Jitoh-∞:合縁奇縁一期一会タイ!(あるいは、燦然世界は/モンドウィロードウェルトワールド)


――時の流れというのは、よく言われるが、早いものだ。


 休日の朝の、何気ない時間。ふとしたきっかけで思い出した、若き日のあの夏の思い出が、肺の中で冷たく清涼な「滴」のようなものになって、胸の内に伝うようにして甦った。


 「デフィニティ=ボッチャ」。


 まったく、今にして思えば奇妙な体験だったと思うほかは無い。だが、


 JJ、エビノ氏、鉄腕、国富……あの時の面子の、その呼び名を思い浮べるだけで、長い年月でなんだか凝り固まってしまった、私の心が解きほぐれるかのような爽快さを感じてしまうのは何故だろう。


――ゴカセさんは、私が連れて行きます。

――ヌハハ、わっしも行きますゆえ、大丈夫でごわすよ、リーダーどん。


 鉄腕氏の葬儀からひと月ほど経ってから、私のベルギー行きとほぼ時を同じくして、あの二人もスイスのヴィンタートゥールへと旅立っていった。いや、「三人」か。天使用に調整された鉄腕氏の車椅子も一緒だった。そしてその左肘掛けに仕掛けられた装置には、遺骨の一部が入ったチタンの容器が格納されていたはず。だから、三人だ。そして、


 エビノ氏の治療は、初期はうまく進んでいたと聞いた。が、一年後くらいに唐突にかかってきたJJ氏の電話――


――リーダーどん……良きニュースを、と、届けないといかんと思ってですな!! 番号を国富氏に聞いてかけましたがのッ!! そ、そう、つ、ついに、ついにわっしのプロポーズを、エビノ氏が受けてくれたのですぞぉぉぉぉぉぉ……


 言葉とは裏腹に、必死で何かを堪えている震え声に、私は何事かを悟ってしまったわけであり。


――イヒッ、ヒグッ……し、死ぬまで、そ、そばに、い、いてくださいだなんて、エヒッ、こ、こいつは男冥利に尽きますぞなぁぁああ、ハッハッハッハァ……う、うらやましいですかな? は、ハハ、そ、それだけですたい、そ、そんな自慢をしたかったと、そ、そんなわけなのですぞぉ……


 敢えて何も問うことはもう、私には出来なかったわけで。


 その後の日々は、まあ平凡と言えば平凡に過ぎて行った。ブリュッセルに単身渡っていた私は、義肢装具士を目指し、専門学校を修了した後もそのままベルギーに留まり、国家試験を受け、免許を取った。


 いくつかの仕事をこなすうちに、それにのめり込んでいき、その繁忙と充実を抱えながら、日々を何とかやりこなしてきた、と言うのがその後の私の二十年だ。義肢を納めに行った市内の病院でたまたま出会い付き合うようになり所帯を持つことになった児童福祉司の妻との間には、かわいい娘をひとり授かっている。平凡だが、幸せな毎日だ。


「パパ? どうしちゃったの、早く準備ー、もういつもぼんやりなんだから」


 咎めるような、幼さの残る声がかかる。いかんいかん。今日は家族で近場のテーマパーク「ミニヨーロッパ」に行く約束だった。いま行くよサラ……と振り返り笑顔で応えた時にはもう振り向いた華奢な背中しか見えなかったが。


 子育てを顧みず、休日も仕事に明け暮れていた結果がこれだと思うと、少しやるせなくなる。少し仕事に余裕の出て来た今から、その何かを取り戻したいと切に思ってはいるのだが。


「あなたそろそろ……」


 おっと、妻も心配して書斎を覗きに来た。今日のいでたちは鮮やかなオレンジのサマーセーターに淡い色のタイトなデニム。今日も若々しく華やいでいる……そう、私は幸せなのだろう。リビングに降り、手ずからのランチが収められているのだろうバスケットを手に持つと、ふいに、キャビネットのガラス戸の奥に鎮座していた黄緑色の球体に目が吸い寄せられた。先ほど思い返していたことに引っ張られたかたちなのかも知れない。思わず懐かしさも相まって口ずさむ。


「デフィニティ=ボッチャ、か……」


 口にしてみると尚更に甘く苦い。ボッチャは今や世界規模でメジャーとなった万人が興ずるスポーツとなっていたが、その熱狂とは裏腹に、私はあの時からずっと遠ざかっていた……無意識に。やはり割り切れない、振り切れない何かがあったのだろう、と今にしてみればそう穏やかに思うが。が、


 刹那、だった……


<『デフィニティ=ボッチャ』のキーワードを受領、最新の情報を提示します>


 柔らかな合成音声が、穏やかにそう告げてきた。うむ……どうもこの音声認識というのは落ち着かないので苦手なのだが……戸惑う私を尻目に、プログラムされた通りに壁前の空間に映像が瞬時に映し出される。ええと消すには「消してくれ」とでも言えばよかったかな……が、


 さらにの刹那、だった……


<ドワハハハハハハッ!! いよいよ始まるゥッフウウウウウウゥゥッ!! ボッチャ人のッ!! ボッチャ人によるッ!! ボッチャ人のための祭典ッ!! 『第十三回・デフィニティ=ボッチャ・チキチキ秋のシーバ杯争奪祭典スペシャル』がッ、このパリスにてぇッフウウウウウウッ!! か・い・さ・い・ダァァァァアアアアッ!!>


 とんでもない声量の野太いイキれた声が、我が静謐なるリビングダイニング空間に無理やりねじり入って来たわけで。ここ数年していなかっただろう心からの真顔にて、その無駄に大きく展開している「画面」に目をやるものの。


<無論ッ!! 御存知の通り、どなたでも参加可能ッ!! むずがるゼロ歳児から寝たきり百歳までッ!! 三人集って是非是非ここトロカデロ広場横の特設スタジアムへッ!! どんな球でも、どんな投げ方でも、無問題ッ!! 集っておくんなましッ!! そして何と勝ち上がったチームの方々にはッ!! こちらにおわす、世界ボッチャランキング第三位のッ!! ジャクリーン・ジトー擁する我が『チーム・真THEトー』とエキシビジョンマッチが行えるという栄光が……ッ!!>


 中央でまくし立てる角刈りには、見覚えがあった。ミラーサングラスのフレームも金色、逆さにした台形のような巨体を押し込んでいる今日び漫才師でも着るのを躊躇いそうな黄金煌く鱗のようなものにびっしりと覆われたジャンプスーツも隈なく金色ェ……


 その横にはパステルピンクを基調としたイカれた色彩のワンピースに樽のような身体を詰め込んだ、パステルピンクを基調とした派手な毛糸調の色合いでありながら質感は試験管を洗うブラシのようなツインテールと称するには二股の〇〇と言った方があやかし瘴気感が強めでしっくりくる感じの髪型の、憎らしさを煮詰め凝縮してそれとコモドオオトカゲの死骸か何かで闇鍋錬金をカマしたかのような、そんな数多の異世界クリーチャーよりも驚羅四天王感の強い巨顔を、何かの歯ごたえのある臓物でも咀嚼しているのかクチャラクチャラと不快な音を響かせつつそのサシ走った脂肪のノリが非常に良いたるんだ頬を常に波立たせているという、不機嫌に気怠い様子の、少女なのか老婆なのか一見では掴ませては来ない謎の生命体がおったわけだが。クチャ音と共にダディクールとか言ってんの聞いてらんない。


 どう見ても角刈りの遺伝子を半分、あるいはそれ以上引き継いでいる何かだった。驚くには驚いたが、それは想定内の不快さ、という嚥下可能な驚きであったわけで、極めて真顔で今の一分くらいを無かったことにしようとして画面を消すため声を発しようとしたのだが。


 さらにさらにの刹那、だった……


 これ以上直視に耐えない初期実験段階のクローンのような親娘から目線を滑らせた私は、その横に控えめに佇んでいたひとりの女性の姿を捉えたのだが、初めはそれが誰であるかの認識が大脳に響いてこなかった。意識の「二度見」みたいなのを試みて、ようやく認識がなる。なったはなったのだが……


<……>


 前衛二人の陰に埋没するかのように困ったような微笑を浮かべながら「立って」いたのは、年齢を経てもその美しさに翳るところなど点ひとつも無いような、いやさ却って年月が醸し出した艶のようなものを全身に纏わせた、あの、天使の御姿であったのであった……ッ!!


 あ、あら~ん?


 あれ? あれれれ野郎、電話口で泣きながら言うてたよね……え、あれってもしかして本当のプロポーズ承諾ってことだったの? ううん? うーん、喜怒哀楽がやっぱズレとんねんなぁ……あれ言葉通りに受け止めて良かったんだねへぇ……ま、ま、そう捉えることも出来ることも無きにしもあらざらむなりしか……


「……ニポンゴ、ムツカシイネェェェェェェェェェエエエエエエエッ!!」


 脳内でぐわぐわ纏まりの無い思考が、ある一点で収束し激しく弾けたその瞬間、俺は自らの体を伸び切らかせながら、遥か天上向けて喉奥からの絶叫をカマしていたわけで。


 ママ、パパが壊れたッ!! とサラがそんな俺の状態を遠巻きにしながら怯えた声で母親を呼んでいるらしき声が聴こえる……


 だ、だいじょうぶパパ? と駆けつけてきただろう妻が、いたわるように背中に手を当ててくれるが。


「……何デ黙ッテタノ?」


 感情が抜け落ちてしまった顔面を振り向けながら、抑揚ゼロの質問を発した俺に慄き、ヒィィと押し殺した悲鳴を上げつつ三歩ほど後ずさる。しかしその顔には何かを悟った感がありありと浮かんでいたのを見逃す俺では無かったわけで。


「え? えと……何が?」

「コレッ!! コォレェッ!!」


 力いっぱい指さした画面に映る三人の姿を認めた瞬間、妻の顔からも表情が抜け落ちる。


「あ、何てか違うんよ……角刈りくんがちゃんと伝えてたって言うてたし……うちもこの子がお腹の中におった時期やん? 伝えそびれたゆう、単にそんな話やで」


 日本語でそんな言い訳をつらつら流し出して来た、その歳を経てさらに妖艶さを増してきた妻の艶やかな両頬にはしかし、「嘘」「やで」の三文字が浮かび上がっているかのように俺には見えたわけで。


「て、訂正する機会は山ほどあったはずだろーがッ!! お、俺が身重の妻を置いて、結婚式場のステンドガラスぶち破って乗り込むとでも思ったかッ!? 人妻になったことを認識しつつ逆にその事象に興奮を感じながら焼けぼっくいに気化する燃料を吹き付けるとでもッ!? そんなメンタルの奴はそもそも娑婆にはおれんだろぉがよぉぉぉッ!!」


 勢い余って俺も日本語でそう怒鳴りつけてしまうが、瞬間、冷たい表情になった妻に今度は俺の方が慄く。歯科助手の何て言うたっけそうやそうやジル・メルテンスちゃん当時二十五歳とサラが熱発の夜にむにゃむにゃ睦みおうとった不埒な輩はまだ塀の中だったやろがいかいねぃ……との温度の無い言葉に即応で俺が悪かったァアアアアッ!! と詫びを入れるものの、


 行かないわけには、いかないわけで。


「サラ、すまない。『ミニヨーロッパ』は来週にして、パリに行くぞ」


 両親の豹変ぶりに慄き、扉の陰に身を寄せていた愛娘にそう告げると、俺はキャビネットにしまっておいた二本の義足が収められたケースを引き出す。天使からの発注品だ。いつか墓前に供えようとか考えていたが、やはり使ってもらってなんぼのものだからな。画面上でちらと見ただけだが、天使がいま履いていたのは成程? 最新流行のフォルムの奴だったが、それじゃあサブスリーは望めねえんだよなぁ……ずっと調整を続けていたかいがあった。


 十年以上待たせちまったが、確かに届けるとするぜ。


 ええー何でぇー、て言うかパパが何かワイルドになってるぅ……と呆けた声を上げる娘の前で妻にクルマのキーを渡すように促すが、せっかくサラも楽しみにしていたのに……と躊躇を見せてくるので、しょうがねえなぁ……すかさず距離を詰め、その細い腰に手を回し引き寄せつつ、その耳元で優しく囁く。


ナカ「アヤ頼むよ……俺は今日、どうしても天使にこれを手渡しに、そしてイキれ勘違いした角刈りとその娘の鼻を丁重にヘシ折ってやらないといけねえんだ……この埋め合わせは必ず……手始めに今夜じっくりと寝ずに『埋め合わせる』からさ……」


アヤ「はぅ……ふ、ふいうち名前呼び、ズルぅい……も、もう……パリではいいホテルとってや?」


サラ「ママッ!? チョロッ!!」


 キーを腰砕けた綾の手から掠め取り、憤るサラの身体を今度は横抱きに抱え上げる。随分重くなったな。とは絶対言えねえが。


「我が家の御姫様は、アリオネのジェラートなんぞでは御機嫌は直らないかな?」


 とニヒルな笑顔で問いかけると、母親に最近めっきり似て来たその小顔をちょっと驚いたようにはにかませながら、ブラッドオレンジとシチリアレモンのダブルだよね当然? と弾んだ声で俺の首に両手を回して来てくれる。


 サッラもっチョロ~♪ と歌いながらバスケットとケースを持ってくれた綾と連れ立って表に出る。芝生の緑が目に眩しい。穏やかな風は適度な温度を孕んでいて、いいドライブ日和になるんじゃねえか? 三人めいめいワゴンに荷物を詰め込み乗り込み、一路、目指すは花の都だ。


「……」


 そこに、渡しそびれたものを渡しに行く。と共に、置き忘れてきた何かを取りに行く。きっと変わらない何かも、そこで待っていてくれるはずだ。


 あまりの変わらなさに、鉄腕は雲の上であのひしゃげた笑みを浮かべるかも知れねえけどよぉ。


 どうとも顔が緩んじまう自分を止めようもないことに気付いて、隣の綾に悟られないよう、そのままクルマをゆるゆると発進させる。


 フロントガラスを通して振り仰いだ空は、どこまでも深く澄んで見えて。


 天上にも、地上のどこにも、等しく繋がっているような気がした。


(終)

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