第262話 報告書 9


「ナタリー、ナタリー何処だ!?」


 慌ただしく玄関の扉を開いてみれば、奥からエプロン姿の妻が姿を現した。

 それはもう非常に呆れ顔を此方に浮かべながら。


「どうしたの? クロウ。そんなに慌てて」


「海産物を食べに行こう!」


「却下、もうご飯作っちゃったわよ」


 おぉっと……一足遅かった様だ。

 ガクッと膝を折りそうになったが、流石にそれは夕飯を作ってくれた妻に対して失礼だろう。

 どうにか堪えながら、我が家へと足を踏みこんでみれば。


「……この匂いは」


「そろそろ報告書を読む頃かと思ってね。ちなみに内容はエフィちゃんから聞いてるし、材料は律儀にここまでお土産を持って来た墓守から貰った物よ。今度会ったらお礼言っておきなさい?」


 妻の声を聴きながら、急ぎ足で部屋の中へと踏み込んでみれば。

 そこには、俺が今求めていたパラダイスが広がっていた。


「か、蟹。蟹だ……」


「えぇ、随分と今年は大きいのが獲れたみたいで。食べ飽きた気でいたけど、久し振りだと良い物ね」


 えらく軽い調子のナタリーに促され、席に着くと同時に目の前にはグラスが置かれた。

 さぁ食え、そう言わんばかりに。


「ちょっと行儀は良くないけども、今回の報告書……私にも見せて? こういう物の報告だって事は知ってるけど、その他も色々書いてあるんでしょ?」


 ニコニコしながら対面席に座ったナタリーが、此方に向かって掌を向けて来る。

 それはもう、色々書かれていたさ。

 という訳でエフィから預かった報告書を彼女に手渡し、此方はすぐさま両掌を合わせた。


「いただきます」


「はいどうそ、私は読みながら食べさせてもらうわね~」


 そんな訳で私は、本日も旨い夕食にありつくのであった。


 ――――


 お久し振りです、クロウ支部長。

 いつも通り挨拶は省略し、本題に入らせて頂きます。

 今回の報告は、何と言っても海産物。

 そしてソレに伴い、シーラで作られた調味料各種の報告書となります。

 何でも少しの間悪食のホームに滞在した、“墓守”というウォーカーが大量に海産物を譲り渡してくれた事により……悪食では“お祭り”が発生いたしました。

 寿司、刺身、炙りに海鮮丼。

 まさに何でも来いという状況。

 ここまでならいつも通りと言えるでしょう。

 しかし今回頂いたお土産は、それだけに収まりませんでした。

 なんと言っても、お手軽に料理が出来るという液体調味料を大量に頂きました。

 それらを見て、お父様達は“あーインスタントみたいな?”とか訳の分からない事を言っておりましたが。

 とにかくすごいのです。

 切り分けた野菜と、下処理を済ませた蟹などの具材を鍋に放り込み。

 先程言った液体調味料を注ぎ込んで煮込めば、すぐさま完成。

 素晴らしいです。

 こういう物が市場に出回れば、料理が苦手な婦人でさえプロの味が出せるというモノ。

 グツグツと煮込めば海鮮鍋の香りが充満し、味噌や醤油、そして塩などなど。

 各種取り揃えられたソレらから漂って来る香りは、食べる前から満足してしまいそうな程。

 いえ、嘘です。すみません。

 この匂いを嗅いでしまえば、食べたくなってしまうのが人間というモノ。

 しっかりと火が通ったのを確認し、お父様方から飲食の許可が出た瞬間。

 皆一斉に飛びつきましたとも。

 蟹、蟹です。

 しかも見た事も無い程大きな。

 土鍋に収まりきらず、足なんか飛び出してしまっている程大きな蟹。

 熱を通す事により甲羅は深紅に染まり、グツグツ煮立つ鍋の汁は嗅覚を擽る。

 そして何と言っても……肉厚の蟹の足。

 固い甲殻はやはり苦戦してしまいましたが、中から飛び出して来る真っ白い身を目にしてみればゴクリと唾を飲み込んでしまう程。

 ガブリと、大きな口を開けながら噛みついてみれば。

 それはもう、口の中が高級食材になってしまったと訳の分からない感想を抱く程。

 旨味の爆発。

 この表現が一番合っていると思われます。


「この“鍋の素”旨いな、めっちゃ染みるじゃねぇか。それにタレも良いじゃねぇか、良くこんなの作れるな」


 私達が蟹の旨味に没頭している間に、お父様達がおかしな事をしておりました。

 殻をむいたその身を更に鍋汁に浸け込んだり、後付けのソースにちょんちょんして食べているではありませんか。

 そんな光景を見せられては、食べぬ訳にはいかないのが悪食というモノ。

 この血を受け継いだからには、アレを見て食べない選択肢などある筈もなく。

 たまらず皆で強請ってみれば、御三方は皆の分もすぐに準備し始め……。


「熱い内に食え、その方が旨いぞ」


 目の前に並ぶ料理、と言うのが本来相応しい表現な筈。

 しかしながら、“並ぶ”までの時間が惜しい。

 むしろズラッと並ぶ頃には冷えてしまう。

 そんな訳で次々と手渡されるソレを、皆自らの器で受け取りその場で食べる。

 高貴なパーティーなどでは絶対出来ない行いですが、今は悪食のホーム。

 いわばお家ご飯。

 誰もが気にすることなく、渡された肉厚の蟹の脚に齧り付いてみれば。

 なんと言う事だろうか。

 先程まではまさに蟹の旨味を味わうという食べ方だった。

 スープも美味しいし、蟹の味も上品。

 しかし今回のコレは……更に、追加攻撃してくるのだ。

 噛みしめれば蟹の旨味が口内に広がるのは勿論、そのまま飲んでも美味しい鍋のスープの味わいまで追撃を仕掛けてくるのだ。

 一口食べれば様々な味わいが此方を虜にし、鍋だからこその温かさが胃の中から吐息と共に帰って来るかの様。

 しかもお腹に納めた筈の残り香が、吐息と共に鼻に抜ける。

 濃厚な蟹の香りと、スープの奥深い匂い。

 思わずホッとしてしまいそうな、心から満足してしまいそうな心地良さ。

 だというのに、まだまだ追加があるから恐ろしい。

 今回問題となったのは、後付け調味料。

 ちょんちょんっと付けてからパクリと口に含めば……まさに今、私は贅沢な物を食べているんだと実感させてくれる様。

 しかも後付け調味料も種類が多くあり、醤油ベース、専用味噌。

 後に残る辛さを含んだ物等など。

 本当に多種類の試作品を頂いた様で、どれも一口食べる度に声が上がってしまう程美味しかった。

 ちなみに調味料の各種、スープの素等の情報は別紙に記載しております。

 ご確認下さい。


「蟹も良いけど、こっちも出来たよー」


 アズマさんが声を上げれば、皆一斉に視線を向けた。

 そこにあったのは、大量の海老。

 しかも、巨大なのだ。

 それらをバリンバリンと剥いて行き、ズルリと引きずり出されるのは真っ白い肉厚な身。


「蟹に付けた奴でも普通に旨いけど、海老は海老で新しいソース作ったみたいだな。ほい、皆試してみな」


 ニシダさんが、多くの小皿に後付け調味料を少しずつ垂らしてく。

 これはもはや……甲殻類祭りと言って良いだろう。

 皆して取り合う様に海老と蟹に飛びつき、アレもコレもと試しながら次々と美味しい物を口にする。

 どれを食べても、旨いという感想以外浮かばない。

 ぷりっぷりで肉厚、もちろん食べ応えも抜群。

 噛みしめれば口内には暴力的な旨味が広がり、思わず声を上げてしまうが……声を上げている時間がもったいないと思う程に次が欲しくなる。

 海の魔獣と言う事もあり、やはり甲羅は固く私には砕く事が出来なかったが。

 そういう理由もあり、殻を剝いて貰っている間が非常に待ち遠しい。

 早く早くと急かす様にして、端から口に放り込んでいたのだが。


「お父様、何故そんな端っこに?」


「え、あ……いや、その。試しだからさ、失敗しちゃったら、な? だからホラ」


 我が父にして悪食のリーダー。

 その彼がご飯中に隠れる様な動きを見せた時は、危険信号。

 試しだなんだと言って、一人で試食会をするつもりなのだ。

 ソレが分かっているからこそ、皆してお父様に詰め寄ってみれば。


「お父様、私達には食べさせてくれないんですか?」


「……本当に試しだからな? 蛇でそれなりに慣れてるから、出来るかなぁって。動画では見た事あるし。タレもあったから、作ってみた。ウナギの蒲焼」


 食材と一緒に、多数の手紙も同封されていたのだ。

 なんでもシーラでは、“ウナギ”の養殖に成功したようで。

 向こうの国に居る、ユーゴというお父様方の知り合いが強く後押しした結果だと綴られていました。

 実物を見せてもらった時には、本当に食べられるのかと思ってしまう見た目をしていたのだが。

 一応聞いた事はあるし、こちらにも少なからず流通はしている事は知っていました。

 でもなんだろう、蛇の水中進化系? とか思ってしまった。

 しかしそこは悪食育ち。

 まず食べてみて、美味しければそれで良い。

 むしろ私も蛇だって食べた事があるのだ、なかには美味しい個体、美味しい調理法だって存在する。

 つまり水中で生き延びる形に進化した所で、美味しく食べられる個体という事な筈だ。

 と言う事で、お父様が隠しながら焼いていた“ウナギの蒲焼”を一口頂いてみれば。


「んっ! んんっ!?」


「お、結構上手く出来てたか? 西田、山椒取って。一緒の箱に入ってたから」


「うな重作ろうぜうな重。ひっさびさに食いてぇ」


「いやぁ……昔食べた事のあるウナギより倍くらい肉厚だねぇ。これも魔獣なのかな? あんまり詳しい事書いてないね。食べてみてーとしか」


 御三方は各々好き勝手喋っているが。

 正直、それどころではなかった。

 タレを付けて炭火で焼いた影響か、表面はパリッと気持ちの良い食感。

 噛みしめてみればフワフワで肉厚、更には独特な香りと旨味が口内を支配していく。

 魚ともまた違う感覚だが……凄い、こんなの初めて食べた。

 見た目は蛇なのに、全然違う。

 とにかくモリモリと食べたくなる様な味わいに、噛みしめた時にじわぁっと広がる旨味が癖になりそう。

 とはいえ私が独り占めする訳にもいかず、ほんの少ししか食べられなかったのだが……。


「それで良ければ、すぐ作るから待ってろ。エフィ、俺等の分も蟹と海老持って来てくれ。焼きながら食うわ」


「すぐにお持ちします!」


 という訳で、皆揃ってウナギの捌き方を見学し始めた。

 アレを覚えれば、私達にも先程の蒲焼が作る事が出来る。

 誰もが目を爛々と輝かせながら、お父様の手元に注目するのであった。


 ――――


「へぇ、ウナギねぇ。確かにこっちの街じゃあまり見ないわね、見た目が良くないからかしら?」


 夕食を口に運びながら報告書を眺める妻が、ポツリとそんな言葉を残した。

 やはり私としては、食べた事の無い品物は気になる訳で。


「ナタリー、ウナギというのは……旨いのか? 私も聞いた事くらいはあるが、取り扱っている店が少なくてな……アイツ等から旨いと聞いた事があるのだが」


「えぇ、美味しいわよ? 下手な料理人とか、適当な場所に居る奴を捕まえて来ると……とんでもない味になるけど。ちゃんとしたモノなら、それはもう。何と言ってもタレが良いのよ、ふとした瞬間食べたくなる。それに“異世界人”は何故か食にうるさいのが多いし。ユーゴが進めていた計画って事なら、かなりの絶品なんじゃない? タレまで本格的に作らせたみたいだしね?」


 蟹を頬張りながらも、思わず涎が溢れ出して来た。

 そうか、旨いのか……ウナギとやらは。

 あと、うな重ってなんだ。

 また異世界にあった食べ物だろうか、とても気になる。

 アイツ等の言う“居酒屋”という部類の酒場でも、ウナギという名前を目にしても品切れと言われたり、旬じゃないと断られてばかりだったからな。

 思わずどんなものかと想像しながら、無心で蟹を頬張っていれば。


「グリムガルド商会あたりなら、その内仕入れるんじゃない? シーラ特産物は大体入って来るし、飯島のお姫様も食い付かない訳が無い。だったら近い内に食べられるから、今は蟹で我慢しなさい」


「あぁ、いや。蟹も十分高価な上に、コレはとても旨い。流石はナタリーだな、いつもありがとう」


 素直に感謝を述べたつもりだったのだが、相手からは呆れ顔と共にヒラヒラと掌を振って返されてしまった。


「はいはい、どういたしまして。でも今はウナギが食べたくて仕方ないって顔ね?」


「確かにウナギは気になるが……本当に旨いぞ? 感謝している」


「クロウも結構変わったわよね……まぁ良いわ。まだ悪食の所に残っている様なら、明日交渉してきてあげる。もしも買い取る事が出来たら、夕食にはウナギの蒲焼を作ってあげるわ」


「本当か!?」


「でもあんまり期待しないでね? 私だってプロじゃないんだから。もしかしたら捌く所までは悪食にやってもらうかもしれないし」


 そんな会話をしながらも、本日もまた妻の作ってくれた夕食を腹いっぱいになるまで喰らうのであった。

 あぁ、本当に。

 俺は結婚して良かったと、毎日思っている。

 蟹、旨い。

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勇者になれなかった三馬鹿トリオは、今日も男飯を拵える。 くろぬか @kuronuka

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