは、いたずらっ子のようににっこりと笑った。

 でもぼくは恐ろしかった。お父さんがぼくにサンタクロースの秘密を教えたこと、実はサンタクロースはとてもすごい力を持っていて、そんなこととっくにお見通しじゃないだろうかって。

 そしてクリスマスの朝、目がさめてもプレゼントはとどいていない。ぼくだけじゃなくって、町中のみんな、りょく君も、サンタクロースなんていないっていっていたクラスメイトたちもみんな、プレゼントをもらえない……そんなことを想像した。

 そしてそのことがぼくのせいだってばれてしまったら……

 そうなったらどうしようって、すごくこわかった。

 お父さんがないしょにしてくれるっていったけど、本当に大丈夫だろうか?


 何日かたったクリスマスイブの晩、ごちそうを食べてから、いのるような気持ちで布団に入った。どきどきして、ぜったいに眠ることなんてできやしないって思っていたのに、布団の中でまばたきをした次の瞬間には、外はもう明るくなっていた。びっくりした。

 つるしておいた靴下の中に、ぼくがほしかったゲームのソフトが、赤とみどりできれいにラッピングされてはいっていた。

 よかった……

 おまけにカーテンをあけたら、外は一面の雪景色だった。天気予報では、雪がふるなんていっていなかったのに、とてもびっくりした。

 二階のまどから庭を見下ろすと、あれ?しばふをかくしている真っ白な雪の上に、二本の線があった。上から見ると自転車のタイヤぐらいのはばで、庭のはしからはしにむかって、きれいに平行に二本。まるで何かのあとみたいな……

 あはは、まさかね。

 ぼくはその朝、お父さんから教えられた世界の秘密が、しんじつだってことを知った。だれにもいえないけれど、すごくすごく幸せな朝だった。


* * *


 父は僕が大学生のころ、癌で死んだ。もう二十年も前だ。そしてあのクリスマスの日々はもう三十年以上前のことになる。

 理知的に生きると云っていた僕はどうなったかというと、まぁ、ときには理知的に、ときにはまるで理知的ではなく、うまくいったりいかなかったりと、今こうしている。

 もうみんな寝たころだろう。僕はひとり、居間でノートパソコンを開いた。今夜は冷えるらしい。

 珍しく早く帰宅すると、小学二年生になる息子が、怒った顔で僕に質問をしてきた――お父さん、サンタさんなんて本当はいないんだろうって。

 サンタさんはいるよ、と僕が云うと、息子はそんなこと信じないよ、みんないないっていってるよと、不安そうな顔だった。

 口調も、サンタクロースの話をしたのも、まるで理由は違っていたと思うが、それはまるであの日の僕のようだった。

 そこで僕は気がついた。そうか、僕の番がきたんだ。大事なことを教えてあげるときがきたんだなと思った。

 だから、明日の晩、その証拠を見せてあげる息子と約束をした。

 パソコンの画面が立ち上がり、世界のどこかにある雪景色を映しだした。フィンランドかもしれない。

 あの前の日、父もやはりこうしてパソコンの前に座ったんだろう。

 どんな風に書こうかとさっきから考えていたが、やはりあれしか考えられなかった。

 あの晩、父から教えてもらった世界の秘密だ。あれしか考えられない。

 僕はキーボードに手を伸ばし、サンタクロース条例――とうつ。懐かしい文字が画面に現れた。三十年ぶりだ。父がのこした言葉。自然に顔がほころんでいた。

 そして僕は、ちょっとだけ泣いた。


(了)

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サンタクロース条例 衞藤萬里 @ethoubannri

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