私をパワースポットに連れてって

烏川 ハル

私をパワースポットに連れてって

   

「ヨウちゃん、遅ーい!」

 待ち合わせの場所へ現れた洋介ようすけに、瀬菜せなはいきなり文句をつけた。

 眉間にしわを寄せているものの、わざとらしく口を尖らせた姿は、むしろコミカルで可愛らしい。彼女は本気で怒っているわけではない、と洋介は判断した。

「ごめん、ごめん。今日も仕事が長引いて……」

「まあ、そうよね。ヨウちゃんがそういう職種ってこと、私もわかって付き合ってるんだし……」

 あっさり矛を収めた彼女は、コロッと表情を変える。微笑みを浮かべながら、少し顔を横向きにした。

「見て! どう思う、これ?」

 耳元に人差し指を当てている。その仕草がなければ洋介は気づかなかったが、今夜の瀬菜は、新しいイヤリングをつけていた。

 丸と輪っかを組み合わせた形だ。洋介のセンスでは良さがわからないけれど、おそらく女性目線では違うのだろう。そう思って、適当に褒めておく。

「おお、いい感じだね。可愛いよ」

「でしょう?」

 満足そうにニンマリする瀬菜。

「これ、土星を模したイヤリングなの! ほら、私、惑星占いだと土星だからね!」

 言われなければ『土星』とはわからないレベルだ。そんな不恰好なアクセサリーを身につけて、何が楽しいのだろうか。

 洋介は占い好きの彼女に対して、心の中で呆れてしまうのだった。


――――――――――――


「嬉しいわ! ヨウちゃんと夜のドライブ・デート!」

 洋介が運転する車の中で、瀬菜は、本当に幸せそうな態度を見せていた。

「しかも、パワースポットに連れてってくれるなんてね!」

「まあ、たまには俺も、瀬菜の趣味に合わせないとな」

 ハンドルを握りながら、苦笑いする洋介。

 今夜の目的地は、ここから30分ほど走った山の中。あらかじめ洋介が調べておいた、一部のマニアの間では有名な場所だった。

「この世界には、大自然の気みたいなものが充満する場所があるのよね。それがパワースポット! そういう場所の空気や水には人間を癒す力があったり、そもそも行くだけで地球が語りかけてくるのを感じたり……」

 ウキウキと語り続ける彼女を横目で見ながら、洋介は思った。

 現地に着いたら瀬菜は驚くだろうか、と。


――――――――――――


「何これ……」

 到着した途端、それまでの様子が嘘のように、瀬菜の顔が一気に曇る。

 彼女の目前に建っているのは、灰色のビルだった。

 もともとは、山奥に作られたホテル、あるいは別荘だったのだろうか。しかし、もはや当時の面影は全く見られず、ボロボロに半壊していた。どの窓を見てもガラスが割れ落ちているし、入り口の扉も当然なくなっている。

「廃墟マニアの間では、有名な場所らしい。通称『パワースポットの廃ビル』だってさ」

「廃墟探検じゃないの! ヨウちゃんのバカ!」

 言葉だけでなく、洋介をポカポカ殴りつける瀬菜。

 しかし女の細腕なので、たいして痛くはない。この程度は、むしろ洋介にしてみれば、恋人同士のスキンシップだった。

「雰囲気あるだろ? 昔はペンションとして使われてた、って話だけど、泊まり客に不幸が頻発して、すぐに潰れて……。当時の亡くなった人たちが地縛霊になってるから、今でも事件が起きるって話だぜ?」

「また肝試し! そういうの私が嫌いって、ヨウちゃん、知ってるでしょ?」

「いいじゃん。『パワースポットの廃ビル』なんだから……」

「名前だけじゃないの! みなぎってるのは大地の気じゃなくて、地縛霊ばかりでしょ!」

 瀬菜は文句を言いながらも、洋介に続いて建物へ入っていく。こんな廃墟の前で一人取り残される方が、かえって怖いからだ。

 ただし、不満を行動に示す意味で、彼の背中をポカポカ殴るのは続けていた。

「まったく……。ヨウちゃんは、こういうオカルトみたいな話が、本当に好きなんだから……」

 呆れ混じりの呟きに対して、洋介が振り返る。

「おいおい。瀬菜の好きな占いとかパワースポットとか、そういうのもオカルトだろ?」

「違うわよ! 占星術はれっきとした学問に基づいてるもの! パワースポットだって同じ! 理屈じゃ説明できなくても、オカルトとは違うの! オカルトだけどオカルトじゃないのよ!」

 いったいどっちなんだ、と思いながら洋介は笑顔を浮かべた。何を言われようと、こうして恋人と二人で心霊スポットを探検するのは、とても楽しい時間なのだから。


――――――――――――


 内部なかは瓦礫が散乱して、足の踏み場もないに違いない。

 この廃ビルを目にした時、そう瀬菜は感じたものだが、いざ入ってみると、案外、人が通れる程度には片付けられていた。廊下もそうだし、各部屋も一応は見て回れるようになっている。

「ここって、今でも管理してる人がいるの?」

「いや、そんなやつおらんやろ」

 エセ関西弁を混ぜたのは、彼の冗談なのだろうか。瀬菜には笑えなかったのだけれど。

「きっと、前に来た人が中に入りたくて邪魔なものどけて、次の人も同じように……。その繰り返しで、見学順路みたいなものが出来上がるんじゃないかな?」

「ふーん。ヨウちゃんみたいな人、たくさんいるのね」

「言ったろ、ここはマニアの間では有名な場所だ、って」

 既に瀬菜は、ポカポカ殴りをやめていた。腕が疲れるだけで、意味ないからだ。

 逆に今は、洋介に頼る感じだった。彼の腕に両手を回して、ギュッとしがみついている。

 その状態のまま、しばらく二人は歩き続けたのだが……。


――――――――――――


「さあ、ここだ!」

 瀬菜の手を振りほどくようにして、洋介がバーンと両腕を広げたのは、大きな部屋に入った時だった。

「わっ!」

 彼のアクションの勢いが激しすぎて、瀬菜はよろめいてしまう。そのせいだろうか、今までは抑えられていた怒りが、急に再燃する。

「たぶん、ここが曰く付きの大食堂だ。噂通り、二階の奥だからね」

 彼は『大食堂』と言っているが、何もない、がらんとした空間だった。かつては椅子やテーブルが並べられていたのだとしても、既に撤去されている。他では散らばっている瓦礫さえ、きれいに四隅に寄せられていた。

 ちょっとしたイベントが行えそうなスペースだ。寝る場所に困った浮浪者が入り込めば、一晩の宿になるだろうし、ホテル代をケチる若者カップルならば、肉欲のうたげを繰り広げる舞台に早変わりするだろう。

「この食堂ホールこそが、『パワースポットの廃ビル』と呼ばれる由来になった場所、つまりパワースポットで……」

「何がパワースポットよ!」

 瀬菜は洋介を殴った。今までのポカポカ殴りではなく、バキッと思いっきり。

いてえっ!」

 と叫びながら、彼が吹っ飛ぶほどの勢いだった。

 いかにも痛そうに顎をさすりながら、洋介は立ち上がり、

「何すんだよ、女のくせに!」

 反射的に殴り返してしまった。彼女の頭をガツンと、ハンマーのように力強く。

「あっ……」

 自分でも「しまった」と思うが、もう遅い。

 殴られた勢いで下を向いた瀬菜が、ゆっくりと顔を上げる。そこには、鬼のような形相が浮かんでいた。

「あなたこそ……。男のくせに! 女の子を本気で殴るなんて、最低だわ!」

 言葉と同時に、飛んでくる右ストレート。

 洋介はヒョイッとかわしたが、その瞬間、みぞおちに叩き込まれる瀬菜の膝蹴り。パンチはフェイントだったらしい。

「ぐふっ!」

 苦痛の呻き声を上げながら、洋介は不思議に思う。瀬菜のやつ、いつのにフェイントなんて使うようになったんだ、と。これまでも手が出ることはあったが、もっと軽くて単純なものばかりだったのに……。

「もう許さない! パワースポットとか言って、私を騙して! 私の心を弄んだのよ! 今日という今日は、許さない!」

 か弱い女性とは思えない、力強いパンチとキックが洋介の体に降りそそぐ。こうなると、ただ体を丸めて防戦一方というわけにもいかなかった。

「いい加減にしろ! 俺も怒るぞ!」

 洋介も本気で殴り返す。

 パワースポット云々にしたって、一応は彼女の趣味に合わせたつもりだったのだ。そもそも、幽霊やオカルトのたぐいを面白半分で楽しむ洋介と違って、占いなんて胡散臭いものを瀬菜は真剣に信じているのだから……。

 このまま付き合い続けて結婚まで行き着いたとしたら、将来が心配ではないか。家の購入とか、子供の教育とか、全て占いで決めるのか? それでは、変な宗教にまった可哀想な人と同じではないか!

「だいたい、お前は! もっと常識を持てよ!」

「何言ってんの? あなたこそ……」

 ヒートアップした二人は、当人同士が意識していないほどの力を発揮して、血だらけで殴り合うのだった。。


――――――――――――


 一部のマニアの間では有名な心霊スポット、『パワースポットの廃ビル』。

 かつて殴り合いの末に亡くなった霊が今でも漂っており、取り憑かれると一時的に筋力パワーが増大する、という噂だった。

 結果、大怪我をしたり、場合によっては、命を落としたり……。そうやって、さらに地縛霊が増えていくのだという。

 筋力パワーが増大する廃墟だから、人呼んで『パワースポットの廃ビル』。

 今この場で洋介と殴り合っている瀬菜は、彼からそこまで詳しく聞かされていなかったが……。

 もしも聞いていたら、怒りを強めて、こう叫んだに違いない。

「パワースポットって、そういう意味じゃない!」と。




(「私をパワースポットに連れてって」完)

   

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