敗者の行進

宮﨑

敗者の行進

その行進は灰色の空の下、どこまでも続いているように見えた。

白い吐息。重い足取り。虚無に満ちた目。男たちはみな敗者だった。

それを見つめる僕らも敗者だった。食べるものも、住む家も、まともな衣服も失った女、子供、老人たち。行進をつくる敗者との違いは、国籍の違いだけだった。彼らはドイツ人で、僕らはロシア人だった。

大祖国戦争は終わった。祖国ソヴィエトは勝ち、僕らは敗けた。家はナチの爆撃で瓦礫と化し、畑は赤軍の戦車の轍で泥沼になり、家族は両軍の砲撃で吹き飛んだ。

全てを失った僕らの街に、全ての元凶がやってくると知らされたのは2日前のことで、人々は荒んだ目に確かな怒りを滲ませて、その日を待った。

あの悪魔どもに、どんな罵声を浴びせてやろうか。

その日、街に通る街道は人で埋め尽くされた。夫を失った妻が、父を失った娘が、孫を失った老婆が、怨嗟の声を上げて行進を出迎えた。

赤軍の戦車に先導されて、やって来た彼ら。ドイツ兵捕虜たち。収容所に行く道すがら、見せ物として街中を歩くのだ。

行進の先頭が街中に入り、怒りと悲しみに満ちた罵声が響き、瓦礫のかけらが投げ込まれる。

しかし、行進の全貌が見えるにつれ、混乱は静寂に変わった。

人々は振り上げた拳を静かに下げ、口を閉じる。

人間だった。彼らは僕らと同じような、どうしようも無い人間だった。

党の宣伝にあったような血も涙もないナチの悪魔はそこに居なかった。代わりにいたのはボロボロの軍服と粗末な靴を履き、震えながら足を引きずる敗残兵の姿だった。霜焼けで爛れた顔には虚無が張り付いている。足を引くもの、片手がないもの、両眼が潰れたもの。みな一様にやせ細っている。屈強な兵士はおらず、40を超えた老兵や、18に満たない子供までいた。

怒りをぶつけようとした僕たちは、その対象を失ってしまった。だってそうだろう?目の前にいるのは僕たちと同じ戦争の敗者なのだから。

奇妙な光景だった。静かな敗者の行進を、静かな敗者の群衆が見つめている。別に哀れんでいる訳ではない。僕らはそんな聖人じゃない。ただ、虚しかったのだ。攻め込んだドイツ人も、攻め込まれたロシア人も、結局こうやって敗者の列に加わってしまう。


その時、ただ一つの変化が、行進に起こった。


小さな女の子が、群衆から飛び出して1人のドイツ兵に抱きついたのだ。

ざわめきが起き、監視していた赤軍の兵士が女の子を引き離そうとする。抱きつかれたドイツ兵は両手を上げ、困惑している。

騒ぎは段々と大きくなり、行進が止まった。赤軍兵も、ドイツ兵も、群衆も集まる。女の子を強引にでも引き剥がそうと、赤軍兵が群がる。

しかし、それを静止する人物が現れた。老婆が人混みから出てきて、女の子を好きにするように兵士に懇願した。

「彼は、あのドイツ人は戦争で死んだ私の息子、あの子の父親に似ているんです。あの子はパパと勘違いしているの。どうか、どうか、そのままで居させてください」

赤軍兵も困り果てた様子で、

「捕虜と市民を触れさせるな、という上からのお達しなんだ」

と言ったが、老婆は涙ながらに懇願した。ざわめく群衆は初め顔を見合わせていたが、やがて口を揃えて叫んだ。

「好きにさせてやれ!」

群衆の圧に気圧された兵士はやがて肩をすくめ、不貞腐れたように、

「好きにしろ!」

と言った。


抱きつかれたドイツ兵は状況が分からず目を白黒させていたが、周りの人々の様子や、自分の頬を泣きながらさする老婆、足に抱きつく少女から何かを察したらしい。ぎこちない様子でしゃがむと、ぎごちない笑顔で、泣き腫らして目を赤くした少女に何かを言った。

誰も彼が何を言ったのかは分からない。でも、言葉が通じずとも女の子には通じたらしい。女の子は再び彼に抱きつき、彼も抱擁を返した。彼の目には涙が浮かんでいた。彼の戦友たちの目にも、僕らの目にも、この場にいる全ての敗者たちの目に涙が浮かんでいた。


束の間の休息は終わった。去り際に老婆に渡された、配給2日分のパン切れと共に、ドイツ兵は去って行く。去り際に彼がつぶやいた言葉を、理解できないながら、音だけをここに記しておく。


ビス・ダン


敗者の行進は再び動き出した。静寂と共に、敗者の僕らに見守られながら、敗者の行進は続いて行く。

あのドイツ兵も、老婆も、女の子も、赤軍兵士も、そして僕たちも、みんな敗者だった。

そしてどうしようも無いほど、人間だった。


さようなら。また会う日まで。


敗者の行進はどこまでも続いていく。




<敗者の行進 了>

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