第7話 絡みついた糸の先
彼女のことを思うと、夜も寝られない。いつからだったろうか、いや、そんなことは考えるまでもなく、思うまでもないことで、僕の心を引っかかっているのは、奴の影なんだ。
彼女の細い指が、大きくくりっとした眼が、彼女の明るい声が、彼女の透き通るような声が、僕の心を掴んで離さないのだ。
もう、我慢できない。ミユキにノボルを紹介したのは僕だけれども、そんなこと、何の意味もないことなんだ。僕にとって必要なのは、ミユキなのだから。
僕は走っていた。夕焼けに赤く染まった学校の廊下の上を、今までいえなかったことを言わないといけないんだ。
「ミユキ!」
勢いよく扉を開けて叫んだ。いつも僕らの集まる空き教室の中に彼らはちゃんといた。ノボルもびっくりしてこちらを見ていた。彼はなんとなくばつが悪そうに見えた。でもそんなことにかまって入られなかったんだ。
僕はミユキと二人きりになろうとか考えてなかったのだ、そのまま、僕はまるでコップの縁から水があふれるように、言ってしまった。
「ミユキ…好きだ……」
「なっ……い、今さら何よ、わたしは……」
ミユキは顔を赤く染めていた。ミユキは真っ赤になって言った。
「わたしは…ノボルのことが……ノボルのことが好きなの!トシオはいつもわたしを置いてどっかいっちゃうくせに!!今さらそんなの酷いよ!」
ミユキが半ば叫んで訴える。哀しいけど言い返すなんてできない。いつも横にいた彼女のことを、僕はそれが普通だと、そう信じきっていた。だから、安易に放り出してしまった。でも…
「わかってる!ミユキ、僕はようやくわかったんだ……僕はミユキが好きだ…」
「やめて!ノボル、ねえ何とか言ってよ!わたしに答えて、返事を頂戴…」
ノボルは俯いて眼を伏せていた。そして小さな声で呟いた。
「…ごめん、俺、好きな人がいるんだ……」
ミユキが愕然とした顔で絶句した。それから、眼に涙を溜めて頭を振って嗚咽を漏らした
「ノボル、誰のことが好きなんだ?それって、一体誰なんだよ?」
僕は我慢しきれずに聞いた。彼は躊躇するように体を二、三度振るってから、押し出すように声を漏らした。
「サヤカさんだよ……」
サヤカさん、クラス一の才女、衆目を集めてやまず、外見ばかりでなくその性格のよさも彼女の人気を高めている要素のひとつだ。彼女に惚れていたとは―――
「知らなかったよ、そうだったのか…」
なんともいえない気持ちになった。だって僕は彼女の好きな人間を知っているし、それはノボルではないのだ。隣のクラスの男に惚れている彼女、あの優しい笑顔はノボルには向けられることはないのだ。
そして、ノボルは今きっぱりとミユキをふったことになる。嬉しくもなり、何故か切なくもあり。哀しい心と希望の心の間で僕は揺れ動いていたのだ。
からから…
突然のことだ、誰かがドアを開けて入ってきた。
皆が、扉のほうを見る、サヤカさんだった。
「ノボル君…」
「サ、サヤカさん、もしかして、今のを、聴いていたのかい?」
ミユキは放心したように、無言だった。けれども何か言いたそうにしながら胸の前で手を組んでいた。誰も動けない。
どうしたらいいんだ?僕はどうしたらミユキを幸せにできるだろう?それはわからなかった。ただサヤカさんはその場で言いづらそうにしていたけれども、凛とした様子で言ったのだ。
「ごめんなさい、貴方とは付き合えないわ。私、吉田君が好きなの。」
「えっ…いや、うん……そうか………」
ノボルは力なくうなだれた様子だった。ミユキがそんな…と驚いた顔をしていた。
サヤカさんは、ちょっと顔をあげて、
「彼はいい人よ、逞しくて、包容力があるわ。人望もある。そしてまじめに話を聞いてくれる人なの、私のことを色眼鏡で見たりは彼は絶対しない…」
うっとりとした様子で語った。よほど惚れている、いや心酔しているといってもいいくらいだろう。そういう男なのだ。吉田は。
その吉田が、開いた扉の向こうにいた。いつの間に、そこにいたのだろう。いや、多分サヤカさんが喋っている間のことだ。視線がサヤカさんに集まり、誰もが外の様子に注意を払わなくなった瞬間。
彼と僕の眼が合った。彼は辛そうに視線を避けた。その様子に気がついたミユキが視線の先を追って、そして気がついてしまった。吉田にがそこにいることに。
「吉田君!」
ミユキの声に、皆がいっせいに振り返った。吉田はいかにもしまった、という顔をしていた。口々に誰もが吉田君…と呟いていた。
「ごめん、サヤカさん。俺は好きな人がいるんだ…」
またか、どうしてこう人はすれ違ってしまうのだろう。僕とミユキから始まってノボル、サヤカさん、そして吉田。絡み付いて離れない糸の行き先はどうしてひとつもつながらないのだろう。
サヤカさんの足元に水がぽたりと落ちた。涙だった。嗚咽も、何もなかった。ただ涙だけがそこに落ちていた。
「でも、諦められないよ…!」
気がつけばミユキはもう泣いていなかった。目元を袖口で拭っていた。
「やっぱり、ノボルが好きなの…」
「ミユキ…」
こういうときに、どういう言葉をかければいいのだろうか。何をしてあげられるのだろう。
「吉田君…そんな…」
サヤカさんは認められないといった様子だった。でもそれ以上は何も言わなかった。失恋のショックからか昇は何も言わなかったし、いえなかっただろう。
吉田は顔を真っ赤にしていた。その眼はどこも向かずにそらしていた、しかし、顔を上げると下手したら舌を噛み切らんばかりに緊張した面持ちで言った。
「サヤカさん、ごめん…俺、トシオ君が好きなんだよ!」
沈黙、ただそれだけだった。誰もが何もいえなかった。もうサヤカさんは泣くのをやめたし、ミユキもノボルも、僕も、誰もが動けなかった。
糸の先は僕につながった。絡み付いていたの行く先は、僕のところだったのだ。
「ごめんなさい…」
僕はそれだけ言うと、あとはもう何も言わずにそこを立ち去った。
ホモはゴメンだった。
Fin
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