第3話
翌日。はじめと八重は店の開店準備に追われていた。
今日は無月は外回りだから二人で店をやる。気を抜けないのだ。
いつもは圭介が店先でくねくね踊りを御披露しているはずなのだが、無月がいない店に圭介が来る事はない。
「いるとうるさいけど、いないと寂しいもんですね。父上。」
「ははは。確かに。さぁさ、今日は忙しくならぁね、頑張って仕事をしよう。」
その頃無月は日本橋を渡っていた。
朝の日本橋は魚河岸から魚を運ぶものや、西から船で運ばれた様々な商品を運ぶ行商人達でとても混雑していた。
無月は人の間を縫うように抜け、商店や問屋の並ぶ表通りに向かう。ココも人が多く賑やかだ。
日本橋本町の袋物問屋が無月の行き先で月に二回ほど呼ばれて御隠居の髪をあたる。
表通りから店の裏にある家のほうに入って門をくぐると若おかみが、すぐに無月に気がついた。
「あ、無月ちゃんいらっしゃい。お父様がお待ちかねよ。お父様、お父様無月さんがいらしてよ。」
するとするりと玄関脇の障子があいて白髪交じりを丸髷に結った品のいい老人が顔を出した。
「なんだい、若い娘が大声なんぞ出してはしたないだろう。ちゃんと無月が来た事ぐらい私にだって足音でわかるよ。」
「はぁーい。」
いつもの賑やかな二人のやり取りをニコニコと見ていた無月だった。
「さ、お茶を持ってきなさい。無月はココから上がるといい。」
「はい。」
老人は障子を更に開ける。縁側から無月が上がると部屋の床の間が目に入る。いつも品のいい山水画と、生け花がそこにはある。いい暮らしをしているなといつも無月は思っていた。
「元気にしていたかね。」
すぐに座敷へ上がるような不調法をしない無月は御隠居のお気に入りだ。
座敷の廊下にきちんと正座して頭を深く下げたまま。
「はい。旦那様もお元気のようで何よりと存じます。」
と、言った。
「ふふ。ありがとう。さ、上がんなさい。」
「はい。」
それからやっと座敷に上がった。
若おかみがお茶を盆に載せてやってきた。
「お父様お茶をお持ちいたしました。」
「あれも持ってきたかね。」
「ええ、もちろんですよ。」
若おかみが無月の前にお茶と懐紙に乗ったお菓子を置いた。
「こりゃ干菓子じゃねぇですか。」
「うむ。菓子屋の知り合いがな箱入りを二つくれるんで何でと思ったら一つはお前にやってくれだってよ。あれも髪をあたって欲しいみてぇだから行ってやってくんねーか。」
「へぇ、それはありがたいお話でございます。しかし、いいんですかい、そんな立派なもん頂いちまって。」
「かまいゃしないよ。帰りにでも寄ってやってくれや。」
「かしこまりました。」
そのやり取りをニヤニヤしながらお盆を抱えたまま聞いていた若おかみに
「こら。こんなとこで油売ってないで仕事なさい仕事。」
と御隠居がしかる。
「はぁーい。じゃごゆっくり。」
と言うと、出て行くときに障子をピシャリと音をたてて閉めた。音にびくっとした御隠居が眉をしかめる。
「まったく。近頃の若いもんは皆ああなのか・・・。あ、無月はそうではないな・・・。ははは。私も年を取ったもんだこんな愚痴とは。」
「ふふ。まだお若いですよ。元気でいい若おかみじゃねぇですか。」
「まぁ確かに。ふふふ。」
その頃圭介は日本橋石町に居た。石町には有名な扇屋があり、圭介はそこの商品で、今の流行を確かめたりしていた。
圭介の美しさは以前にも言ったとおりで店も圭介が商品を持てば売り上げが上がるのは間違いないと売ろう売ろうにかかっている。
番頭は圭介が地紙売の仕事以外にも仕事をしているか知っている。それをねたに圭介と話すようになり、今では圭介が顔を出すと自分の部屋に通す様になった。
この日も番頭の部屋に通された。
「なんかいい話はないかね。」
「そんなの私が聞きたいぐらいだわ。」
「うちの扇をお前さんがちょっと使ってくれりゃ、うちはいい話でもちきりになるんだがねぇ。」
「あらぁ。馬鹿お言いでないよ。私の仕事がなんだかあんた知ってんでしょ。自分のを持つのならまだしもなんでよそ様の宣伝しなきゃいけないのよさ。」
「いいじゃねぇか。最期の地紙売よ。お前の商いがつぶれてもうちですぐ雇ってやるって言ってんだろ。大旦那様も大層乗り気だぜ。」
「んふふ。わるかないわね。でもいまんとこいいわぁ。所帯でももったらお願いしようかしら。」
「所帯もつきがあんのかね。」
「ま、失礼ね。大有りよ。あ、そんな事より、なんか最近行方不明とかの話聞いてない?」
「・・・あんたの話はいつもそうだ。あっちへ飛びこっちへ飛び・・・。」
「いいじゃないのさ。それより、聞いたの?聞かないの?」
「うーんあ、そういや米屋ンとこの息子の友人が行く方知れずっていうのは聞いたな。でも、それは随分前の話だったけど。ほら、あの長雨の頃で、あ、それよりうちに入ったばっかりの新作見るかい?」
「へぇ…。新作?見るわよ。もちろん。」
「まだ店に出す前のやつでさ、その代わり・・・」
「いいわよ。手ぐらい貸したげるわ。」
「物分りいいな。じゃ待ってな。」
実は番頭の部屋に通されるのは別の訳もある。ただ喋る為だけではないのだ。
いそいそと出て行く番頭の後姿を見送ってから、
「好き物が。」
と、さげすむように独り言を言った。 番頭が新作の入った箱と水の張った手桶を持って部屋に帰って数分後。
部屋からは、くぐもったなまめかしい声が漏れ始めた。
「あ、ああ圭介。そんなにそんなにしたらすぐ達してしまうよ。」
番頭のきものははだけ太ももの付け根まで見えている。
付け根で圭介の手が握っているのは番頭の熱い棒だ。圭介のもう片方の手は番頭の着物のあわせから入り、中で胸元のちいさな実をいじっていた。
圭介の棒を扱くその手は激しい。なんでもない相手のを握ってても楽しくないので早く終わらせたい一心だからだ。
「ああ、あああっもっもうだめっ」
限界の近い番頭に胸元をいじっていた手をさっと抜いて、はち切れそうな番頭の亀頭に懐紙をあてがった。そして扱くほうはもっと強くする。
「くぅっ」
と、番頭の口から声が上がると懐紙にしみが出来た。
びくびくと余韻を引きずって跳ねる番頭の始末をたんたんと圭介はすると用意された手桶で手を洗った。
圭介は番頭の回復を待たず持ってきた箱を開けながら
「これが今回の新作ね。まぁ絵がすばらしいわね。それにこの骨の細工。なるほどねぇ。」
と、番頭が持ってきた箱の中の扇子を手にとって広げながら細部までを頭の中に焼き付ける。
「はぁはぁ。そ、そう、いいだろ。京で一番の絵師と彫り師の作だ。こまけぇ図案がいいだろ。・・・なぁ、それより今度は手だけじゃねぇで体も味わいたいねぇ。」
番頭がはだけた着物の裾を直し、懐紙をきれいに折りたたむと正座をして、そういった。
「はぁ?・・・馬鹿おいいでないよ。そんなこと言うんならこないって先だっても言ったろ。」
番頭には目もくれず扇子をじっくりと眺めながら圭介はそういった。
「ちぇっ、そりゃしょうがねぇな。じゃ、そろそろ仕事にもどるかな。」
番頭のほうもあっさりしたもんで、しつこく言い寄るような野暮ではない。
「はいはい。お邪魔様でした。」
丁寧に扇子を箱にしまうと、圭介はすっと立ち上がった。
無月の月 シノ ユウコ @sinoyumachi3
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