ゆきのいぬ

烏川 ハル

ゆきのいぬ

   

 その日の朝。

 弘恵ひろえちゃんが目覚めてすぐに感じたのは「なんだか暖房の効きが悪い」ということでした。

「もう真冬だもんね。仕方ないかも……」

 昨日は珍しいほどの大雪で、空も暗い一日でした。今朝も降り続いており、それで寒いのでしょうか?

 そう思って窓に目を向けると、カーテン越しにもわかるくらい、外は明るいようです。

「あら!」

 天気が良ければ、それだけで気分も良くなります。弘恵ちゃんはガバッと飛び起きて、窓に歩み寄りました。カーテンを開けると……。

「わあっ、凄い!」

 思わず漏れる、感嘆の声。

 いつも以上の眩しさでした。お日様の光だけでなく、それが反射された分もあったからです。

 昨日の雪が降り積り、窓の外には、一面の銀世界が広がっているのでした。


「おいで、ユッキー!」

「ワン!」

 弘恵ちゃんが声をかけると、部屋の隅で丸まっていたコーギー犬が、嬉しそうに駆けてきました。尻尾をふりながら、弘恵ちゃんにじゃれついてきます。

 いつも元気いっぱいのコーギー犬ですが、今日は元気の度合いが、いつも以上かもしれません。

「そうだよね。犬は喜び庭駆け回り、って言うもんね」

 コーギー犬の頭を撫でながら、弘恵ちゃんは微笑みました。

「じゃあユッキー、雪が解けないうちに、散歩に出かけようか?」

「ワン!」


――――――――――――


 モコモコのダウンジャケットを着込んで、あたたかい耳当て付きのニット帽を被って、毛糸のマフラーを巻いて、両手にはピンクの手袋。誕生日プレゼントとして、幼馴染の男の子からもらった手袋です。

 バッチリ防寒対策した上で、弘恵ちゃんは家を出ました。

「それでも寒いね、ユッキー」

「ワン!」

 吐く息は白くなりますし、寒さで少し頬も赤くなっています。それでも、珍しい雪景色の中を歩くのが楽しくて、弘恵ちゃんはウキウキしていました。


 家々の屋根とか、街路樹とか。白い帽子のように、みな雪を被っています。

 ただし足元に視線を向けると、既に雪かきされた場所も多い様子。ちょうど近所の人が、家の前から雪をどけているところに出くわしました。

「こんにちは、おじさん!」

「やあ、弘恵ちゃん。寒いのに、元気だねえ。子供は風の子、っていうのは本当だな」

「はい、若いですから!」

 飼い主に従うように、コーギー犬も「ワン!」と鳴きました。


 そんな感じで、犬と一緒に歩きながら……。

「そういえば、ユッキーを拾った日も、少しだけど雪が降ってたね」

「ワン!」

 弘恵ちゃんは、ふと、一年前の出来事を思い出しました。


――――――――――――

――――――――――――


 今日のように寒い日の、学校の帰り道の出来事です。

 川沿いの土手道を歩いていた弘恵ちゃんは、犬の鳴き声を耳にしました。

 でも姿は見えません。

「あれ……?」

 立ち止まってキョロキョロと見回しても、やはり犬そのものは見えません。

 そもそも小さな鳴き声でした。弱々しいと言ってもいいくらいの吠え方です。

「空耳かな?」

 気のせいということにして、再び歩き出そうとしたタイミングで、

「ワン!」

 また聞こえてきました。しかも、先ほどよりもハッキリと。

 おかげで、声の方角もわかりました。

 どうやら橋の下からのようです。

「こんなところに、ワンちゃんいるの?」

 いつもは行かない河原へ、駆け降りていきます。そして橋の下へ回り込むと……。

幸人ゆきとくん! 何やってるの、こんなところで?」


「お前こそ何しにきた、弘恵ちゃん」

 同じクラスの男の子です。幼稚園から一緒であり、いわゆる幼馴染の関係です。

 小さい頃からの習慣で、つい名字ではなく「幸人くん」「弘恵ちゃん」と呼び合ってしまうので、時々「お前ら、付き合ってるの?」とからかわれることもあります。

 からかわれるのは嫌なのですが……。幸人くんと話しをするのは楽しいですし、「弘恵ちゃん」と呼ばれると、それだけで何故だか心が温かくなります。

 だからこの時も、彼の顔を見て、まず「嬉しい」と思ってしまいました。

 それでも冷静に、幸人くんの質問に答えます。

「犬の鳴き声が聞こえたから……」

「ああ、お前もこいつに呼ばれたのか」

 幸人くんは、横に一歩、体を動かしました。彼の背中に隠れていたものが、弘恵ちゃんの視界に入ります。

 段ボールの小箱でした。

「まあ、かわいい!」

 思わず叫ぶ弘恵ちゃん。段ボールの中には、茶色のコーギー犬が一匹、おすわりしていたのです。

「『かわいい』じゃないだろ。それを言うなら『かわいそう』だ」

 幸人くんの言葉で、弘恵ちゃんはハッとしました。

 こんな寒い日に、こんな場所で放置されているのですから……。

「そっか。この犬、捨てられちゃったのか」

「そういうこと」

 二人は犬の境遇に想いを馳せて、しんみりとしてしまいました。

 そんな空気が嫌で、弘恵ちゃんは前向きな言葉を口にします。

「それで、どうするの? 幸人くん、この犬、飼うつもり?」

「そうしたいのは山々だが……」

「ああ、そっか。ごめんね、幸人くん」

 弘恵ちゃんは、思い出しました。

 幸人くんのお母さんは、動物アレルギー。だから幸人くんが「ペットを飼いたい」と頼む度に、却下されてきたのです。

「うん。何とかしてやりたいんだが……」

「ワン!」

 事情を知らないコーギー犬は、嬉しそうに吠えました。幸人くんと弘恵ちゃんに構ってもらえている、という気分なのでしょう。


「じゃあ、幸人くん。私が飼うよ!」

「えっ……。お前んち、ペットなんていなかったよな? 大丈夫なのか?」

「いないからこそ、よ。犬と喧嘩するようなペットはいないし、お父さんもお母さんもアレルギーなんてないし……」

「でも、大丈夫か? お前んところのおばさんとおじさん、こういうのには厳しそうだぞ?」

「大丈夫、任せて!」

 自分でも少し「安請け合いかな?」と思いながら、弘恵ちゃんは、そう宣言するのでした。


 結局。

 説得には苦労しましたが、最後は、お父さんとお母さんが折れてくれました。

 こうして。

 橋の下に捨てられていたコーギー犬は、幸せなことに、良い飼い主に巡り会えたのでした。


 なお、弘恵ちゃんは「雪の日に拾ったから」という理由で『ユッキー』と命名しました。本当は幸人くんの名前にもちなんでいるのですが、それは恥ずかしいから内緒です。

 特に幸人くんは、あれ以来、弘恵ちゃんの家に頻繁に遊びに来るようになりました。まるで、小さかった頃みたいです。

「俺も一緒に拾ったようなもんだからな。俺にも、犬を世話する義務がある」

「嘘おっしゃい。義務じゃなくて、幸人くん自身が犬好きだからでしょ? 自分の家で飼えないから、私のところで飼ってるような気分なんじゃないの?」

「まあ、それもある」

 幸人くんは、照れたように笑うのでした。


――――――――――――

――――――――――――


 思い出にひたっていた弘恵ちゃんは、

「ワン! ワン、ワン!」

 ユッキーが嬉しそうに吠えるので、顔を上げました。

 すると、前から歩いてきたのは……。

「幸人くん!」

 たった今、弘恵ちゃんが思い描いていた幼馴染です。

 彼からもらった手袋を意識して、ギュッと手に力が入ります。

 急に寒くなったわけではないですが、さらに顔が赤くなりました。

「おはよう、弘恵ちゃん!」

 元気に挨拶する幸人くんは、なぜか台車を押しています。こんな雪景色の日に、いったい何をしているのでしょう?

 よく見ると、その台車の上に載っていたのは……。

「雪だるま……?」


「そう! 俺が作ったのさ! すごいだろ?」

「でも、これ……」

 すれ違う手前で足を止めて、二人は話し始めました。

「……雪だるまっていう形じゃないわよね?」

「まあな。そこが自慢だぜ!」

 普通、雪だるまといえば、丸い雪の塊を二つ重ねた形です。ダルマ型なので『雪だるま』と呼ばれるわけです。

 でも幸人くんのは、ダルマ型ではありません。横に長めの胴体の、真ん中ではなく前の方に、ちょこんと頭がのっています。さらに、雪で四つ脚も作られていました。もちろん雪の脚では重さを支えられないので、立った状態ではなく、おすわりの姿勢になっています。

「もしかして、犬のつもり?」

「そう! これなら、アレルギーの母さんも大丈夫だからな!」

 確かに、雪で作った『犬』ならば、その心配はありません。しかも、台車に載せれば、こうして『犬』と散歩することも可能です。

 今までペットを飼えなくて、犬の散歩なんて夢のまた夢だった幸人くん。だから彼は今、本当に幸せなのでしょう。

 幸人くんの表情を見て、弘恵ちゃんはそう感じたのでした。彼の本当の気持ちを知らずに。


「ワン! ワンワン!」

「ほら、ユッキーも喜んでるぜ。俺が作った雪の犬、本物だと思ってるのかな?」

「そこまで馬鹿じゃないわ、うちのユッキーは」

 二人の間で跳ね回るユッキーを見て、弘恵ちゃんも幸人くんも頬が緩みます。

「ほら、私たち二人に拾われたのは知ってるからね。二人が一緒で、二人に構ってもらえると、いつも以上に嬉しいんじゃないかしら?」

 ある意味、ユッキーは二人の子供みたいなもの。そんな恥ずかしいこともチラッと考えながら、弘恵ちゃんは、犬の気持ちを想像したのですが……。


 実際のところ。

「二人の気持ち、僕でもわかるくらいだよ! 早く告白しちゃいなよ! じれったいなあ、もう!」

 と伝えたくて、茶色のコーギー犬は、ワンワン鳴いているのでした。




(「ゆきのいぬ」完)

   

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ゆきのいぬ 烏川 ハル @haru_karasugawa

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