悪人だらけの異世界で白魔導士のお姉さんに救われました

湖城マコト

白魔導士のクリスさん

 血のしたたる脇腹を抑えながら、俺は異世界の山道を駆けている。

 着慣れた学ランはすっかり血まみれだ。

 あまりの痛みと絶望に、涙もとっくにれている。


 こんな悲惨な未来を、誰が想像出来ただろうか。


 ※※※


 今朝までは、どこにでもいる高校生として平凡な日常を送っていた。

 いつも通りの時間に起きて、学ランに着替えて、歯を磨いて、朝食を食べて、時間に余裕を持って早めに家を出て。ここまでは何の問題もなかった。


 悲劇に見舞われたのは通学中のことだ。俺の乗っていたバスが後続のトラックに追突され破損、最後列に乗っていた俺はその直撃を受けた。


 突然、背後から体に物凄い衝撃と激痛が走ったような気がする。

 その感覚すらも一瞬で失われてしまった。


 俺が覚えているのはそこまでだ。

 たぶん俺の、古門寺こもんじヨシツネの人生はそこで終わったんだと思う。


 ※※※


 意識が覚醒すると、そこは西洋ファンタジー風の異世界の町中だった。


 訳も分からず街をさまよっていると、親切そうなお姉さんが俺に声をかけてきた。 


 俺の身に起こったことを親身に聞いてくれて、励ましの言葉もかけてくれて。未知の土地で触れた人の温かさが身に沁み、俺は思わず男泣きした。

 

 お姉さんを信用した俺は彼女に連れられ、何の疑いも持たずに町外れへと向かう。これが大きな過ちだった。


 そこで俺は、豹変ひょうへんしたお姉さんに奴隷どれいしょうに売り飛ばされた。珍しい風貌ふうぼうの俺を、始めから金儲けに使うつもりで声をかけたのだろう。


 俺と交換に奴隷商から数枚の銀貨を受け取ったあの女の下卑げびた笑みが、まぶたに焼き付いて離れない。この世界の通貨の価値は分からないけど、俺はきっと二束三文で売られたに違いない。


 もちろん理不尽な運命を受け入れるつもりなんてない。俺は隙を見て、山越えをする奴隷商の馬車から脱出、山中へ逃走することに成功した。


 しかし不運は終わらない。奴隷商から逃げ出し安堵したのも束の間、今度は一帯を根城にする山賊のテリトリーに踏み込んでしまい、武装した山賊に命を狙われる羽目になった。


 死に物狂いで逃げ回り、何とか追跡をくことには成功したけど、逃走中に脇腹に一撃を貰ってしまった。


 訳も分からぬままやってきた異世界で出会った人間は、どいつこいつも悪人ばっかり。


 もう誰も信じられない。

 

「……俺、このまま死ぬのかな」


 脇腹の出血は止まる気配を見せない。ここまで気合いで走り続けて来たけど、流石にもう限界だ。足が止まり、視界がかすむ。


 ようやくふもとの町が見えてきたのに、どうやら俺はこれ以上前へは進めないようだ。


 このまま死んだら、都合よく元の世界に戻れたりしないかな……。


「――しっかりしてください」


 不意に、柔和にゅうわな女性の声が聞こえたような気がした。

 幻聴まで聞こえるようになったらいよいよお終いだ。


「酷い怪我。直ぐに治癒魔法を」


 目の前で声が聞こえた。

 ぼやけた視界には、白いローブに身を包んだ女性の顔が見える。

 幻聴や幻覚ではない。どうやら俺は女性に介抱されているらしい。


「治癒魔法をかけました。これで、安心ですよ」

「治癒魔法?」

「傷を癒し、呪いを浄化する魔法のことです。出血は止まりました。しばらく休めば動けるようになりますよ」


 その治癒魔法とやらのおかげだろうか。意識が鮮明になってきた。


 今度ははっきりと女性の温顔おんがんが拝めた。色白の肌に美しいブロンド髪を持つ、目の覚めるような美人だ。年齢は俺より少し上に見える。二十代前半くらいだろうか。


「どうして、見ず知らずの俺を?」

「困った時はお互い様ですから」

「……ありがとうございます」


 枯れたとばかり思っていた涙が俺の頬を伝う。

 この世界に来てからというもの、出会った人間はどいつもこいつも悪人ばかり。

 それだけに、女性の優しさが一層に身に染みる。


「白魔導士のクリスと申します。以後お見知りおきを」

「古門寺ヨシツネです。クリスさん、本当にありがとう」

「変わったお名前ですね。異国の方ですか?」

「日本という国の出身です。わけも分からぬまま、この世界に来てしまいましたが」

「ニホンですか? 聞きなれない国名ですね」

「たぶん、凄く遠い場所だと思います」

「遠い国ですか」


 曖昧な表現になってしまったけど、クリスさんは納得してくれたようだ。俺の出身について、それ以上は言及してこなかった。


「異国の地で大変だったでしょう。その体を見れば分かります」


「騙されて、殺されかけて、逃げ回って、生きた心地がしませんでした。この世界にはろくな奴がいないって、理不尽な運命を呪いもしたけど、少し希望が持てました。クリスさんみたいな優しい人も、この世界にはちゃんといる」


 クリスさんは慈愛に満ちた表情で俺の手を握ってくれた。

 温かい手だ。冷え切った感情が解凍されていく。

 その手の温もりに俺の心は救われていた。


「ヨシツネさん。これからどうなされるおつもりですか?」

「……恥ずかしながら、お金も所持品も無くて。途方に暮れています」

「でしたら私のお家に来ませんか? お腹だって空いているでしょう」

「そこまでしてもらうわけには」

「さっきも言ったでしょう。困った時はお互い様です」

「本当にいいんですか?」

「行きましょう、ヨシツネさん」


 クリスさんに手を引かれ、俺は麓にある彼女の家へと向かった。


 ※※※


「お手製のシチューです。たくさんあるので遠慮せずに食べてください」

「頂きます!」


 体は正直だ。はしたないと思いながらも食欲には抗えず、俺は出されたシチューにがっついた。


「美味しい。凄く美味しい」


 お世辞抜きに、これまでの人生で最も美味しいと感じている。

 死線を越えた今だから分かる。

 生きて温かい食事を口に出来ることは、とても幸せなことなんだ。


 生きててよかった。

 クリスさんに救われた俺は幸せ者だ。


「……すみません。疲れたのか、何だか眠気が」

「無理もありません。治癒魔法をかけたとはいえ、あれだけの傷を負っていたのですから。来客用のベットがあるので、ゆっくりお休みになってください」

「すみません」


 クリスさんに肩を借りてベットまで辿りつくと、俺は倒れ込むと同時に目を閉じた。


 眠い……異常に眠い。

 よっぽど……疲れているようだ。

 無理もない……本当に散々な日だった――。


 ※※※


「朝か?」


 小窓から差し込む朝日と小鳥のさえずりが、俺の意識を覚醒させた。

 食事を頂いたうえに、宿まで恵んでもらった。

 クリスさんに改めてお礼を言おうと、俺はベッドから起き上がろうとした。


 ガシャン!


「何だ!」


 両腕と両足が思うように動かない。

 不穏な金属音に視線を向けると、俺の両腕は頑丈な鎖でベットに固定されていた。両足もまったく同じ状態だ。身動きが取れない。

 

「何だ、何が起こっている?」


 頭は大いに混乱していた。

 眠っている間に何があった?

 まさか強盗が侵入し、男の俺が暴れないように無力化した?

 だとしたら、クリスさんは無事なのか?


 想像が膨らみ強い不安に襲われたが、疑問の一つは早々に解消された。


「お目覚めのようですね」


 リビングからクリスさんが笑顔を覗かせている。

 彼女以外に、屋内に人の気配はないようだ。


「良かった。クリスさんは無事なんですね」

「ええ、私は無事ですよ」

「一体何があったんですか? どうして俺は手足を拘束されているんです」

「薬で眠らせている間に私が拘束しました。上手いものでしょう」

「はっ?」


 わけが分からず、思わず頓狂な声を上げてた。


「何でクリスさんが俺を拘束するんです? 俺、悪い事なんてしてませんよ」

「悪い事をするのは私の方です」


 こちらに近づいてきたクリスさんと目が合った瞬間、全身から血の気が引いた。


 彼女の目は善人のそれではない。

 この世界にやってきてから幾度となく目にしてきた、悪意を持った人間の目だ。


 昨日俺を助けてくれた女性と、目の前にいる女性は本当に同一人物なのか?

 別人と疑ってしまう程に、今のクリスさんの瞳は狂気の色が濃い。


 手に握られているのは、工具と呼ぶにはあまりにも巨大なハンマー。

 あのサイズはもはや武器の類だ。

 身動きの取れない俺と、凶器を手にした狂気を宿した女性。

 最悪な想像が働く。


「……そのハンマー。何に使う気ですか?」

「決まってるじゃない」


 クリスさんが両腕でハンマーを振り上げた。


「こうするんですよ!」

「ああああああああああああああああ――」


 勢いよく振り下ろされたハンマーが俺の右脛みぎすねを砕いた。

 絶叫と同時に体が勢いよくけ反る。


「脚が……俺の脚が……」


 痛み、困惑、痛み、困惑、痛み、困惑、痛み、困惑――。


 何だ? 何が起こっている?

 どうして俺は、クリスさんにハンマーで脚を砕かれているんだ。


「大丈夫ですよ。すぐに治してあげますから」


 慈愛の笑みでクリスさんは俺の右脛に手をかざし、治癒魔法を発動した。

 直ぐに痛みが引いていき、損傷の修復を体が実感する。


「ほら、治ったでしょう」

「いったい何のつもりだよ!」

「反抗する元気があるなら大丈夫そうですね。それじゃあ、もう一発いってみましょうか」

「やめ――」


 狂気に満ちた嬌笑きょうしょうで、今度は俺の左脛ひだりすね目掛けてハンマーが振り下ろされた。


「うわあああああああああああああ――」


 折れた骨の一部が体外に露出し、複雑骨折した。

 自身の叫び声が患部を刺激し、更なる激痛に見舞われる。


「大丈夫。また治してあげますから」

「……何が目的なんだ。痛めつけたり、治したり……」


 痛みは引き、骨も元通りになっても、体力と精神力は消耗していく

 脂汗と息切れに支配された体で、俺は必死にクリスに真意を問うた。


「こう見えて私、人を痛めつけるのが大好きなサディスティックな女なんです。ヨシツネさんは骨太で素敵ですね。砕く瞬間にとても良い音がしました。叫び声も最高です」


 俺の血が付着したハンマーに頬ずりし、クリスは嬉々ききとして答える。趣味の話とあって饒舌じょうぜつだ。


「……あんた、人の傷を癒す白魔導士なんだろ? 何だってこんなことを」

「逆ですよ。人を痛めつけるのが大好きだから、私は白魔導士になったんです」

「どういうことだよ」

「簡単なことです。私は治癒魔法で傷を治せる。それは裏を返せば、痛めつけた相手を治療し、何度でも痛めつけられるということになるでしょう?」

「そんな理由で?」

「せっかくの魔法ですもの。私利私欲のために使わなきゃもったいないですよ」

「狂ってる……」

「この手の話しは問答するだけ無駄ですよね。価値観なんて人それぞれですから」


 クリスはハンマーを振り上げ、再度俺の左脛に狙いを定めた。


「脛を砕かれるのって、もの凄く痛かったでしょう?」

「やめろ、やめてくれ!」


「そう、その顔よ! その顔が見たいから、私は治癒魔法で相手の傷を一度治してあげるの。痛みを知っているからこそ、また同じ痛みを受ける際の絶望は計り知れない。ああ、恐怖に染まった顔を見ると興奮しちゃう!」


「頼むから、もう止め――」

「駄目!」


 祈り虚しく、俺の左脛は再度破壊された。


「ううあああああああああああああああああ――」

「さあ、治療しましょう」

「治さないでくれ……頼む……」


 耐え難い激痛が脛を支配しているが、治療後に再び砕かれる恐怖を思うと、このままの方がましだとさえ思ってしまう。


 治されて、壊されて、治されて、壊されて、直されて、壊されて、直されて……この地獄はいつまで続くんだ。


「あなたに決定権はありませんよ」


 問答無用でクリスは俺の左脛に治癒魔法をかけた。

 痛みは引いたが、それは新たな恐怖の始まりでしかない。


「脚ばかりじゃつまらない。次はもっと面白いところにしましょう」


 そう言ってクリスが新たに取り出したのは、鋭利なアイスピック。

 嫌な予感以外に何も感じない。


「次は目です」

「……冗談だろ?」

「大丈夫。すぐに治癒魔法で視力ごと眼球を治してあげますから」

「そういう問題じゃ……」

「治癒させることで何度も眼球を潰す感覚を楽しめる。治癒魔法は本当に素晴らしいわ」

「……頼む、考え直してくれ」

「こんなにも早く新しい玩具おもちゃが手に入るなんて、私は幸せ者ね」

「人の話しを聞けよ!」


 話しの通じる相手でないことは百も承知だが、無抵抗のまま目を潰されるなんて耐えられない。


「右と左どちらにするか、あなたに選ばせてあげます」

「そ、そんなの、選べるわけ」

「じゃあ、私が決めてあげますね。ど・ち・ら・に・し・よ・う・か・な」


 クリスが俺の体に馬乗りとなり、鋭利な切っ先が、俺の両目を交互に行き来していく。


 この女は狂人だ。


 悪意がシンプルな分、奴隷商や山賊の方がまだまともだったと思えてしまうのだから恐ろしい。

 

 俺を残酷な運命を呪う。

 この世界にやってきから出会ったのは、結局全員が悪人だったというわけだ。


 中でも今目の前にいる女は最恐最悪の怪物だ。


「こっちに決めた!」

「止め――」


 無邪気な声と共に、アイスピックの先端が俺の右目へと迫った。




 了

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