お嫁にきた子が殺したいほど可愛い

大西 憩

第1話

 昭和XX年。彼の名前は村主蘇芳すぐりすおう、華道の名家の生まれだ。

 これまでの人生、華の道を極めたお金持ちの両親、成績優秀、眉目秀麗、性格もよく友人も多い。名門の大学を出て、現在は幼いころから極めに極めた華の道で、右に出る者がいないほど、実績を重ねている。

 そんな完璧とも思える彼の難点は、『』である。と言う点だけだ。

 彼は動物や人を殺すのをどうにもやめられない。…というのも、彼の殺人は芸術行為であり、彼の秘めたる衝動性の部位なのだ。


 きっかけは小学5年生の秋。イチョウが舞いカエデが赤く色付いた山で、蘇芳は一匹の野ウサギを殺した。

 実家裏にそびえる村主家の所有する大きな山、蘇芳は朝から山に入り、植物を採集していた。

 はじめはひょっこりと現れた野ウサギに目を奪われ、無邪気に野ウサギを追い、遊んでいただけだった。必死に逃げ惑う野ウサギの後ろ姿を見ているうちに、蘇芳は言い表しようのない焦燥感のようなものを感じた。

「このまま追いかけてもいいのだろうか。」

 蘇芳は腕を伸ばせば届く距離で、必死に蘇芳から逃れようと走り回るうさぎを見て思った。

「この長く伸びた耳は、私に捕まれるために、伸びたのだろうか。」

 蘇芳はそんなことを考えながら、野ウサギの耳を背後からがっしりと掴んだ。

「いや、そんなわけがない。野ウサギの耳は、天敵の音を逃すまいと、大きく発達したのだ。」

 蘇芳はじっとりと野ウサギを観察した。野ウサギは必死に体をよじり、逃げようともがいていた。

「なんと愚かな。どんなに耳を、脚力を発達させても。うさぎを主食ともしていない私に、つかまるのか。」

 蘇芳は足先から頭先にかけて電流が巡るようだった。

 そこからは記憶がぼんやりして、記憶が薄い。蘇芳は捕まえたうさぎを手に、山中腹にある山小屋に向かった。

 そこには祖父が揃えたものの、あまり使われていない手斧やナイフがしまわれていることを蘇芳は知っていた。そしてそこからナイフを数本持ち出し、雑木林の中に入り込んだ。

 野ウサギは「ギュウ!ギュウ!」と悲痛な叫びをあげた。蘇芳はうさぎにも声があるのかと不思議な気持ちであった。もがく野ウサギの耳にナイフをさくり、と刺し地面に固定し蘇芳は野ウサギが逃げられないようにした。

 初めて生き物を殺したというのに、蘇芳は手慣れた手付きでサクサクと野ウサギを開き、まるで華の器のようにしてしまった。

 蘇芳は自分が興奮しきっていることに気が付いた。それは、新しい芸術が生まれた瞬間だった。そして、蘇芳は鮮度が落ちてしまう、と、慌ててあちこちから植物をかき集めて、そこに生けた。

 死亡した動物からまるで生きて芽吹いたように植物が姿を現した。蘇芳はそれを見てこれまで覚えたことのない感動だった。

「なんという美しいものを作ってしまったのか。」

 蘇芳は死んで幾分か経った野ウサギを山小屋にあったブルーシートに包み、優しく抱きかかえ、山の中をさまよった。人に見せてはもったいないほど美しいとも思ったし、これは見せてはまずいとも蘇芳は思った。

 蘇芳は自分の家の持つ広大な山の中で、人の足跡のないごつごつとした石ばかりの地を見つけた。

 そこは空気が薄く、少し霧がかっていた。

 ここならいいだろう、と蘇芳は抱えてきた野ウサギを岩場に飾った。

 野ウサギの腹から生き生きと破り出て来たかのように野ばらの実が左右にまっすぐと伸び、マンサクが傍に寄り添う。そして中心には腹から湧いたかのように丸い菊が塊を作っている。

 まだ""であるので、野ウサギからは血が滴っていた。蘇芳は大きな岩を探すと自分の目線ほどに野ウサギ置き、じっくりと眺めた。

「先ほどまで生きようともがいていたのに、もう動かない。物のようだ。」

 ブルーシートにうさぎと共に持ってきたナイフを蘇芳は取り出し、朝日に当てた。金属らしい鈍い光に自分の顔が照らされるのが分かった。

 それからというもの、蘇芳は何匹もの動物と、何人もの人間を殺めた。家族にもばれず、友人にもばれず。あんまりにもひっそりと。実家の裏山の中で、こっそりと自分の芸術を作るために、殺人行為を繰り返していた。

 老若男女問わず、蘇芳は幾人もの人間を芸術作品へと昇華した。蘇芳は近所から嫌われ孤立した老人、非行に走った少年少女、誰からも忘れられ捨てられた赤子。様々な人を拾い、美しくしてきた。死を求め、村主の山に入ってきたものや、死にたいと喚き、蘇芳に縋ってきた者が多かった。

 蘇芳のいつもの流れでは、相手の意志を確認し、眠らせ、そのまま器にしてしまう、というものだった。赤子には意志は効けぬので捨てられその場で餓死してしまうものを連れてきた。

 そして蘇芳は、幼い頃からずっと、生きていた器に植物を生ける行為をやめられずにいた。


 そんな蘇芳が齢24の頃、結婚することになった。

 家を継ぐと同時に結婚するのだ。お相手は北国のお嬢さんで、すみれといった。顔も見たことのない少女を蘇芳はお嫁にもらうことになった。二人はお互いに顔を合わすことなく親たちの了解だけで結婚をすることになった。その数週間後には菫の荷物が北国よりやってきた。

 蘇芳は結婚など面倒だと思ったが、村主の家には自分以外子どもがおらず、このままずっと独り身でいるわけにもいかない。とりあえず自分の罪深き芸術行為さえ、死ぬまで隠し通せたら何でもない。と、蘇芳は思った。

 菫の荷物が届いてから3日後、丁度朝餉が終わった頃に玄関が騒がしくなった。何事かと蘇芳が玄関に顔を出すと、そこには4人の男女がやってきたようだった。

「蘇芳、今呼びに行こうと思っていたのよ。」

 蘇芳の母はそういって振り向いた。蘇芳は「ああ、これがお嫁に来た菫さんか。」と思い、一目見ようと廊下にごった返した使用人を掻き分け玄関口にやってきた。

「どうも、ご挨拶が遅くなりまして。」

 そういって、相手方の両親らしき二人は深々と頭を下げた。

 蘇芳も「こちらこそ、お会いできてうれしく思います。」と、頭を下げた。この度の結婚は完全なる""であり、向こう型の家は大きな不動産を運営している家柄で、昔ながらで由緒があり、親戚には政治家などでごった返している村主の家とのつながりが欲しいのだと蘇芳は聞いている。

 蘇芳の両親は菫たちを客間に寄せ、廊下へ蘇芳を呼び出した。蘇芳の母親は興奮した様子でにこにことご機嫌だ。

「今日来るなんて聞いてませんでしたが。」

 蘇芳が苦言を申すも、そんな声は母に聞こえていないらしく、母はるんるんと鼻歌を歌っている。

「なかなかかわいらしい子ねえ。よかったわね、蘇芳。」

「…おられましたか?御父上に気を取られて、気が付きませんでした。」

「あーあ。アナタは昔から女性にはてんで興味が無いのね。呆れた。」

 はーやれやれと母は蘇芳の傍を去り、使用人に「ケーキの用意を。」と軽く指示をし客間へと戻っていった。

 蘇芳は玄関口にいた人間一人一人の顔を思い出したが、両親らしき中年の男女は覚えている。そして、手前に確か少女がいたはずだ、そしてその隣には青年が。

「あの少女が菫さんか。」

 蘇芳がポンと手を叩くと、傍にいた使用人が笑った。

「坊ちゃまは女性に疎くいらっしゃいますからね。」

「そうかなあ、人並みには興味ある方だよ。」

「そう思っておられるのは坊ちゃまだけですわ。」

 使用人の一人はカラカラと笑い、ケーキや紅茶をキッチンカートに乗せ去っていった。廊下ですれ違う使用人皆浮かれていて、「おめでとうございます!」「さすが北国のお嬢様、雪のように白くございました。」「お美しい方でしたね!」だのと声をかけられる。蘇芳はどの声にもにこやかに返事をした。

 にこにこと笑顔を絶やさない蘇芳であったが本当は大きなため息でもつきたい気持ちだった。蘇芳はこれからのっ結婚生活を思うとひどく億劫だった。

 自分が行動パターンを理解していない人間が我が家にやってくる。それも妻と言う近しい間柄として。同じ家に暮らす以上関わらないわけにもいかず、長時間母屋を離れる際には何かしら言い訳すら考えねばならない。これまでは一人息子であるというのもあり好き勝手動いていたが、蘇芳は他人に嘘を言うのには抵抗があったので今からかなり気分が重かった。

 服を整えて蘇芳は客間へやってきた。そこには互いの両親に、菫、そして一歩引いた位置に一人の青年が座っていた。

「大変お待たせいたしました。申し訳ございません。」

「いえいえ、こちらこそ朝早くに。」

 蘇芳は頭を掻きながら申し訳なさげに自分の席に着いた。菫の父は席を立ち、軽く頭を下げすぐに座った。

 洋風に仕立てた客間で、淡いブルーの壁が机に反射している。全開に開かれた鉄製の冊子枠でできた窓から涼しい風が入ってくる。蘇芳は、部屋の青を見て幼いころ目に焼き付いた血濡れのブルーシートを思い出していた。

「ケーキを用意させたんですの。お腹に入りますかしら。」

 蘇芳の母は上品に笑い、使用人に紅茶の用意を諭した。

「もう少し後にしますか。まだ、昼にもなってない時間だ。」

 蘇芳の父がそういうと、菫の両親は「いえ、私共はすぐにお暇しますので、お構いなく。」と言った。使用人たちはまるで家具のように音もなく人数分の紅茶を注いだ。

 すると、蘇芳の母は「それはいけないわ。でしたらお話しの後に、少しケーキをいただきましょう。」と答えた。両親同士の押し問答を横目に蘇芳は目の前で縮こまるように座る少女を見た。

 透けるように白い肌に、灰がかった黒髪。長いまつ毛に淡い薔薇色の唇。誰がどうみても美麗な少女であった。蘇芳は菫の頬にうっすら見える血管を見つめ、とても綺麗だと思い、少し見とれてしまった。

「…菫さんはケーキはお好きですか。」

 蘇芳がそう話しかけると、菫は伏し目がちだった瞳を蘇芳に向け、困惑したように微笑んだ。

「あ…そう、ですね。好き、です。」

「私はチーズのケーキが好きなんですけど、菫さんはどういったケーキがお好きですか。」

 気さくな蘇芳に菫は圧され、困ったように微笑んでいた。蘇芳もそれには気が付いていたが両親たちを安心させるのに会話をしようと努めた。

 蘇芳が話を続けようと菫に笑いかけると、菫の後ろに座っていた青年が菫の傍に立ち寄り、机をドンっと叩いた。

「…。」

 無言で蘇芳を睨み、圧をかけてくる。蘇芳はこの青年の説明をまだ受けていなかったため、多少困惑した。出で立ちを見るに菫の家族、というよりは菫の家に雇われている。と、言った感じだろうか。

「…あなたは。」

 蘇芳が小首を傾げ問うと、菫の父が間に割って入ってきた。

「申し訳ございません、村主さん。このものは菫が小さい頃から、と言う形で世話をしていたうちの使用人でして…。」

 菫の父は額に汗をかきながら慌てて弁明し、「おい、失礼だろう。下がらないか。」と、青年に指示をした。しかし、青年はしばらくその場から離れず、じっと蘇芳を睨みつけており、菫の父が慌て謝罪を繰り返した。

「牡丹、下がって。」

 そういって、菫が青年の腹を押した。すると青年は静かに下がり、先ほどまで座っていた椅子に腰かけた。

 牡丹と呼ばれた青年が座るのを見届けた菫は、改めて蘇芳に「大変な、失礼を、申し訳ございません…。」と、頭を下げた。

「…菫さんのことを大切に思われているんですね。謝らないでください。私があれこれと話しかけ、菫さんを困らしてしまったので…。」

 蘇芳は牡丹からの鋭い視線を感じながらも場をなんとかしけらせないように笑顔のまま話した。菫もバツが悪そうに数回頭を下げた。

「申し訳ございません…蘇芳さん。こいつも、今日が菫と居れる最後の日、なので、同行することを許しておりまして…。」

「構いませんよ。私は何も気にしておりませんので。」

 菫の父が改めて謝罪を重ねるも、蘇芳は本当に何も気にしていなかった。

「それよりも、今日が、最後の日?なのですか?」

 きょとんとした表情で蘇芳が尋ねると、慌てた様子で蘇芳の母が「菫さんはお嫁に来られるのよ…!向こう様の使用人さんとは離れるに決まっているじゃない…。」と、言った。蘇芳がなかなかにデリカシーのないことを言うので慌てている様子だ。

 その声が聞こえたのか、牡丹は視線を下げ、落ち込むように項垂れた。

「…どうして。構わないじゃないか。牡丹さんにも来ていただけば。」

 蘇芳が当たり前のように言うので、蘇芳の父と母は一瞬呆け、「いや、そんなことは…。」ともごついた。

「うちで雇うのが難しいのですか?」

「いや、そういうわけではないが。」

「知り合いもいない土地で、知らない人間で溢れかえるうちの屋敷に、不安を抱えた菫さん一人で来られるよりよっぽどいい。」

 歯切れの悪い父の目をまっすぐみつめ、蘇芳は話した。そして、「ああ、そうだ。菫さんがお嫁に入られる今日、この家の頭取は私になるんでしたね。決定権は私にあったんでした。」と、蘇芳は言った。

 今日は菫の嫁入りの日でもあるが、蘇芳の両親の隠居の日でもあるのだ。蘇芳の両親は少し離れた邸宅で暮らすことがもう決まっており、明日にもこの屋敷を出ていくことになっている。

「菫さんは今日から私の奥さんになる。菫さんがお決めなさい。」

 蘇芳は優しく菫に微笑みかけた。菫は困惑した様子だ。

 慌てているのか、少し菫の頬は赤くなり、より頬に透けた血管が鮮明に見えた。

「菫さんはどうしたい?」

 蘇芳の問いに、菫は一瞬口をぱくぱくと動かした。蘇芳は息絶える直前の生き物みたいだ、とそれを微笑ましく見つめた。

「わ、私は、」

 菫がもごついていると、「僕はお嬢さんと一緒にいたい。」と、部屋に声が響いた。菫の両親は口をあんぐり開け、菫も涙目で固まってしまった。菫の父は勘違いを生むのではないかと慌てたようで「この二人はずっと兄弟のように育ってきたもので…!」と牡丹と蘇芳の間に入ったが、牡丹も蘇芳も何ら気にしていなかった。

「僕のこと、雇ってくださるんですか。」

 少し関西なまりで牡丹は話した。牡丹はまた立ち上がると、蘇芳のことを見た。

「ああ、特に、私も家を継いだらしばらく忙しい。菫さんとの時間も取れないし。うちは女性の使用人が多いから、男性の使用人がちょうどほしいと思っていたんだ。」

 蘇芳はそういって牡丹に笑いかけた。牡丹はしばらくじっとその場に立っていたが、蘇芳が笑いかけると仏頂面のまましっかりと頭を下げた。

「な、なんだい。雇ったということかい。」

 蘇芳の父は蘇芳に駆け寄って聞いた。

「はい。心の繋がりを感じますね。」

 蘇芳はにこにこと微笑みを絶やさず答え、呆けている菫の父に向きなおし、にこやかに聞いた。

「ああ、菫さんのお義父さま、牡丹さんをこちらで引き取ってもよろしかったか…。後手の確認で申し訳ない…。」

「わ、私は、菫と牡丹、そして蘇芳さんがよいのなら…。」

 と、困惑したまま菫の父は答えた。菫の母は「あなた…!蘇芳さんは気を遣ってこんなこと行ってくださってるのよ…!」と、菫の父の背をたたいた。

「いえ、お義母さま。私は今一番に菫さんのことを考えています。私の許可など必要はないのですよ。」

 そういった蘇芳は頭の中で、菫の世話を牡丹がしてくれればなんと楽なことだろうと思っていた。

 菫は幼子ではないのだから自分が世話をするわけではないのだが、「あい、よろしく頼む。」と、一言だけで菫を母屋に置いて行っても牡丹さえいれば菫がさみしい思いをすることも、好奇心で蘇芳についてくるようなこともないのではないかと思ったのだ。

 蘇芳のそんな思惑はその場に居た誰もが分かっていなかったため、互いの両親は困惑が隠せなかった。お互いに「私はよいのですが…。」とか、「そちらがよろしいのなら…。」などと言い合っている。

「さあ、菫さん。いま皆さんの意見が出そろいました。あとは菫さんのお心をお聞かせください。」

 蘇芳は優しく菫に話しかけた。菫は涙目のまま、蘇芳を見つめる。少し考えるようなそぶりを見せ、菫は「旦那さまがよいと、言ってくださるのなら。私も馴染みの使用人を、連れてまいりたいです…。」と、か細い声で答えた。

 心の中で蘇芳はガッツポーズをした。しかし、顔に出してはいけないとにやけそうな頬を抑え、「そうですか。話は決まりですね。」と、言った。

 その後は両家族で軽い談笑をし、村主の屋敷を案内した。そして、昼に差し掛かった頃、菫の両親は帰宅した。

 蘇芳の両親と蘇芳、そして菫と牡丹は居間にやってきた。

「気さくで穏やかな方たちだったわね。」

 蘇芳の母はそういって、菫に微笑みかけた。菫もにこりと微笑みを返した。

「菫さんのお部屋も用意しているのよ。ああ、牡丹くんは、これから用意するから、しばらく居間でお待ちなさいね。」

 そういって蘇芳の母は居間から退散し、父も「蘇芳、父さんと母さんは今夜まで屋敷にいるが、明日からは離れに移動するから、何か困ったことがあれば尋ねなさい。」と言った。

 父も母も自室に戻り、屋敷では使用人たちだけが世話しなく歩き回り、菫の部屋の支度や、牡丹を迎え入れる支度をしているようだった。

 蘇芳も廊下に出て、使用人のなかで責任者を務めているものを呼び止めた。

「ああ、原田。悪かったね、突然で。仕事を増やしてしまった。」

「いいえ、よろしいのですよ。私たちも男手が欲しかったですし。奥様…菫様のことを一番に考えられた蘇芳様は素晴らしいですわ。」

 蘇芳はその言葉が心臓に刺さるようだった。自分のことを一番に考えて行動をしてしまったな…。と蘇芳は心の中で反省しつつも、今後の生活に憂いを感じていた。

 使用人の原田は、蘇芳が生まれる前からこの屋敷に勤めている年配の使用人で、両親が明日から隠居となるもこの屋敷に留まることを決めてくれていた。

「菫様のお部屋が用意できたようですので、蘇芳様ご案内をお願いしてよろしいですか?」

「ああ、まかせてくれ。」

 蘇芳は居間に戻ると、借りてきた猫のように縮こまっている菫に歩み寄った。菫は蘇芳の姿を認知すると、より緊張し、肩をこわばらせた。

「菫さん、部屋の用意ができたようだから、案内するよ。」



 部屋に入ると菫はきょろきょろとあちこちを見渡した。

「どうしました、足りないものでも。」

 蘇芳が尋ねると、菫はコチラを向いて顔を赤面させた。

「あ、いえ。とても素敵なお部屋でしたので…。」

 菫に用意した部屋は和洋折衷な洋室で、外国被れなハイカラ曾祖母が明治時代に著名なデザイナーにデザインしてもらった部屋らしい。

「なかなかおしゃれな部屋ですよね。曾祖母の部屋だったんですよ。」

「そ、そんな。思い出のあるお部屋をいただいて、よろしいのでしょうか。」

「構いませんよ。ずっとここは作品置き場になっていたので…。」

「お花、でございますか?」

「ええ。家族全員がその道なもので、作品があふれてしまうんですよ。」

 興味深そうに菫は頷き、「だから、お花の香りがするのですね。」と微笑んだ。蘇芳は全く部屋に花の香りを感じていなかったので、「花の香、ですか。」と答えた。

「村主様の土地に入った時、花の香りでいっぱいでとてもびっくりしました。」

「左様ですか。」

「私、小さい頃から鼻は効きますので。」

 菫はそういってにっこりと微笑んだ。蘇芳は少し困惑した。鼻が利くというのはどんなものなのだろう、と思い、自分の袂のにおいを嗅いだ。血のにおいが残っていなかっただろうか…。と不安になったのだ。

「蘇芳様?」

「あ、ああ、臭くないか、心配になってしまいまして…。菫さんよりも、6つも年が上でしょう。」

「…ふふ。臭くなんてありませんわ。蘇芳様も、お義父さまもお義母さまも、お花の良い香りが致します。」

 そういって菫はにこにこと微笑んだ。蘇芳は菫のことをとても可憐で愛らしい少女だと改めて思った。

「…ですが、」

 菫はそういって遠くを見た。蘇芳が「ん?」と尋ねても、菫はそれっきり何も言わなくなってしまった。

 洋服などをしまう、ということで蘇芳は菫に部屋から追い出されてしまった。蘇芳は菫のことを思い返していた。全体的に色素の薄い、儚げな少女だ。

「あのようにかわいらしいなら、うち以外にも引く手あまただったろうな。」

 これまで蘇芳は女性に対してそんなことを考えたことはなかった。

 大学にいたときだって、あらゆる女性に言い寄られたが何も感じたことが無い、というと語弊があるかもしれないが、女性として見れたことは一度もなかった。

 なんなら菫ほどにかわいらしい女性にだって声をかけられたことはあったし、手を触れられたことだってある。

「…。」

 蘇芳は縁側に座り込み、先ほど部屋で少し話した菫との会話を頭の中で反芻した。

「もっと気の利いたことを言えばよかったか。」

 庭を眺めながらぶつぶつと蘇芳は独り言をいった。臭いの話をされて下手に慌ててしまった。何かを感づいているようにも見えたし、もっとうまくあしらえばよかった。

「あら、坊ちゃま…!」

 声のした方を振り向くと若い女性使用人二人が口元を手で覆って目をキラキラとさせている。

「坊ちゃま…それは恋…ですわ。」

 先ほどの独り言が聞こえたのか、使用人は目を輝かせそういった。

「鯉?」

「恋!ラブ!ですわよ!」

 きゃいきゃいと使用人たちが蘇芳の傍で黄色い声を上げて話す。

「やっとこの家にも春がやってくるんですねー!」

「坊ちゃまが結婚。全く興味をお持ちでないので一時はどうなることかと思いましたが、うまくいきそうで使用人冥利に尽きます!」

 などと言いたい放題だ。

「そうかそうか、それはよかった。」

「もう、坊ちゃまってば。」

「菫様も知らぬ土地で、牡丹様が居られるにしても知らぬ場所で、心細いことでしょうね。」

 使用人二人は蘇芳を囲むようにして座り、菫を心配しているようだった。

「そういうものか。」

「そりゃそうですわ。」

「いじめられないかしら…とか不安でしょうね。」

 使用人二人の熱弁を蘇芳はおとなしく頷いて聞いた。女性心とは難しいものだな。と、蘇芳は思いつつも、「では、私たちで菫さんが心地よくおれる居場所をつくろうな。」と使用人たちを鼓舞した。

 使用人たちもおとなしくかわいらしい菫をもう気に入っているようで、すでに皆が世話を焼きに行っているようだった。

「あまり構いすぎるなよ。嫌われては元も子もないから。」

 と、蘇芳が言うと使用人たちは「んま!坊ちゃまったら!」「菫様に嫌われたくないなんて…!恋ですわね!」と騒ぎ立てた。

 蘇芳は誰だって伴侶には嫌われたくないだろう…。と思いつつも自室へと戻った。


 自分の部屋に戻った蘇芳は、黙々と読書をしていた。

 時刻は夕方に差し掛かり、部屋には赤い夕陽が差し込んでいた。いつもなら次はどの年代のどんな人物に花を生けようか考えているころだが、なぜか今日はそんな気分にならなかった。

「…菫さんはもう部屋の片付けは終わったろうか。」

 蘇芳は自分の部屋の窓の傍に立ち、「もっと世話を焼いた方がいいのだろうか。」と考えてみたり「今日会ったばかりの男に距離を詰められたら気持ちが悪いだろう。」など自分に突っ込みを入れたりした。

 頭の中で白くて小さく、小動物のような菫が思い出された。

 客間では小さく震えていて、まるで小さなハムスターのようだった。

 そう思い、頭の中に数匹のハムスターを思い起こした。

「…次は、人じゃなくて、ハムスタ―に生けてみるか。」

 蘇芳は一回から香ってきた夕餉の香りを嗅ぎながら、そんなことを考えた。

「もしかして、俺は、今菫さんを…。」

 蘇芳はここ数年ずっと人間以外に手を出したことが無かった。なのにどうして今、小さな動物を器にしたくなったのか。自分の考えを追求すると、きっと、きっとそれは、。と、気が付いた。

 そんなことは許されない。両親の決めた結婚相手で、いなくなればすぐに怪しまれる。これまで、なにか対象を殺したいなんて感情を抱いたことは一度もなかった蘇芳は初めて自分の衝動を恐ろしい、と思った。

「…まあ、殺せないのだから。大丈夫だろう。」

 自分の衝動に気が付いてしまった蘇芳はなんだかもぞもぞと体の内側がかゆいような気がして、落ち着かなかった。

 菫の顔を思い出すたびになんだかもやもやするし、むずむずする。

 蘇芳は頭に「?」を浮かべながら、とりあえず夕食を食べに部屋から飛び出た。

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