Jitoh-40:歴巡タイ!(あるいは、遥けき哉/ヴィンシトーレ=ミラーコロ=ラヴェリタ)
無言でクルマを走らせ、無言で走った。
「……」
静謐でだだっ広い、何度訪れてもよそよそしさを柔らかに突きつけて来るような台場一等地の大病院のロビーを、点滴のスタンドを転がしながらそれにすがってよたよたしている老人と老人の間をそれぞれ時間差で慄かせながら掠めつつ、鉄腕の病室へと急ぐ。
準決勝の勝利に浮かれた俺の視線が捉えた小さな画面の中では、医師や看護師たちが慌てて何事かを、仰臥する鉄腕に施そうとベッドに群がる絵面が展開していたわけで。そののっぴきならなさに顔色を失くした天使を無言で促し、その車椅子を押して会場を後にすることにしたのは、極めて自然に出た行動だったものの。
頭の隅では、決勝を放棄したこと、ひいては目の前にぶる下がりチラついていた賞金を取り逃したことを明瞭に把握はしていた。していたが、もはやそれは詮無いことのように思えていた。四人全員、周りのざわめきも無視してとりあえず会場を後にし、鉄腕のいる病院を真っすぐ目指したわけなのだが。
「……!!」
部屋外の廊下まで、物々しい装置みてえのが溢れていた。それでも昨日までと同じ一般病棟に居てくれたことに少しの安堵を感じたものの、病室に慌ただしく踏み込んで来た俺らを、咎める顔つきで何かを言おうと振り向いた若い看護師たちの張りつめた様子と、
瘦せ細りきった身体に繋がれたおびただしい数の管とかコードとか、その口周りを覆う酸素マスクの異物感に、何も出来ずに立ちすくんじまう俺がいる。
面会は……と、拒絶気味の言葉を看護師のひとりから受け取る前に、
「少しだけ、お願いします」
天使が車椅子を転がしつつ俺の前に出ると、何かを抑えるかのように言い放つ。その剣幕というか、有無を言わせないような表情に押されてか、じゃあ五分だけ、と厳しい顔つきのままその看護師はベッドまでの道を開けてくれたのだが。
<……スマ……ナ……イ>
白いシーツを保護色のように纏わせて、あまり柔らかそうには見えないマットにそれでも沈み込むように力無く横たわっていた姿は、やはりのっぴきならなさを突きつけてくるようであって。言葉を発する「装置」は身体の横に設置されており健在だったが、その上に置かれた鉄腕の左腕には三本くらい点滴の管がぶっ刺さっており、いまや抑揚も何も無い機械じみた音声が断続的に流れてくるだけだった。
<約束ヲ、果タセズニ、スマナイ>
ばかやろう、と言いたかったが喉に引っかかって空気が漏れる音が出るばかりの情けない俺の視界の隅で、するりと窓際に移動していた天使はベッドの上に上半身を乗り出すようにして鉄腕の右手を両手で包み込んでいる。
「……ヴィンタートゥールに連れて行ってくれるって、言ったじゃないですか……」
平常を必死で保とうとしているその言葉の抑揚が、鼓膜より先に胸のどこかをアイスピックのように貫いてくるかのようで。俺は意味もなく阿保みてえに枕元の装置の明滅する数値の増減を見守ることしか出来ない。
<決勝……ソコニ辿リ着ケナカッタ……『試合ニ勝ッテ、勝負ニ負ケタ』。 何トモ意味ハ分カラナイカモダガ、全テノ責任ハ私ニアル……スマナカッタ>
「……謝るのやめてくださいよッ!!」
ついに堪え切れなくなった天使が泣き怒りみたいな表情を浮かばせながら掴みかかろうとするが、その背中を後ろから抱き留めつつ、国富が決然とその手に掴んでいたスマホを鉄腕の焦点のあってなさそうな眼前に突きつける。何だ?
「負けてへんで……全っ然、負けてへん。これまでのな、うちらの戦いは練習から何からぜーんぶ、録って配信しとったんやっちゅうねん。何でかて? 募るためにや……難病を克服するための資金を!! 桁数、多過ぎてよぉ分からんみたいやからうちが言うたるわ、三百万や、おばちゃんの『おつり三百万え~ん』とちゃうで、正真正銘の三百万円が集まったんや……」
お前そんなことを……殊更のエセ関西弁で感情が漏れ出ないように固めた国富が気丈にもそう言葉を放つその腕の中で、天使がついに声を上げて子供のように泣き始めてしまうが。
刹那、だった……
「ブワハハハハハッ!! 軍曹殿ッ!! 戦いはまだ終わってはおりませんぞよォッ!! エビノ氏をウィンターワントゥースに連れて行って治療を受けていただきッ!! 万全の体調でセックスに持ち込むまでが『デフィニティ=ボッチャ』なのですからのォォォオッ!!」
ばかやろう、と今度は声にしっかり出た。が、その野太い声帯を狙って放とうとした俺の人差し指一本拳は、そこに到達する前に力を失くして落下する。渾身の顔筋で形作った汚え笑顔で固めた巨顔から、汗にしては滂沱に過ぎるぬめる液体が滴り落ちていたからであって。
「骨と皮だけの今でもォッ!! 例え骨だけになったとしてもォッ!! 『拾う』約束は既にしましたからなッ!! わっしが責任を持ってお二人さんのお供を、あ、務めさせていただきやんす……国富どんが稼いでくれた三百万もありますし何も問題は無かろうはずッ!! ささ、いざいざ、ウィナーワンダートゥルースへですぞぉッ!!」
でけえんだよ声が。何事かと病室に駆け込んでくる看護師たちを何とか扉口で押し留めながら、連れて行くにしても行先がうろ覚えで定まってねえぞ、とか俺は嗚咽をごまかし嚙み殺しながら内心そうツッコむものの。
もしかしたらこの地球のどこかにはあるのかも知れねえ。
「軍曹殿も皆の者もッ!! 苦しい時、悲しい時はセックスの事を考えるといいですぞぉッ!! つらい時もまた!! 嬉し楽し恥ずかしき時にもッ!! 病める時も健やかなる時もッ!! ラブフォーセックスッ!! ライフフォーセックス!! あそーれ、セックスッ!! セックスッ!!」
しかして、とんでもない胴間連呼が始まったところで、流石につまみ出される。が、その際に俺は確かに見て、聞いたのだった。
鉄腕の、横たえられた顔が酸素マスクの奥でニヒルに歪むのを、そしてあのいつか聞いた掠れた地声が漏れ放たれるのを、確かに。
「……お、おお、恩に着る」
そいつが俺の聞いた、鉄腕の最後の言葉になってしまったわけだが。
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