第9話 ハニー・キス


 まさか、こんな返事が返ってくるとは思っていなかったんだ。

「好きです。付き合ってください」



――――――――。さあ、どこから話すべきか。まずは僕のことだ。僕の身長は平均、体重も平均。学力は並、別段運動が出来るわけでも、出来ないわけでもない。さえない僕。

 それに対して彼女は違う。勉強は出来る。顔は綺麗で十人中九人は振り向く。一人はゲイだ。そんな彼女を僕は放課後の校舎裏に呼び出した。

 彼女は顔色一つ変えなかった。僕はマヌケなピエロだ。誰が、学校一の美女が僕みたいなヤツと付き合ったりするだろう?でも僕は彼女に告白する―――というのがこのシチュエーションという設定だ。そう、設定。嘘、虚構。色々な呼び方があるけど、これが一番正しい、罰ゲーム。

 ただの罰ゲームだ。友達との賭けに負けて彼女に告白することになってしまったのだ。ピエロを演じる羽目になった。勿論、したくてしているわけではない。可愛い彼女に恥をさらすのは確かにに嫌だ。

 でも逃げられない。僕は彼女に言わなければならない。「好きです」って。こんなに緊張するとは思ってなかった。罰ゲームで結果が分かっているのに、こんな風に緊張するとは思わなかった。顔から火が出そうだ。ぐっと息を飲む。一思いに言うしかないんだ!

「あのッ…あの…」

 もう目もあわせられない。ちらっと、チラッと彼女の顔を覗き込むと、彼女は眉一つ動かしていなかった。

「好きです。付き合ってください。」


 それはきっと大したことの無い、たった一瞬だったに違いない。でも僕には気が遠くなるほど長く感じられた。ぼくはもうカチンコチンに固まって、フリーズしていた。たとえ熱湯をかけても動き出すには十年かかっただろう。でも彼女も次の言葉は僕を打ち砕いた。

 彼女口から出た言葉は

「はい。」


 たったそれだけだった。僕の頭がもう一度動き出すときには、彼女は校舎に入っていくところだった。上を見ると、校舎の窓から身を乗り出して見ていた僕の友達が(罰ゲームをやらせた奴らだ)間抜けな顔をして僕を見ていた。一ついただけないのは、僕の顔も同じようにマヌケ面だったってことだ。

 そのようにして、僕と彼女は付き合うことになった。僕は好きな子が居なかったし、彼女にはきっと居なかった。彼女は勉強も出来るし、顔もいい。でも彼女は無愛想だ。そして案外さばさばしている―――その部分については確かにいいと思う。

 僕が告白したのは、昨日のことだ。昨日はそれきり何もなかった。顔をあわせることも無かったし、話もしなかった。僕は彼女のメールアドレスも電話番号も知らない。きっと彼女もそうだろう。だから、今日僕はちょっとびっくりした。

「こんにちわ」

 ぺこんと彼女は頭を下げた。僕もつられて頭を下げた。昨日のことなどまるで無かったように消えさって仕舞うように感じていた。でもそうはならない。現実はいつも目の前に現れたほうだ。

 彼女は僕の下駄箱の前で寒そうにしながら(言い忘れていたが、今は十一月だ)手を温めていた。長いストレートの黒髪の間からちょっと覗いた耳が赤くなっている。寒かったらしい。

僕が靴を履くと、彼女はすっと、歩き出した。僕もその後を追った。今まで、無愛想で鉄面皮な子だと思っていたけど、そうじゃないのかもしれない。

 ただ、表情を表すのが苦手なだけなんじゃないかって、赤くなって耳を見ながら考えていた。そんなことを考えながらぼーっと歩いていると、彼女はくい、と僕の服の裾を引っ張った。「何?」と僕が聞くと、彼女は返事をせずにそのまま歩き始めてしまう。

 僕は仕方なく、彼女のあとを追った。表情を表すのが苦手でも鉄面皮でもどちらでもいいが、彼女は本当のところどう思っているんだろう。

 僕みたいな男を付き合って楽しいんだろうか?彼女は僕の服の裾を離したりしなかった。伸びてしまう………彼女は僕の手を引いて歩き続けていく。随分と早歩きだ。

「どこにいくの?」

「いいから」

 僕の質問に彼女はこれだけの言葉であっさりと回避してそして歩を進めた。まだ耳は赤い。結構な速度で歩いている。もしかしたら、今度は暑いのかもしれない。

 

 彼女が僕を引っ張っていった場所は近所のデパートだった。

 彼女は袖を離すと、僕のほうに手を突き出してきた。

「なに?」

「ん。」

 僕が手を伸ばすと、彼女はその手を掴んだ。いや、繋いだ。というほうが正しいかもしれないけれども。そう、彼女は僕の手をとって歩き始めたのだ。初めてのことだった。女の子と二人、手を繋いで歩く。そんなことは今まで僕の人生に起こったことはなかったことだ。

 僕はちょっと照れ気味に、彼女はいつもの鉄面皮で歩いていく。彼女の背は決して高くない。僕から見ると、僕の手を引いて歩く彼女はちょっと小さく見える。そんなことを思いながら見ていると、彼女がいきなり振り返った。

「楽しい?」

「―――う、うん。」

 

 そのとき、僕が見たのは、彼女の笑顔だった。小さく微笑んだだけだったけど、頬に少し浮かんだだけだったけど、―――それは確かに笑顔だった。

 始めてみた笑顔に、僕は撃ちぬかれた。胸に穴が開いたように彼女に心を射抜かれていた。まるで血液が逆流したように、胸のうちが熱くなって苦しくなった。きっと、不思議な光景だっただろう。女の子に手を引かれた男が、何も言えずに立ち尽くしてるなんて。


 僕は布団を頭から被って考えていた。

 僕はどうしてしまったんだろうか?意味が分からない。今まで彼女をどんなに可愛いと思っても、綺麗だと思っても、好きだと思ったことは無かった。でも、今は違う。彼女の手の感触が全然消えない。暖かくて柔らかい、包み込まれるような感触。

 そして彼女が振り向いて、少し笑う。

 こぼれ出た少しの笑みが、僕の心をざっくりと彼女に縫いつけて離さなくなってしまった。

 あのあと、結局彼女は文房具を見ただけで終わった。買ったのは小さな消しゴムだった。小さな消しゴム、それはただの消しゴムじゃない。彼女はMONO消しと、面白いことだが、猫の顔を模して作ってあった消しゴムを見比べて、迷っていた。ちょっと可愛らしい光景でもある。

 でも、僕はそれどころじゃなくて、そのつい先ほどまで握られていた手を見て、それが凄く熱くなっていることにびっくりしていた。

 もう、間違いない。好きになってしまったのだ。罰ゲームから始まった恋。ありがちだ。ありがちだが、びっくり以外の言葉が出てこない。

 もう一度、布団を被りなおして、僕は考えていた。彼女をもっと笑顔にしてあげよう。あの少しの笑み、それだけじゃない。僕はもっともっと、彼女の笑顔を見たいと思う。

 布団の中で携帯電話のフリップを開いてアドレス帳を呼び出した。一番新しい(そして百番ピッタシの)ナンバーは彼女のものだった。帰り際に交換したものだった。彼女はやっぱり耳を赤くしたまま、僕とアドレスを交換した。

 赤外線通信で携帯と携帯を引っ付けて交換したのだ。自然とお互いの距離が近づいてちょっとでも動けばきっと頭がぶつかったかもしれなかった。それほど近くだった。なにしろ、お互い自分の形態を覗き込むようにしていたのだから。

 恋の赤外線通信。そんな言葉をふと思い浮かべてちょっと恥ずかしくなる。近いうちにデートに誘おう。

 僕はそんなことを考えながら、眠りについた。勿論、頭の中から彼女のあの笑顔が消えることはなかった。


 彼女へメールを送ったのは昼休みだった。そのときは返事がなかった。僕は少し、がっかりしていた。調子に乗ってしまっただろうか?付き合い始めたばっかりでそんな風にデートに誘うべきではなかったのかもしれない。

 でも、聞き間違い出なければ彼女は僕の告白に対してOKを出してくれてたはずだった。それは僕だけでなく、他の奴らも知っている(なぜならそれをけしかけたのは彼らだからだ。彼らに感謝しなければ!)

 でもそんな不安はあっさりと解消された。なぜなら帰りしなに彼女は昨日のように下駄箱の前で僕を待っていたからだった。そして小さな声で「行く」と答えた。彼女の黒髪の間から見えた耳はやはり寒そうに赤くなっていた。そうまでして下駄箱のまえで待つからには何かがあるのかもしれない。ただ靴が押し込まれたその下駄箱に。

 僕が靴を履くのを待って彼女はそっと横に並んだ。あまりに自然だったから一瞬気がつかないくらいだった。昨日の手を繋いだのがとても恥ずかしく思えてきて、半ば隠すように手をポケットの中に突っ込んで歩いた。彼女は手提げ鞄を揺らしながら歩いた。

 お互いに共通するものって、一体何があるんだろう。それがあれば、きっとこの沈黙―――歩き始めて以来口を開くことが出来ない―――をどうにか解消することが出来るのだろうか?それよりも、彼女とそんなに長い会話が出来るのだろうか。昨日のことを思えば思うほど、それは難しく思えた。

 なんにせよ、分かれ道に差し掛かるまで、僕らはどちらも話さなかった。でもそれは時間がたつとそれなりい落ち着くものになった。

 まだ風が寒いけれど、そのなかで歩くにはいいかもしれない。分かれ道で僕が彼女に手を振った。

「じゃあ、また明日」

「うん―――土曜日楽しみにしてる。」

 彼女はそれだけ言うと、さっさと歩き出してしまった。

 僕はそんな彼女の後姿を見ながらもしかしたら彼女はあまり長く喋ると死んでしまう呪いでもかけられているんじゃないかと考えた。勿論そんなことはありえない。でも、彼女に限ってはあるかもしれない。

 そう、そんなことを平気で考えてしまうくらい彼女のことをぼくはまだ全然知らないのだ―――――好きなのに。


 金曜日の授業の中身を僕は殆ど覚えていない。それどころか、友達と食べた昼飯のことも、夕食も、覚えていない。

 覚えているのは金曜日の夜に、つまりは昨日の夜、僕は今日、このデートのために着る服をしっかりと用意したことくらいのものだった。土曜日の朝に、辺に落ち着いた気持ちで自分が一日を過ごせたのが不思議なくらいだったのだから。

 彼女とのデートには結局水族館に行くことにした。―――ちょう割引券があったからというありきたりの理由で。

 駅で彼女と待ち合わせたのだが、彼女の姿を見てびっくりした。女の子って、凄い。いつもと違う格好をするだけでイメージががらりと変るのだ。ロングスカートにブーツ、グリーンのトップスを覗かせて、それにスプリングコートをあわせている。

 僕はジー白くもなんともない。

 それは水の牢獄をうろつく看守のようにすら感じられるのだ。ンズにジャケット、後はいつものコンヴァースのシューズだった。うっすらと化粧もしているようだ。素肌の綺麗さを崩さないように、気を使っているのだろう。

「待った?」

「―――う、ううん」

 僕はしどろもどろになりながら答えた。朝はやけに冷静だったような気がするのだが…それは夢だったのだろうか?彼女の姿は軽い気持ちでデートの作戦を立てた僕にはちょっと刺激が強すぎるものだった。綺麗過ぎるのだ。

 でもいざ歩き始めるとこの三日で一番、気が楽になったような気がした。安心しているのもあるのかもしれない。彼女はここに来てくれたし、僕は勿論、彼女を楽しませようと思えている。


 水族館の中、彼女と歩き続けた。彼女はどの魚をみても(またはどの生物を見ても)ぜんぜん楽しそうにしなかった。なにそろ顔色一つ変えやしない。僕は出来るだけ話をふった。面白い形の魚を見ればそれを指差して笑ってみた。それからその魚について何か面白い話を知っていればそれを話した。たとえば…

「この魚しってる?実は光るんだよ」

「そう」

「ほらほら、これ、実は蟹じゃないんだよ!」

「ふぅん…」

そういった感じだった。そのうち僕もつかれてしまい、最終的にはどちらも喋らないまま歩き続けた。大きな水族館で、一面がブルーのガラス面に覆われていて、それは綺麗だけれども、何か歪んで見えた。なによりも、喋らない二人での水族館なんて面


「ごめん」

 僕がそういったのは、お昼のときだった。水族館の中にある小さな喫茶店でのことだ。結局僕は彼女を笑わすことはおろか、表情一つ変えさせることは出来なかったのだ。僕は一人で張り切って一人で玉砕しただけのことだった。

 彼女は僕の言葉でハニー・パイに落としていた視線を上げて、こちらを見ていた。僕はコーヒーのスプーンでぐるぐるとコーヒーを掻き混ぜて、俯いたまま続けた。

「君の意見も聞かないまま、水族館なんかに連れてきて、悪かったよ。もっと違うことろにするか―――デートをしなければよかったかな。」

「……」

「まず第一のスタートから間違ってたのかな?僕が君に好きだって言うのだっておかしかったのかも……

 つまらない思いをさせて、ゴメン」

 そこまで一息に言い切って息をつくと、僕はうなだれたままスプーンをソーサーの上に置いた。お昼時とはいえ、あまり人はいなかった。そういえば、イルカショーの時間だったも知れない。いや、それともアザラシだっただろうか?

 僕がそんなことを考えていると、彼女がフォークを置くのが、視界の端に移った。彼女はバッグに手をかけると立ち上がった―――帰り支度らしい。

 当たり前か、こんな格好悪い男と誰が一緒にいたいだろう?

「ねえ」

と上から声が降ってきた。顔をあげると、彼女の顔が本当にすぐ近くに近づいていて、そして触れ合った。甘い匂いがした。ハニーパイのかすかな匂いが残滓のように入り込んできた。彼女の柔らかな唇が僕の唇の上に重なっていた。

 僕が呆然としていると、彼女はもう一度椅子に腰掛けた。そして鞄を置きなおして言った。

「ううん、楽しいよ。ありがとう」

 僕はあまりにびっくりしていたから、もう何を聞いてもびっくりしないだろうと思った。僕のファーストキスは蜂蜜の匂いがしていた。そして彼女は短い言葉だったが、楽しい、と言ってくれたし、笑ったのだ。

 そして、見たこともないような素敵な笑顔だった。モナリザが二束三文に思えるような笑顔だ。いや、あの笑顔と他のものを比べるなんて、出来やしない。

 彼女はまたフォークを取るとせっせとハニーパイを切り分けてる作業に戻っていた。その綺麗で滑らかな黒髪の間から形のいい耳が覗いていた。それは真っ赤だった。

「耳、真っ赤だよ。」

「あっ。」

 彼女はフォークを取り落としそうになりながら耳を隠した。

「…恥ずかしいの?」

僕がそう聞くと、彼女は恨めしそうに上目遣いで僕を見た。まだ両手で耳を隠したままで、もう顔も少し赤くなっている。

「恥ずかしかったんだ。」

 いつもの彼女とのギャップが可笑しくって僕は思わず笑ってしまった。彼女は呻くようにして何かを呟いた。でもそれは僕の耳には届かなかった。少しすると、彼女もはばつが悪そうに頷いた。

 

 ファーストキスは蜂蜜の味だった。でもそれよりも嬉しいのは彼女が笑顔になってくれたことだ。

その顔を見ながら、コーヒーを啜った。

 さて、午後からはペンギンでも見に行こうか?

 僕が聞くと彼女は小さく頷いた。


Fin.

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