青い瞳の少女は海に還りたい

大西 憩

青い瞳の少女は海に還りたい

 紗絵子は新品のセーラー服を着て、今年1歳になった飼い犬、柴犬のダイフクのさんぽがてら海を見に来ていた。

 紗絵子は今年中学に上がる。ピカピカの一年生だ。紗絵子はずっとセーラー服にあこがれていて、中学に上がるのがとても待ち遠しかった。

 そしてついに今日、入学式の日がやってきて、紗絵子はセーラー服を着て初めて外に出た。セーラー服自体は数日前から家にやってきて、自室の壁に掛けてあったのをいつも恭しい気持ちで眺めてきた。

 紗絵子は自分はセーラー服が格別に似合うだろうと思っていた。

 なぜなら、紗絵子は日本人ではあるのだが瞳の色が青いのだ。なんでもひいおばあちゃんが外国の人だとかで、瞳の色だけ遺伝したらしい。

 紗絵子は小さい頃から自分の瞳をとても気に入っていた。宝石のように澄んだ綺麗な青色で、自分の瞳を見ているだけで癒される心地だった。

 そんな海外由来の瞳は、海が由来しているセーラー服とよく合うと紗絵子は思っていたのだ。


 紗絵子は小学校までとても小さい分校に通っていたため、同級生は自分を合わせて3人しかいなかった。中学からは街にある大きな学校へ通うので、入学式の日に学校へついた時はとっても紗絵子は驚いた。

 自分と同じ年の子が100人以上も存在し、体育館にぎゅうぎゅうに集まっているのだ。存在しないと思っていたわけではないのだが、いざ目にすると圧巻だった。

 これまでの分校では全校生徒が集まってもどこかがらんとしていて、体育館だってゆとりのある空間だった。

 たくさんの人でごったかえした体育館にいる間は、紗絵子はまるで発酵したパン生地にでもなったのような気分だった。

 入学式では、みんなそれぞれ卒業した小学校でグループが分かれていて、紗絵子はさっそく孤立してしまい、母と体育館端でぼんやりと突っ立っていた。すこし地元から離れた中学校というのもあり、同じ分校をでた子は一人もいなかった。

「お母さん、街の子ってみんなおしゃれやねえ。」

 紗絵子は隣にいる母に話しかけた。すれ違うどの子も肌につやがあり、髪の毛をかわいらしく結い、垢抜けて見えた。母は忙しく紗絵子のセーラー服の衿を正したり、スカートの裾についてほこりをはらったりなんかした。

「せやね、けど紗絵子もかわいらしいよ。」

「…セーラー服、似合うやろか。」

「よう似合うわ。セーラー服が紗絵子に着られに来たみたい。」

 母はそうやってはにかむと、「そろそろ生徒の席に戻らんと、もう式始まるよ。」と紗絵子の背を押した。紗絵子はちょっと小走りで指定された自分の席に戻った。

「あの子、なんか目変やね。」

 席に戻る際中にすれ違った子からそんな声が聞こえた紗絵子は、ぎくっとした気分だった。自分のことを指したと思われる声の方を恐る恐る見ると、小柄な女の子とその母親のような大人が立っており、微かに目が合った。

「本当。青いね、外国の子かな。」

「けど顔は日本人やね。」

 そういって小柄な女の子と大人はくすくすと笑った。

 紗絵子はひどく屈辱的な気分になった。嘲笑されたのだと本能的に気が付いたのだ。

「はじめて会った相手に、そんな陰口を言わなくても。」

 と、紗絵子は思ったが、もう俯いて顔を上げれなくなってしまった。

 セーラー服とよく合うと思っていた瞳が、変だと言われてしまった。それは自分の顔立ちが日本人らしいので、ミスマッチに感じられた、というのも悔しかった。

 今まで瞳に関して不思議そうに覗き込む子はいたし、どうして青いのかと問われることもあったが、笑われたことなど一度もなかった。


 そして、紗絵子がうつむいたまま、楽しみにしていた入学式は始まり、あっという間に終わってしまった。長ったらしい校長先生の祝辞はたった一文字も、紗絵子の耳に残らなかった。

 入学式は午前だけでおわった。紗絵子は母とそそくさと自宅へ帰ると、セーラー服のままダイフクのさんぽに出た。

 なんとかして気分を紛らわせたいと思ったのだ。

「ダイフク、私の目って変やろか。」

 ダイフクは、息を切らしながら紗絵子の前を歩いていく。ダイフクの背中に向かって紗絵子は聞いた。ダイフクは返事をしなかったが、しっぽを大きく左右に揺らし、さんぽにご満悦なようだった。

「今日は海まで行こ。まだ明るいし、きっと綺麗やわ。」

 紗絵子はふと自分のスニーカーに目をやった。汚れ、破れてぼろぼろなのに気が付き、ひどく恥ずかしくなった。なんだか自分の身の回りすべてのものがみすぼらしく感じられ、少し泣きそうになった。

 しばらく歩いていくと、大きなテトラポットがいくつも見えてきて、海が出てきた。最近まで小学生だったのに「小学生のころはここでよく遊んだな。」と、紗絵子は思った。

 紗絵子はダイフクのリードを握りながら、砂浜近くに座った。ダイフクは嬉しそうにリードを限界まで伸ばし、砂浜の上を走っている。

 紗絵子はダイフクと海を見つめながら色々と考えていた。自分の顔のことや瞳の色、背が人よりも少しひょろ長いこと、色々考えてなんだかやっぱり自分って垢抜けていないのではないかと思った。

 紗絵子の母はよく褒めるタイプで、紗絵子のことを「かわいい」とよく言うし、紗絵子もその言葉をうのみにして生きてきた。人に言いふらすわけではないけどとりあえず自分は「かわいい」分類なのだろうと思っていたのだ。

 だんだん紗絵子は落ち込んできた。別に誰かに不細工だと言われたわけではないし、「顔が日本人だ。」と言われただけなのだが、その言葉をどんどん悪い方に取ってしまうのだ。

 日本人顔でも美人は美人だし、かわいいはかわいいし、自分は紛れもない日本人なわけなのでまったく悪い意味はないはずなのだが。なぜだか紗絵子の頭にはおたふくのお面が浮かんでいたのだ。

 そんな紗絵子の周りでダイフクは飛び跳ねはしゃいでいる。

「ダイフクはいいね、かわいいもの。」

 犬であるダイフクはふわふわで、周りを気にしなくていいしとてもかわいいと紗絵子は思った。ダイフクは全体が淡い茶色の毛をした柴犬で、鼻の頭周りの毛だけすこし黒い。瞳はつぶらで黒く、眉のあたりの毛は白くて丸く、まるで眉毛のような柄になっている。

 紗絵子はダイフクを抱いて、顔を揉んだり、腹をなでたりした。ダイフクの足についた砂が新品のセーラー服にかかったが、紗絵子は何にも気にならなかった。

「…ダイフクは自分に悩む?」

 紗絵子はいたって真剣だったが、傍から見たら何をしているのだろうと思われたことだろう。ダイフクはきょとんとした顔で舌を出し、紗絵子を見つめている。

「肉球の色がピンクだったらよかったなとか、鼻のあたりの毛が白く淡い色だとよかったとか…。」

 紗絵子は言いながら悲しくなってきた。まるで自分が他の犬を欲している人間にでもなったような気分になってしまったのだ。それでもダイフクは、しっぽを振って嬉しそうに紗絵子の胸元に擦りついている。ダイフクはまだ1歳で子犬なのだ。

「ダイフク、ごめんね。」

 気付けば紗絵子の目からはぼろぼろと涙がこぼれていた。

 ダイフクはそれに気が付くと、慌てるように紗絵子の頬へ自分の額をこすりつけ、涙を舌で拭った。

「ダイフクはそのままでとっても素敵だよ。」

 そういうと、普段あまり吠えないダイフクが「わふ!」と、一声吠えた。

 紗絵子は立ち上がると、海に少し近付いてみた。ダイフクも興奮した様子で、海に近寄ったり離れたりを繰り返している。水に触るのはまだ怖いのか、余裕のある距離感を保っているようだ。

「遠くの海は、青く見えるね。」

 まだ夕方に差し掛かる時間、昼過ぎ。太陽が海を青く光らせていた。水平線は濃い群青色をしていて、紗絵子の着ているセーラー服と同じ色をしていた。

 紗絵子は自分の青い瞳にこの青い海が映っているのかと思うと、なんだかお腹の底から叫びたくなるような気分になった。

「人と違うことを悩んでも仕方がないよ。」

 紗絵子は、自分の想いを声に出して気持ちを整理することにした。ダイフクは逃げ遅れ、少し海の水に触れたようだった。

「私の眼は青い。これは変えられないし変えたくない。変える必要もない。」

 ダイフクは小さく鳴いて、湿った砂を軽く掘った。

「顔だってきっとこれから垢抜ける!だって中学生になったから。」

 紗絵子は顔が火照り、目の前がだんだんにじんで来るのを感じた。

「そのままで私は素敵!」

 そういって紗絵子は海に背を向けた。

 自分を鼓舞する言葉を選んだつもりだったが、もうどうにも涙が止まらなくなってしまった。

「よし!」

 紗絵子はそういってダイフクを抱えた。ダイフクは紗絵子になされるがままだが、嬉しそうに紗絵子を見上げ、しっぽを振った。

 海の色はすがすがしいほど青くて、泣いている自分の青い目のようだと思った。そして、遠い水平線は今自分を包むセーラー服のようで、少し恐ろしくなった。

「帰る!走る!」

 来た道を走って紗絵子はダイフクを抱えたまま帰った。ダイフクは自分も一緒に走っている気分なのか前脚後ろ脚をぐわぐわ動かしている。

 耳元でビュンビュンと風を切る音が聞こえ、夕方に差し掛かる太陽の光が紗絵子とダイフクを照らしていた。

 あっという間に家についた。紗絵子はダイフクを下ろし、スカートの砂を払った。

 新品のセーラー服は少し砂で汚れていた。ダイフクはその場でくるくると回り、紗絵子と目が合うとピタッと止まって紗絵子の瞳をじっと見ていた。

「明日から私、中学校いくの。」

 紗絵子は自分に言い聞かせるような、ダイフクにはなしかけるような、どちらともとれる話し方をした。

「私、中学生になったんだ。」

 紗絵子は玄関先の蛇口をひねり、ダイフクの黒くてやわらかい肉球についた砂を洗いながら言った。

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