第8話 Please Don't Bury Me/埋めないでくれ
あるところに土の中が怖くて怖くて仕方のない男がいた。
遠い昔のことだが、土砂崩れに巻き込まれて男は三日間、暗く冷たく無慈悲な土の中に閉じ込められたことがあった。男は耐えがたい恐怖と襲いくる苦痛―――例えば空腹や暴力的な圧迫感のことだ―――にさいなまれた。
それ以来男は二度と土の中に閉じ込められないように気をつけてきた。家は街のど真ん中に建てた。バカンスでは山はおろか、山の近くへは絶対によらなかった。
しかし男の不安は埋まらない。それどころか自分が埋められている夢まで見る始末だった。日に日に不安は募る。自分は二度と埋められたくなどない。男の頭の中はその考えだけでいっぱいになった。
ある日、男は町で暴漢に襲われている女性を助ける―――――暴漢はこう吐き捨てた。「ゆるさねぇッ!!俺をこんな目にあわせやがって!!お前を、コンクリートに埋めて海に沈めるまでこの怒りはおさまらねぇ!!」
コンクリートに埋めて…
男は、その言葉に身体を心から揺さぶるような恐怖を感じた。
そしてやってしまった。コートの中に納めていた金属製の黒い物体、それについた鉄辺に指をかけ、引いた。
ズドン!!
音がして暴漢は動かなくなった。手に握った銃の先からは硝煙が上がっている。我に返って自分が助けた女性を見ると、青ざめた顔で男を見ているではないか。男は焦った。違うんだ。違う?何が?殺してしまったことが?
どうとも言い逃れは出来ない。牢獄にブチ込まれてしまうという確固とした形を持った恐怖と、人を殺したという同様が男を襲った。
後ずさりする女の口がぶるぶると震えている。男はその口が開き、叫び声があげられる様を想像してしまった。そうなったら終わりだ。せっかく土の中から助け出された命も、棒に振ることになってしまう。
それだけは、嫌だ。
男は冷静に、引き金を引いた。大きな音がしたが、叫び声とは違う。男はコートで銃を綺麗に拭くと女の死体の右手にそれを握らせて、そこを去った。
しかし、人を殺したということ自体は何も変らない。男はいつもびくびくしていた。誰かが自分に復讐しにくるのではないか?それともドアの向こうに警察が手錠を持って待ち構えているかもしれない。
男はその不信感を抱き続けた。そのような人間がまともな暮らしをしていけるだろうか?いいや、ありえない。ご想像にお任せするが、かなりエグイ感じに男の人生は落下していく。わかるだろうか。パラシュートで一時は助かった人生だった、でもそのパラシュートには穴が開いてしまったのだ。「埋める」なんてたった一言のせいで。
男が不安になればなるほど、厄介ごとが増えていく。おろおろとしていれば道端で絡まれ、それまでと同じように
ズドン!
今度は絡まれないように胸を張って歩く、できるだけ自分が強そうに見えるように。それでも腕試しにまた違う人物が絡んでくる。
ズドン!
今度は人と会わなくて済むように、夜行動するようになる。しかし夜することがない男はしばしばバーで酒を飲むことになるだろう。美しい女性と毎回そこで会う。段々と仲がよくなり、終いにはイイ仲になる。でも、あるときその女が自分を裏切る。
ズドン!ズドン!!
「やっちまった!」そんなセリフはもう出て来ない。なぜなら言い飽きたからだ。その全ての死体を男はどうしていたのだろう?答えは簡単、町外れの誰もいない森の中の一角に全て埋めていた。大きな森だった。男は「やっちまった」時には死体をそこへ運んでは埋めた。何回も何回も、何回も何回も。
ズドン!
男はいつも「やっちまって」から思う。どうしてこうなるんだろう?誰も答えてくれやしないことだ。だから男はいつも無言で死体を埋める。そこは死体がいくつもいくつも際限なく埋められている墓地のようなものだ。―――――彼らの墓碑銘はないが。
ある日男が、新しい死体を埋めに来た日のことだ。死体をその地面の下に仲間入りさせようと、地面においたそのとき、その地面は抜けた。地面が抜け男の足元に大きな穴が広がる―――男が逃れる隙もないまま男は穴の中に落ちた。
そして何故穴が開いたのかを知った。肢体が腐って、萎んだ分、土が目減りしたのだ。そしてそれは遂に抜けた。男は恐怖に陥る。
穴、土、そして側面からぱらぱらとこぼれる砂。腐った死体が凄い臭いを発していた。男はそれを見て、自分がそうであったかもしれない、あのくらい土の中を思い出す。
「イヤだ。埋まりたくない。イヤだ」
男は土に手を掛けて上ろうとした。ぼろぼろと土が崩れる。声を張り上げても、誰も何も返さない。誰もいない森には、誰もいないのだから。
『埋めないでくれ!』
そう男は叫んだ。誰に?それは誰にもわからない。なぜなら遂に側面は崩れ、男は暗い土の中に永久に埋まっていなければならなくなったのだから。
『埋めないでくれ』
それが男の最後の言葉だ。残念だがね。
Fin.
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