ホウカからの旅立ち

 ここも決して安住の地とは言えなかった。


 にこやかな笑みを見せる使用人達はみな陰口を叩く。

『逃げ場のないここは正にだ。ここで働く者はみな<働き蜂>。フェロモンを発し続ける<女王蜂>に無理やり働き続けることを余儀なくされる』


 忌み嫌われ慟哭する時期もあったけど、悩み過ぎると不幸が降りかかることを知った。


 ここ数年で私のフェロモンは濃度を増して、人的被害をもたらすようになっていた。

 フェロモンに魅了された者はことになる。


 神々しい女神や絶世の貴婦人に見えれば良かった。


 残念ながら己が抱く<悪玉像>を鏡に映すが如く私へ見ることになってしまう。増してや恐怖に憑かれ発狂して錯乱状態に陥った挙句、精神を患い長期的に入院することになる。正に悪魔の御業。沢山の使用人が病院送りになっていた。


 私の影響を受けない方法は、フェロモンを遮断する化学防護服で身を包むこと。それが唯一の対策だと言われている。

 二重の対策としてバイオセーフティーレベルと同等の自室を用意された。言わば<物理的封じ込め>の扱いを受けることになった。


 俗世とは無縁の生涯を送ることになったけど、これで良かったわ。他人の為に施されたものが自分の心を守る為に役立っているから。


 孤独に耐えてさえいれば幸せだったはず……。


 写真を見詰めていると、こんこんと湧き出る清水の如く哀しみの涙が渇くことがない。

 ラノベを持つ手までもが無性に震えてくる。

 爺やが取った行動に納得できず苛立ち、ラノベを持った手を振り上げるとハラリとが空を舞っているのが目に留まった。

 紙切れを掬い上げるように手に取ると、便箋びんせんに文字がびっしりと書き綴られていた。

 それも馴染みある爺やの文字。


 咄嗟に目を通すと、愕然とさせられた――。



 拝啓。

 蜂華お嬢様。

 これをお読みになっているお嬢様は、心が晴れていますでしょうか?

 爺は賭けに勝ったように大いに喜んでいる顔を、見せて差し上げられているでしょうか?

 きっと心優しく涙もろいお嬢様は、泣きせがんで爺を困らせているのかもしれませんね。

 いずれにしても、もしそうならなかった時のことを考えて爺が取った行動の経緯を一筆したためておきます。笑って読んで頂けたのならば幸いでございます。


 爺は不様にも健康診断に引っ掛かってしまい精密検査を受けた結果、直ぐに治療を受けないと余命が長くない。そうお医者様に言われました。


 爺はまだ、籠の中で寂しく泣き続ける小鳥を蒼空へ解き放っておりません。


 それが唯一の心残りで爺にしか行動へ移せないと思っております。ですから死へ抗わなければなりません。まだまだ老骨に鞭を打つ必要がございます。

 そのためには僅かな期間を病院で過ごすことになりそうです。

 ご心配には及びません。直ぐに治療して必ず、お嬢様の元へ馳せ参じます。


 ただ、もしものこと考えました。


 多くの使用人たちがお嬢様の影響を受けて倒れていくのを目にする中、爺だけは長年に渡って影響を受けませんでした。それがとても不思議でございました。

 なぜ、爺は影響を受けなかったのか。それは定かでございませんが、他の者との違いは明確に分かります。それは愛情の深さです。


 深愛を以って接すれば、お嬢様はそれに必ず応えてくれると知っているのです。


 旦那様の厳命で化学防護服などと浅ましい物を着用することを義務付けられましたが、そんな物は始めから必要なかったと今では思います。

 防護マスクがなくとも昔のようにお嬢様の傍で見詰めることができ、正々堂々とお暇を頂いている。


 異世界に旅立つ前のと言ったら笑いを誘えますかな?


 爺の愛情とお嬢様の蟠りとの勝負をすることにやぶさかではない。爺の勇気ある行動で、少しでもお嬢様の心を蒼空の如く爽快にできたら心残りはありません。


 そして、むやみやたらにお嬢様のお心へ傷をつけてきた。どうか愚かな爺を許して下さいませ。

 お詫びにもなりませんが、爺が選んだライトノベルで心を和ませて下さい。


 追啓:純文学しか読まない爺は随分と悩みました。お恥ずかしながら書店の店員へ首部を垂れて、お嬢様が好みそうなものを一緒に選んだのは内緒でございます。

 再開できた時には、そのことを大いに揶揄やゆして下さい。

 敬具。



 爺や……。

 始めからこの内容を口にしてもらえれば、を爺やへ向けることもなかった……。

 私が流す涙には絶望が混じらなかったわ。

 でも爺やは巨星の如くキラキラと輝いていた。その光に何度も何度も救われてきたわ。


 そして、とても眩しい命の輝きだったわ。


 残念なことにもう輝きを失って失墜することになるのね。最後の最後までお互いに素直になれかったことが大変悔しいけど、それはそれで仕方がないわね。


 時間は決して、巻き戻りしないものだからね。


 私は、思い込み、すれ違い、はろくなものを生み出さないと大いに知ったわ。それと同時に比翼の鳥は決して一翼では飛び立てないことも知った。


 もう、私は疲れました。救いが見えない現実世界は過酷すぎる。


 それに小鳥が枝休めできる唯一の場所も、この世から居なくなるし……。


 爺やが選んでくれたラノベを最後の晩餐ばんさんとさせてもらうわね。


 ラノベの巻末かんまつに爺やの手紙を丁寧に挟み込むと、ゆっくりと机に脚を運ぶ。

 机に向かうと引き出しをソッと開いて、透明な液体が注がれている小瓶を取り出す。

 これは『』だと使用人が私へ手渡してくれたもの。

 何処の誰の差し金か知りもしない。中身も察しが付いている。だけどまさかこの場面で使うことになるとは考えもしなかったわ。


 椅子に腰を掛けると、早速ラノベを読み耽る。


 私のような不遇な少女が、人間社会で人に愛されることが叶わず、他種族との恋愛を求めて異世界へ旅立って婚活をする話。

 読了感は大変すばらしく、今の私に取ってはあつらえ向き。


「爺や、私は悪戯がとっても好きなのよ。異世界よみのくにへ先に逝って驚かせてあげるね」

 と呟き、小瓶の蓋を取ってクイッと液体を一気に飲み干す。


 静かにその瞬間が訪れるまで待つ間、妖精のイラストを微睡まどろみながら見詰めていると、表紙が淡く発光して飛び出す絵本のようにみえる。


 妖精はチェシャ猫のようにニヤニヤと笑い、三月兎のように飛び出してくる。

「イッツ・ア・ワンダーランド。妖精のナミちゃんが紹介するのは、だ」と喋りだしたかと思えば、逃げようとまくし立てる。


 突然、厳戒態勢を知らせる警報が「ビィービィー」と忙しく鳴り響く。

 同時に扉の外が嫌に騒がしくなり始める。


「侵入者を排除しろ! あそこにいたぞ! グワーッ!!」と雑兵が倒されていく様相がうかがい知れる言葉が飛び交い、そして「プシュー」と扉が開く音がした。


 咄嗟に振り返ると、そこには耳がエルフのように尖ったが白馬に跨って神々しく佇んでいる。


 私は漸くここからされるのね。


 それを知った時、心臓がゆっくりと鼓動を止めていた……。

(了)

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崖の上のホウカ~女王蜂と呼ばれる少女~ 美ぃ助実見子 @misukemimiko

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